5-7
その日一日、誰も古の名前を呼ばなかった。
昼休み、宵子とすれ違っても、
彼女は優しい笑みで「こんにちは」と言っただけだった。
名前を添えない挨拶。
呼ばれない“自分”。
給食当番の時間。
将吾が配膳表を見ながら、ふと眉をひそめた。
「……ちょっと、一人分多くない?」
配膳係をしていた明臣が首をかしげながら答えた。
「え……ええと、十三人分のはず、ですけど……」
「……は?十三人じゃなくて、十二人分でしょ?」
将吾の問いかけに、レナが口を挟んだ。
「ううん。今日も“いつも通り”……十三人分で大丈夫」
その瞬間、古の背に冷たいものが走った。
(“いつも通り”……?
今この教室にいるのは、俺を除けば十二人のはず……
じゃあ、その“十三人”って、誰なんだ)
「……そうですか」
会話はそれで終わり、明臣は淡々と配膳を再開した。
レナは無言で古の分のトレーを一つ手に取り、
誰にも気づかれぬように、空いたスペースにそっと置いた。
それが、唯一“自分の存在が肯定された”瞬間だった。
(気づいてる……やっぱり、あいつだけは――)
でもその“優しさ”もまた、
「誰にも届かない」ことを前提にした、静かな諦めのように思えた。
午後の授業、ノートを開いても、
名前を書く欄だけが――何度書いても消えていた。
書いたはずの「神凪 古」が、目を離した瞬間に白紙に戻る。
字が消える。
音が消える。
影が消える。
“古”という存在のすべてが、世界から“削除”されていた。
「……これって、存在してないのと、何が違うんだよ……」
目を伏せた瞬間、ふと、自分の名前を思い出そうとして――
脳が、空白を作った。
「……あれ」
胸の奥が、ヒュッと冷えた。
“神凪 古”という名前を、自分自身が一瞬、思い出せなかったのだ。
「……嘘、だろ……」