80 まだ終わってない
「あいつとのことで思い詰めすぎてリスカしたように見せかけ、二人の愛を阻むことは不可能だと思い知らせてやるってのも手ね。血糊を用意しなくちゃ」
「湯川さん、僕の話聞いてた??」
栞はだいぶ暴走していた。第一、受験生が今の時期にそんな真似をすれば、彼女が受けようとしている指定校推薦なんかは取り消されかねない。僕との未来のために自分の進路を犠牲にされたって、僕は素直に喜べないよ。
そこで、涙を拭って星加さんも意見する。
「受験が終わったら、井上君も自由になるんだよねえ? お母様の監視の目を逃れてデートすることが難しいなら、受験それ自体を早く終わらせることはできないかな。たとえば、推薦入試を受けるとか……は、さすがに今からじゃ無理?」
「私もそれは一応考えたが、残念ながら井上の志望する松浦大の文系学部、推薦入試の出願期間の〆切は、3週間ほど前だ」
通信制高校を出てからホテル業界に一度就職した星加さんは、大学受験の日程についてはほとんど無知なのだろう。ついさっき「想像妊娠」とかいうパワーワードをぶっ放したのが嘘だったかのように、桜井先生が彼女の疑問へ冷静に答えた。
「仮に〆切に間に合っていたとしても、井上は先生ウケが悪い。推薦枠を勝ち取るのは至難の業だったろう。――それに私は、推薦入試には元より反対だ。この間、井上は重い腰を上げ、志望校をワンランク上げることを検討してくれた。挑戦しようとしている生徒の道を閉ざし、推薦一本に絞らせるような真似はできん!」
「? でも桜井先生、井上くんをヒモにして道を閉ざそうとしてたよねっ?」
「それとこれとは話が別だ、立花先生!」
「何が違うんですか? 一緒じゃないですか」
「湯川、貴様は黙っていろ!!」
桜井先生と栞がぎゃあぎゃあ揉めること数分間。こうしている間にも、タイムリミットは迫っている。
唐突に、栞は「あ」と声を上げた。
「ねえ。今思いついたんだけど、メッセージアプリ上で、ヒロイン5人だけのトークルームを作っておくのはどうかしら。あたしが学校で井上の予定を聞き出して、その情報をヒロインのみのトークルームで共有すれば、デートの算段を立てるのはそう難しくないわよ」
「なるほどな。井上のお母様がチェックするのは、あくまでも井上のスマホだけ。井上が参加しているトークルームだけだ。これなら、デートの約束をしたことが親にバレる恐れはねえ」
珍しく、稲田さんも栞のアイデアを褒めた。
「ま、現状では肝心のデートをする方法がないわけだから、予定だけ立てても何にもならないけどね。なかなか妙案が出ないなあ」
もっともな指摘をして、六十刈先生が思案する。
「僕もそのトークルームに混ぜてもらえれば、僕経由で井上君に色々伝達することもできるけど……それはこの会合の、『ヒロインと必要以上にコミュニケーションを取らない』という部分に反してしまうからできないな」
「――デートをする方法は、追々考えるとしてだ」
仕切り直す桜井先生。
「ともかく、ヒロインだけのトークルームを作るというのは良いアイデアじゃないか? お母様の目が届かない場所なら、気兼ねなく相談できる」
「いいね! 私たち、普段は井上くんを巡って取り合いみたくなっちゃうこともあるけど、今だけは共同戦線を張ろうよっ! 皆で知恵を絞れば、きっと良い方法が思いつくよ~」
ああ、僕たちの天使、立花先生。ありがとうございます。というか、あなたくらいしかまともな人がいない!
僕が今まで読んだラブコメ作品に近い、ある種の理想ムーブをしてくれるのは立花先生だけだった。稲田さんと栞にいたっては、またしてもじゃれ合っている。喧嘩しているとも言う。
「ただし、井上との連絡係を湯川だけに任せるのはいただけねえなあ。何せ、あの湯川栞だ。俺たちには情報を渡さず、出し抜いて、一人だけ井上とデートに繰り出しちまうかもしれねえ」
「もしあたしがあんたたちを出し抜きたいなら、わざわざトークルームなんか用意しなくたっていいじゃない。偏差値は高くても、地頭は悪いみたいね」
「て、てめえ、受験生に対して何て言い草だ!」
「褒めたつもりだったんだけど」
「どこをどう見たら褒めてるように見えるんだよ⁉ てめえなんか、現代文の共通テストで爆死しちまえばいいんだ!」
「お生憎様。あたし私文だから、共通テストの結果はほとんど関係ないわ」
「それを言ったら俺も私文だよ馬鹿野郎!」
二人がヒートアップしているのを見かね、「どうどう」となだめる桜井先生。
「分かった、分かった。連絡係を誰にするか、デートをする方法をどうするかは後でじっくり考えればいい。今はまず、私たちヒロイン5人の間での連絡手段を確立しよう」
「ですねえ。じゃあ私、さっそくトークルーム作っちゃいます~」
この場で一番発言力がなさそうで、手持ち無沙汰そうだった星加さんが挙手。率先してメッセージアプリを操作してくれた。
「でも、リアルであいつと一番会いやすいのは事実、このあたしじゃない。あたしを連絡係にしないんだったら、他に誰がやるのよ? 別に結論を先送りにするなとは言わないけど、分かりきった答えを出すのを先送りにするのは愚策でしょ」
一方、色んな意味で発言力の塊である湯川栞は、いまだに抗議を続ける。たぶん、宿敵の稲田さんに噛みつかれたのが気に食わなかったんだろう。
「俺だって、家こそ遠いが、学校の場所はてめえらの高校からさほど離れてねえ。井上の高校の正門前で待ち構えて、首根っこ掴んで捕獲してやるぜ!」
「一昔前の不良みたいなことしてんじゃないわよ⁉ 学校中の噂になるわよ!」
稲田さん加入後の状況から僕が学ぶべきは、劇薬に劇薬を混ぜるとより悲惨な結果を招くという教訓だった。
「はいはい、その辺で~。今、皆さんをトークルームに招待しましたから、確認して下さいねえ」
小さく手を挙げ、ひらひらと振る星加さん。そのとき、六十刈先生が思い出したように腕時計を確認した。
「おっと、そろそろ一時間のタイムリミットだ。あと5分しかない。宴もたけなわではあるけれど、今日の会合はこれにてお開きにしようか。高校生2人の分は約束通り僕が奢るから、安心してね」
「――まだ終わってないわ!」
しかし、こういうときに異を唱えてこその湯川栞である。頑として首を振り、スマホの画面を全員に見せた。とりわけ、星加さんに対して。




