84 つまらない僕なんかより
やあ皆さん、またしても僕だ。六十刈暁人だ。
ん? 何でまた僕が語り部の役目を担わされているのかって? それはやはり、僕の視点からしか描写することが困難な物語があり、僕が適役だと判断されたからだろうね。
では誰が判断したのかに言及しようとすると、どうしてもメタ的な発言をせざるを得ない。ここはひとまず、アダム・スミスの「神の見えざる手」的なものが判断したことにしておこう。
それにしてもアダム・スミスって、欧米基準でいうとずいぶん平凡な名前なんじゃないかという気がするなあ。実際、スミスは最もメジャーなファーストネームだとの調査結果もあるくらいだし。日本でいうところの「鈴木太郎」みたいな感じかな。
おっと失礼、話が逸れてしまった。家庭教師である僕は政治・経済も倫理も現代社会も一通り教えられるんだけれど、今はアダム・スミスの名前が凡庸なことはどうでもいい。どうでもいいのなら最初から雑談なんかするなという向きもあるだろうが、急がば回れ、人生は寄り道を多くした方が楽しいものさ。
……さすがにそろそろ本題に入ろう。
状況が大きく変わったのは、12月の2周目に入ってからだった。僕が受け持っている生徒の一人、三好さんがやらかしてくれたのである。
「せ、先生ぇ」
ある日、僕が彼女の部屋のドアをノックしてお邪魔すると、三好さんはやけにもじもじしていた。椅子から立ち上がり、後ろ手に何か隠し持っているようだ。
「うん? どうしたんだい、三好さん」
「あ、あのっ、私!」
意を決したように、彼女は顔を上げて僕の目を直視した。頬が赤く染まっている。
「高校受験が終わった後も、先生と離れたくないです!」
「え?」
おやおや。
あらまあ。
ちょっと待ってくれよ。理解が追いつかない。状況の整理が追いついていないんだけどな。
よし。ここは一旦、すっとぼけてみるとするか。それで乗り切れるのかどうかはやってみなくちゃ分からないし、鈍感な男のふりをするのは、僕の胸に残っている申し訳程度の良心がしくしくと痛むけれど。
「つまり、どういう意味かな?」
「……わ、私! 先生のことが、好きなんですっ!」
あらあら。
まあまあ。
手渡されたラブレターは物凄く分厚くて、僕への想いが情熱的に綴られているようだった。うーん、少しだけ目を通しては見たが、あれだね。中学生の書いたポエムなんて、どれだけ愛情が込められていようが読むに堪えない。少なくとも、文学的な価値はゼロといって良いだろう。真面目に、腰を据えて読むものではない。
堰を切ったように、三好さんの言葉は続けられた。
「で、出来の悪い私の勉強を、いつも根気強く見てくれて! 優しく教えてくれて! わ、私、先生のこといつの間にか、大好きになっちゃいました。離れたくありません!」
やれやれ。仕事を当たり前にこなしただけで好意を抱かれるのも、困ったものだ。
三好さんなあ。やっぱり、中学三年生と恋愛関係になるのは法律的にも道徳的にもNGだからな……。ましてや、僕はロリコンでも光源氏でもないわけであって。
幼さの残る顔立ちがデコ出しヘアで強調されているのも相まって、僕は丁重にお断りさせてもらった。法律がどうとか、そういう一般的な理屈を持ち出して断った。
「ぐすん」
断ったら断ったで涙目になって、その後の講義でのモチベは明らかにダウンしている。いや、そりゃそうだろうけども。
結局この子は、自分にとって身近な男性の中で、年上で大人びて見える僕を魅力的に感じているに過ぎない。僕程度のフツメンはごまんといるのに、広い世界を知らず、視野が狭い。
「うっ、うっ、うえええええん!」
「ごめんね、三好さん」
僕は大泣きしている生徒をなだめながら、授業を進めた。
「でもさ、この世の中、できることとできないことがあるんだよ」
精神的に不安定な思春期の女子の機嫌を取りつつ、僕はふと思った――ああ、井上君はこれまで、これに似た苦労をずっとし続けてきたのだなあと。
彼は優柔不断なところがある。最終的に誰と付き合うかの結論をなかなか出せず、ゆえに相手からの告白にもすぐに返事ができず、ずるずると停滞した状況を引きずってきた。
井上君にとってのヒロインたちも、三好さんに負けず劣らずクセが強く、中には精神的にやや脆そうな女性もいる。彼女ら全員との良好な関係を維持するのは、並大抵の努力によってはできなかったはずだ。
僕のようなつまらない男よりも、彼の方がよほど立派だろう。
※次回の更新は8月下旬の予定です。




