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7 ジェニファーちゃん

 さて、立花先生との関係の方向付けは概ね完了した。

 この手のラブコメは、メインヒロインの攻略がある程度進むと、第2、第3のヒロインが続々と現れてくるものである。しかし、僕に幼馴染はいない。学校では基本的にぼっちなので、女子と必要以上に会話することもない。一人っ子だから、妹がヒロイン枠に立候補してくることもない。

僕みたいに孤独で変人で、かつそのことを妙に誇りに思っていさえする奇人を好きでいてくれるのは、立花穂乃花くらいだった。


 そもそも、これは個人的な意見だが、ラブコメ作品で第2、第3のヒロインたちを応援するとき、僕は少し複雑な気持ちになるのだ。彼女たちの中には、メインヒロインよりも可愛かったり、好みだったりするキャラもいる。けれども大抵の場合、彼女たちが最終的にメインヒロインに勝てることはない。一時的にリードすることこそあれ、正妻の座を射止められずに終わる。

 換言すれば、第2、第3のヒロインでは通常、メインヒロインに勝てない。どのみち勝てる見込みが薄い、敗色濃厚な女性キャラを推すことに、ある種の虚しさを覚えてしまう。それが僕、井上悟という男子高校生の悲しい性だ。


 逆に問いたい。恋愛ゲームに負ける可能性が高いキャラを、むやみにたくさん登場させる必要はあるのかと。いや、ない。先週、立花先生から教わった漢文の反語の知識が、思わぬところで活きた。……中には意図的に負けヒロインをたくさん出して、むしろ「多すぎる!」って感じのアニメもあるかもしれないけれど、まあ一般的にはないんじゃないだろうか。たぶん。断定はしかねるが。

 すなわち、何が言いたいのかというと、僕は立花先生だけで良い。信じてもらえないかもしれないが、僕は基本的に紳士で、一途な人間なのである。2人目、3人目のヒロインは出さなくて良いから、しばらくのんびりさせてほしい。



 惜しむらくは、僕のそんな心中を、先生は一ミリも察していないらしいということか。


「井上くんはさ、学校で気になる子とかいるのっ? なんかこの子良いかも、くらいの気持ちでも良いんだけど!」


 授業の十分前に家に来た立花先生は、準備をしながら、実にさりげなく探りを入れてきた。

 

『……本当に、僕なんかに惚れて良かったんですか? 大学にだって、かっこいい男はたくさんいるでしょうに』

『なんかねえ、無理してかっこつけたり、背伸びしたりしてる人が多いんだよっ。その点、井上くんは自然体でかっこいいのがバッチグーだよねっ! 地味に腹筋割れてるし!』


 海水浴に行ったとき、こんな会話をした。

 僕が「先生には大学でもっと素敵な相手が見つかるのではないか」と考えたように、先生のまた「井上くんが高校で彼女作っちゃったらどうしよう!」とかって考えているのだろう。



「いませんよ」

「えっ、一人もいないのっ? ほんとに?」


 はてなと小首を傾げ、立花先生が顔を近づけてきた。


「僕には第2、第3のヒロイン候補を出すつもりはありません。そういうフラグは立てないことに、昨日決めたばかりなんです。てか、何でそんなこと聞くんですか」

「井上くんの将来の彼女は、私だからだよっ! 浮気はダメ!」

「まだ付き合ってないのに、浮気も何もないでしょう!」


 先生にウインクされた。が、上手くできてなくて、両目とも瞑りそうになっている。それはただの瞬きではないだろうか。

 僕は束縛されるのが苦手だ。ここできちんと反論しておかないと、今後、僕は立花先生の許可なしに自由恋愛できなくなってしまう。すうっと軽く息を吸い込んでから、僕は言った。



「先生、僕たちは一緒に出かけることこそあれ、交際はしていません。男女の関係ではありません。だから、そういうのは違うと思いますよ。フラグを立てるのを恐れずに白状すると、僕にだって気になる子くらいはいます」

