79 既成事実
「井上君からもう聞いてる人もいるかもしれませんが、僕、六十刈暁人は、彼に何度か協力を申し出ています。一回目は、デートの手引きをしてあげる代わりに、ヒロイン候補の中のどなたか一名を紹介してもらえないかと。二回目は、初回の手引きに限ってはノーギャラでやってあげようと。ですがいずれも、彼は断りました。どうやら、僕に人質を取られるように感じて嫌だったようです。繊細ですねえ、まったく」
「フン。さすが井上、よく断ったわ。あんたみたいな雰囲気イケメン、こっちからお断りよ!」
奢ってもらっている割には態度がでかすぎる、湯川栞であった。まあ彼女の場合、恋愛経験が豊富すぎて目が肥えているってのはあるかもしれないが。
他の面々も、今の話を聞いて少し警戒心を強めたように見える。よく知らない男性に紹介させられる可能性を考えれば、当然の反応だろう。立花先生は「私のタイプじゃない・よー!」と露骨に嫌がっていた。いや露骨すぎだろ。
「僕が雰囲気イケメンであるかどうか、皆さんの好きなタイプかどうかは、ちょっと置いておくとしてだ。……諦めの悪い井上君は、今度は勇敢にも、お母様へ渾身の直訴を試みましたよ。試みましたとも。でも結果は案の定、玉砕だったんですよねこれが。勇気と無謀は違うってやつでしょうかねえ。ともかく、彼は考えられる限りのあらゆる手段を尽くして、今の状況を打開しようとしました。で、現時点では、それらは全部失敗に終わっています」
ここで彼は、僕が用紙に書いていたことはすべて喋り終わったそうだ。ソースをかけたとんかつを美味そうに咀嚼してから、真剣な表情で続ける。
「今回僕が伝言を頼まれたのは、ヒロインの皆さんの知恵を借りたいからです。井上君は、自分一人では現状を打破することができなかった。僕の手を借りることも拒否した。あとは皆さんが頼りです。どうか皆さんの力で、彼を困難から救い出してやってはもらえないでしょうか」
ぐるりと一同を見回し、六十刈先生は問いかけた。
「――皆さんは、この件についてどう思います? 何か、良い考えはありますか?」
刹那、沈黙が場を支配した。
制限時間は一時間。僕が「士気が下がる」というワードについて別段深い意味もなく冗長に書いてしまったせいで、残り時間はあと30分と少しになっている。
あと30分で打開策を考え、皆で細かいところを詰めて決めていかなければならない。無言のプレッシャーが、5人のヒロイン全員にのしかかった。
静けさを破ったのは、星加さんだった。
「むむーん。駆け落ちするしかないですかねえ? 頑張って私が都会の大企業に就職して、井上君を養う、と」
「それは駆け落ちじゃなくて、抜け駆けって言うんですよ。大体、星加先輩のそのゴミみたいな経歴で、大手に入社できるわけないじゃないですか。現実を見なさいよ」
「う、ううっ……」
「ちょっとやめなよ、湯川ちゃん! 星加ちゃんが泣いちゃったでしょっ⁉」
言葉による容赦のないボディーブローを栞から受け、半泣きになってしまった星加さん。それを慌てて止めに入る立花先生。もはやお馴染みの光景である。稲田さんを投入したことで多少大人しくなると予想していた問題児、湯川栞は、その日も平常運転だったらしい。
「事実を言っただけで罪に問われるのなら、間違っているのは法律の方よ!」
立花先生に注意されても、こんなことを言ってふんぞり返っているくらいだ。反省の色が全くない。
ここまでくると、彼女の性格の悪さは自然災害クラスだと言えよう。災害に対して人間ができることは少ない。災害に備え、被害を最小限に抑えることはできても、災害が起こること自体は防げない。今度からあいつの仇名、「ディザスター湯川」にしてやろうか。あ、これ意外とかっこいいかも?
「色々とクセの強い人たちだとは聞いていたけれど、今ようやく、井上君の苦労を理解できた気がするよ……」
開き直る栞を横目に、六十刈先生は呆れたように呟いた。
そう、今回の会合の前、僕は先生に何度か忠告したのだ。「実際にヒロインたちに会って、後悔しても知りませんよ」と。あのときは話半分に聞いていたっぽい先生が、本気で後悔している。
「ならば既成事実を作り、無理やりにでも、井上のお母様に私との関係を認めてもらうか」
栞が暴れる一方、比較的まともなはずの桜井先生までもがとんでもないことを口にした。この人たち、ちょっと目を離すとすぐに抜け駆けしようとするな……。
おかしい。僕が読んだラブコメ作品(ヒロインが複数人出てくる系のやつ)では、こういうとき、ヒロインたちは一致団結するものなんだけれど。「私たちは皆、○○くんのことが好き!」「でも、私たちは恋のライバルである以前に、友達なんだから!」的なノリで、ちょっとやそっとのトラブルは乗り越えてしまうはずなんだけどなあ。どうしてこう、現実は漫画のようにスムーズに解決してくれないんだろう。
「どうやって既成事実を作るんだ? 会うこともままならねえってのに」
「想像妊娠する」
「さすが桜井先生、発想が斜め上だぜ!」
稲田さん、そこ絶対褒めるところじゃないだろ。
一応解説すると、想像妊娠とは、実際には妊娠していないのにもかかわらず、妊娠しているような症状が出ることを指す。妊娠に対して強い願望、あるいは恐怖を抱いている女性に見られるらしい。お願いだから、普通の男子高校生に対して妊娠の強い願望なんか持たないでくれ!
「皆さん、一回落ち着いて。抜け駆けするような、一人しか井上君と一緒になれないような案を出すのではなく、全員で助かる案を出すべきだよ。本人からもそういう風に承っている」
場を鎮めようとした六十刈先生だったが、彼はまだ、彼女たちのパワーの底知れなさを理解していない。




