82 雨降って地固まる
「で、三好さんはどうして泣いていたのかな?」
「あの、実はこの間、学校で模試を受けたんですけど」
北高、C判定だったんです、と声を震わせる三好さん。
「私の志望校、県立高校の中でも倍率高いですし。もう12月だっていうのに、この時期にC判定だと正直厳しいですよね。だから、もう志望校を下げるしか……北高を諦めるしかないのかなって」
「ふうむ。そうか、C判定だったのかあ」
顎に手を当て、僕は少し思考する。
ここ愛媛県では、偏差値がずば抜けて高い一部の私立高校を除き、全体的に見れば県立の方が私立より偏差値が高めな傾向がある。その県立高校の中でも、いわゆる「進学校」と称しても良いレベルの学校と、まあ普通くらいの学校とがあるんだけれど、北高はギリギリ進学校と言えるレベル。良くも悪くも庶民的で、受験生にとって狙いやすいって感じかなあ。だから倍率も高めなんだろうけどさ。
「でもCってことは、半分かそれ以上の確率で受かるんだろう? 諦めず、地道に努力し続ければきっと大丈夫だよ」
「同じ確率で落ちますよ~」
三好さんは再びしょんぼりしてしまった。
「もし北高に落ちたら、滑り止めで受けたしょうもない私立に行かないといけなくなるじゃないですかあ。そしたら私、ショックで寝込んじゃうかもですよ」
「うん。万が一落ちると僕のお給料にも影響するから、ぜひとも受かってほしいな」
「現金なこと言わないで⁉」
はあ、と彼女はため息をついた。
「私、これでも一応、将来は大学に進学したいと思ってるので。北高よりも高校のランクを下げちゃったら、行けてもFラン大学だけになっちゃいますよ~」
「大丈夫、大丈夫。僕なんかほら、私立の底辺高校から国立大へ滑り込んで大躍進したクチだから。どこの高校に行ったかで、その後の人生は決まらないよ」
「でも~」
なおも愚痴を続けようとする三好さん。これ以上やられると授業にならないので、僕はとびきり優しい愛想笑いで言った。
「心配しないで。君には無限の可能性がある。これから君は、何にでもなれるんだ。諦めないで、頑張ってみよう」
「先生……」
途端に、彼女はキラキラした目で見つめてきた。まったく、チョロいねえ。
「無限の可能性がある」。「何にでもなれる」。大人が子供を教え導くときに多用される、便利な言葉だ。僕もついつい使ってしまう。が、これらは裏を返せば、「君には現時点では何もなく、また何者でもない」と現実を突きつけているだけじゃあないだろうか。そう考えると、残酷ですらある。
そんな風に僕は生徒のご機嫌を取ってから、会合に向かったのさ。
で、問題の、会合終了直後。
店の外へ出るやいなや、事件は起こった。桜井先生が湯川さんの胸倉を掴み、「おい、貴様」と物凄い剣幕で詰め寄ったんだ。
声量は決して大きくなかったけれど、かなりの迫力だったね。美しいが、怒ると怖い人だ。桜井先生にお近づきになるのは、はたしていかがなものか。
「な、何ですか、先生」
まるで、青い炎が静かに燃えているかのようだった。さすがの湯川さんも引いている。
「何ですか、じゃないだろう。もう見ていられん。いい加減、星加さんを露骨にいじめたり、何かにつけて喧嘩腰で挑発したりして、無理に自分の意見を通そうとするのをやめろ」
桜井先生は、完全に堪忍袋の緒が切れてしまっているようだった。立花先生と星加さんはおろおろするばかりで、稲田さんに至っては「そうだそうだ!」と先生に同調している。何てことだ、誰も制止しない。
ま、僕もなるべく面倒事には関わりたくないから、止めには入らないけどね。
「な、何よ! 今まではあたしが何か言っても怒らなかったのに、高いかき氷も奢ってくれたのに、何で急に怒るんですか⁉」
あーあ。湯川さん、素直に謝ればいいのに言い返しちゃったよ。これじゃ、火に油を注ぐだけだ。
仏の顔も三度までって言葉の意味が、分からないわけじゃないだろうにね。