「いるんかいっ!」


 ガクッと倒れそうになる立花先生。


「そっかあ。そうだよね。年上の私なんかより、同年代の子の方が親しみやすいもんね……」

「僕を誰だと思っているんですか、先生。これまでの人生で恋愛経験ゼロ、真の恋愛弱者たる井上悟ですよ。僕は経験が不足しすぎているので、自分の性癖がどういう系なのかすら把握しかねているんです。どれくらいの年齢の女性が好きかなんて、よく分かりませんよ。ただ一つ言えるのは、その子の体つきが絶妙にむっちりしてて、エロく感じるということだけです――学年でもトップクラスに性格が悪いのが、玉に瑕すぎるんですけど」

「年齢じゃなくて体型の問題だった⁉」


 さらに落ち込んだ先生は、僕の学習机に寄りかかるようにして軽い体重を支えた。片手はこめかみを押さえている。


「井上くんは、スタイルの良い女の子が好きなんだねっ。私だって頑張ってるんだけどなあ……。週2でバドミントンサークルに通ってるし!」

「なんか緩そうなサークルですね」


 通う頻度が思ったより低かった。少なくとも、ガチでやってる感じではなさそうだ。


「一応聞きますけど、飲みサーではなく?」

「ううん、健全! ただバドミントンをするだけだよっ!」

「なるほど。大人のバドミントンはしないんですね」

「何それっ⁉ どういう意味?」

「あ、すみません。言ってみただけです。特に深い意味はないです……」



 そんなこんなで、英語の授業開始。今日は関係代名詞をおさらいした。


「では、井上くん。関係代名詞とは何か説明できるかなっ?」

「はい。えーと、関係代名詞というのは……たとえば、『その女性は英語を話せます』『その女性は私の先生です』という二つの文があったとして、それらを合体させて『英語を話せるその女性は私の先生です』ってな感じにするやつですよね」

「正解っ! 模範解答だね!」


 まあ、教科書をちらちら見ながら回答したので、正解していて当たり前なんだけれども。先生も、そうと分かっていながら褒めてくれている感じだ。謎の敗北感。

 机の上で開かれている教科書のページには、「The woman can speak English.」「The woman is my teacher.」とあり、その下段に「The woman who can speak English is my teacher.」と書かれている。「who」だけ赤文字だ。分かりやすい。


「こうすることで二つの文をまとめて、スッキリさせられるんだよねっ! 関係代名詞を使った方が、文章の質が良くなるんだよ!」

「そうとも言い切れないんじゃないですか、先生」


 僕はそこで挙手し、ノートにシャーペンで日本語の文章を書いた。



(ジェニファーは魔剣を扱える。そしてジェニファーは、俺の剣の師匠だ)

(魔剣を扱えるジェニファーは、俺の剣の師匠だ)



「この二つの文を見比べてみて、どっちがかっこいいと思います? 僕は前者の方がイケてると思うんですけど」

「う、うーん……確かに、文が二つに分かれてる方がかっこいいような。でも、ちょっとくどくないかなっ?」

「いや、立花先生はライトノベルを分かってません!」


 いつになく真剣な眼差しを先生に向け、僕は熱く語った。自分の趣味のことになると途端に饒舌になるのはオタクっぽくて、というかオタクそのもので嫌だが、しかし自分の文章センスを否定されたくもなかったのだ。


「一般文芸ではそんなに見かけない手法かもしれませんが、ライトノベルにおいて、こういう風に意図的に反復表現を行うことは割とよくあります。あえて冗長に繰り返すことで、独自のかっこよさを引き出すんです」

「それは分かったけどっ、まずジェニファーって誰? どこから出てきたのっ? あと、教科書の例文をライトノベルみたいにしないで!」

「この前見たB級ホラー映画で、一番最初に鮫に食べられたのがジェニファーって女の子だったんですよ。設定をラノベ風にしたのは、単にその方がかっこいいと思ったからです」

「可哀想なジェニファーちゃん……」


 目を閉じ、立花先生は合掌した。黙祷を捧げているらしい。



「あ、そうそう。ちなみにそのジェニファー、食べられた直後に鮫の腹を内側から突き破って脱出したんですよ。恐ろしい怪力の持ち主で、女子砲丸投げの元オリンピック選手だったことがのちに判明します。彼女、鮫を対峙するための特殊部隊のリーダーに任命されて、終盤では鮫をちぎっては投げちぎっては投げの大活躍でした」

「私が思ってたストーリーと全然違うっ⁉」


 悲劇のヒロインとは程遠く、むしろ女主人公ですらあるジェニファーちゃんだった。


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