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83 反面教師

 とうとう12月に突入してしまった。街を歩けば、もうすっかりクリスマス一色。

 けれど、受験生にはクリスマスも正月もないようなものだ。今日も今日とて僕は、井上悟は、六十刈先生の指導の下で勉学に精を出すのだった。


「あれだなあ。井上君は勉強に身が入っていない、とこの前指摘させてもらったけれど、君の場合はモチベーションが下がったというより、元から全力を出していない感じがするね。意図的に、70~80%の力しか出していないように見える」


 ……おかしい。自分では、精を出しているつもりだったのだけれど。地の文を会話文で全否定するのはやめていただけないだろうか。このお喋りな雰囲気イケメンめ。


「別に受験で人生が決まるとまでは思わないけど、受験が人生における一つの岐路であることは疑う余地がない。せっかくだし、全力を出してみたらどうだい?」


 そう来たか。仕方ない。僕の伝家の宝刀で迎撃しよう。

 つまるところ、自分語り。僕の過去の一部を明かし、説得力を持って反論する。



「僕、高校受験のとき、必死に頑張ったんですよ。ガリ勉になって、背伸びして、ちょっと無理して今の高校に入りました」

「へえ。やるじゃないか」

「でも、入学後にがっかりしたんです」


 当時を振り返りつつ、僕は続ける。


「僕の通っていた中学は、ヤンキーみたいな人が多くて。いじめられたりカツアゲされたりとかはなかったですけど、何かとダル絡みされて面倒だったんです。だから中学時代は、『勉強ができる人の多い学校へ進めば、ああいう輩もいないだろう』と思って、環境の良さを求めて高校を選びました」

「普通は、進学実績とか部活動とかで選ぶんじゃないのかな。井上君は変わってるねえ」


 今更そんなこと言われてもな……。


「実際、確かに不良はいなかったですよ。けれど、地頭の良い人って、高校で落ちこぼれても『自分は出来が悪い』『落ちこぼれだ』と認めることができないくらいにプライドが高いんです」

「ああ」


 分かる気がするよ、と頷く六十刈先生。聞けば、他に受け持っている生徒でも、過去の栄光に縋ることしかできず、一方でプライドばかりがやけに高い子がいるらしい。



「おまけに、露骨ないじめがない代わりに、陰湿なのはそこそこあるみたいです。他のクラスでは、それが原因で不登校になる生徒もいます」

「なるほどねえ。まあ、中学にいるヤンキーなんて、小学校からずっと落ちこぼれ続けてきて、プライドなんざとっくの昔のズタボロになってるだろうからね。高校からグレた程度の連中とはわけが違う」


 分かったような顔してるけど、家庭教師にしてはずいぶんひどい言い草じゃないだろうか。


「君の高校の生徒の質もなあ……道理で井上君がひねくれて、湯川さんみたいなのもいるわけだね」

「いや、湯川さんは中学のときからあんな感じですし」


 あれこそ、高校でグレた連中と一緒にしちゃダメだ。文字通り次元が違う。


「ともかくそんなわけで、僕は高校入学後、『努力した割にはあまり良い環境に入れなかった』と落胆したんですよ。――だから、本気で努力するのはやめました。努力するってことは、それに見合うリターンを求めて期待値を上げるってことでもあります。また期待を裏切られたら、僕は人生そのものにがっかりしちゃいそうですから」


 まあ正直、既に人生にはがっかりしかけてるんだけども。

 人生において楽しいことよりも嫌なことの方が多いのなら、人生の本質は嫌なものであり、紛うことなき不幸である。生きるイコール不幸だと知りながら生きることに、何か意味はあるのだろうか。



「ははーん。いやあ、僕はてっきり、井上君は『俺はまだ本気出してないだけ! 本気を出せばこんなものじゃない!』って類の言い訳ができる余地を残したいのだと思っていたよ。ほら、ライトノベルとかでその手の作品は人気だろう?」

「人気なんですかね? 僕はあまり読みませんけど」


 舐めプするのをかっこいいと感じる価値観は、僕にはどうもよく分からない。

 さて、僕の伝家の宝刀の身の上話を聞いて、六十刈先生は何だかホクホク顔のように見えた。そんなに面白い話じゃないと思うけどな。


「シャイな井上君が過去を打ち明けてくれて、僕は先生として嬉しい限りだ。じゃあ僕も胸襟を開いて、昔話でもしようか。ヒロインのことや受験のことで悩み多き生徒のために、一つ、ためになる話をしてあげよう」


 おっ。このパーマ眼鏡にも、先生らしいところがあるじゃないか。ちょっと見直した。


「大学のサークルの女の子の話なんだけど」

「めちゃめちゃ最近の話じゃないですか……」 


 昔話じゃなかったのかよ!

 僕のツッコミには構わず、先生は続けた。



「サークルの同期で一番不細工だった子がある日、年上のイケメン彼氏との子供を身ごもっちゃってね。大学にも半年くらいで来なくなっちゃって、というか辞めちゃったけど、今じゃ結婚して一児の母だそうだ。何だかんだで、楽しく幸せな家庭を築きつつあるらしい」

「はあ」


 前言撤回。「同期で一番不細工だった」って言い方は、さすがに失礼すぎるだろう。全然先生らしくなかった。

 人間の第一印象はほぼほぼ見た目で決まるらしいけど、だからといって相手を見た目だけで判断してはいけない。顔は整形手術である程度綺麗にできても、心をすぐに綺麗にするのは難しいのだ。


「この噂を初めて聞いたとき、僕は『なぜあの子が?』と思った。だって、彼女よりも綺麗で可愛い女の子は、学内にたくさんいたんだよ。よりによって、なぜ同期の誰よりも早くその子が結婚することになったのか。しかも、その辺のモブとじゃなく、どうしてイケメンとゴールインできたのか。僕の周囲は、皆首をかしげていたものさ」

「……ええと、それで?」

「それで、と言うと?」

「つまり、その話のオチはどこにあるんです?」


 焦れて先を促した僕に、先生は明るい笑顔で応じた。


「ああ、失敬。つまり、僕が言いたかったのはこういうことさ。『人生、なるようになる』」

「あんまりフォローになってなくないですか⁉」


 ためになる話、というわけでもなさそうである。

 というか、例として挙げられているのがいわゆる「できちゃった婚」的なケースなのも、何とも言えないものがある。



「僕には井上君が今後どういう人生を送るのかは分からないけど、まあ案外人生なんて、なるようになるものだよ」

「そう言われて喜んで良いものかどうか、判断しかねますね……」


 その日、六十刈先生のためにならない話を拝聴した僕は、「こんな大学生になってたまるか」と反骨精神を発揮し、いつもより少しだけモチベをアップさせたのだった。


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