「貴様は今までも散々好き放題にやってきたが、特に今回は許せん。一時間というタイムリミットがあったのに、主に貴様が場を乱したせいで時間を浪費した。何とかトークルームは作れたが、打開策を皆で考えつくところまでは至らなかった」
湯川さんから手を離し、険しい表情で告げる桜井先生。
確かに、先生の言うことも分かる気がするなあ。振り返ってみれば、桜井先生は皆の意見をまとめ、議題を次へ次へとサクサク進めていこうとしていたのに対して、湯川さんは「え、そこ?」みたいなポイントに拘泥していたっけね。最後の方でトークルームの名前を決める段階になって、妙にこだわりを見せたりとか。
まあ、桜井先生も桜井先生で、「想像妊娠」とかいうパワーワードを投入していたのはだいぶアレなんだけどさ。真面目な話し合いの場で飛び出すワードじゃないでしょ、どう考えても。
「勘違いするなよ、湯川。別に、貴様が自分勝手に振る舞うことを全否定するつもりはない。どんな結果になろうとも、貴様自身がその責任を負うというのなら、好きにすればいい。だが、貴様が勝手な行動を取ることで、周りに迷惑をかけるというのなら話は別だ。……いいか。私たちにはもう、井上と会える時間はほとんど残されていないのだぞ。こうしてヒロインで集まれる機会だって、あと何回あるか分からない。その貴重な時間を使って作戦会議をしようとしていた、皆の一生懸命な気持ちに対して、貴様は最低なことをしたのだ。分かっているのか、湯川!」
「――ごめんなさい」
おやおや?
僕の聞き間違いじゃないだろうな。あの強情な湯川さんが、とうとう折れた。桜井先生から怒涛の勢いで非難の言葉をまくし立てられ、防戦するしかなかったのだろうか。目にはうっすら涙まで浮かべている。
状況が状況だ。話し合いの進行を妨げれば、彼女自身も不利益を被るのは必至。おそらく、冷静になってみて自分のしでかしたことの重大さに気づき、取り乱したのだろうね。
「あたし、学校の友達の前ではいつも、自分を取り繕ってる。本当の自分をさらけ出せるのはあいつと、ここにいる皆の前くらいなのよ。だからつい、皆の優しさに甘えてしまっていたんだと思うわ。……今後はもう少し、皆の気持ちも考えるようにします」
「うむ。分かれば良いのだ」
湯川さんが珍しく本音をさらけ出したのが、好印象だったのかもしれない。ポニーテールの眼鏡美人は表情を和らげ、稲田さんに向き直った。
「稲田も稲田だぞ。湯川の挑発にいちいち乗って、言い返していたらキリがない。そんなことをしていたら、奴と同レベルになってしまう。これからはもう少し、大人な対応をしたらどうだ?」
「分かったぜ」
聞き分けが良いなあ、この子。反射的に元気よく返事しているだけにも見えるけど。
「こいつと同じ偏差値だと思われちまったら、受験生として恥だもんな!」
うん。案外、稲田さんって単純なのかも。桜井先生は人としてのレベルの話をしているのに、偏差値のことだと勘違いしているし。
「ねえちょっとあんた! 少しくらい偏差値が高いからって、調子に乗るんじゃないわよ⁉」
「てめえに発言権を与えた覚えはねえぞ、この低偏差値野郎」
「おい、稲田! だからといって、湯川をいじめても良いわけではないぞ!」
ようやく、いつもの和やかな雰囲気が戻ってきた。立花先生と星加さんが顔を見合わせ、ほっと胸を撫で下ろす。
ふと、桜井先生が僕の方へ近づき、囁いてきた。
「……六十刈先生。今の話は、できれば井上の耳には入れないでやってほしい。私たちが衝突していた事実を知っても、奴にとってプラスにはならんだろうからな」
「お安い御用ですよ」
という次第で、この一件は僕を語り部としてのみ伝えるかたちになったんだ。
何はともあれ、雨降って地固まるってやつかな。一時の衝突を経て、5人のヒロインの結束は強まったように見えた。




