77 六十刈先生の代理会合
11月もじきに終わる、4週目。
六十刈先生の指導の下に勉強していたある日の講義中、彼は突然言った。
「井上君」
「何ですか?」
「君、なかなかどうして強情だよねえ。僕の提案をちっとも受けようとしない」
「もっと良い条件を提示してくれない限り、受ける気はありませんよ」
サラッと受け流して過去問演習に集中しようとした僕だったが、続く言葉に手を止める。
「――そう言うだろうと思って、また少々変わった提案を持ってきたよ」
スパイラルパーマに丸眼鏡の青年は、意味深に笑った。
「井上君がハイリスクハイリターンを嫌うのなら、僕は新たにローリスクローリターンの案を示そう」
「どうでもいいですけど、ローリスクローリターンって何だかすごくロリっぽいですよね。ロリロリしてます」
「本当にどうでもいいね……」
「僕を誰だと思ってるんですか。小学校高学年になるまで、某児童文学の作者名をJKロリキングだと誤解していた男ですよ」
「自慢できるようなことじゃないでしょうに」
苦笑する六十刈先生。この人を半ば無理やりツッコミ担当にできたのは、何だかんだである程度絆が深まった証なのかもしれない。清廉潔白な紳士ではないとはいえ、彼は彼で見返りさえ与えれば他人のために動いてくれるのだ。
「それで、先生。ローリスクローリターンな案とは一体?」
「うん。今度の案は、僕がデートの手引きをするわけじゃない。僕はあくまで、メッセンジャーの役を担うだけだ。要は、井上君の伝言をヒロインたちに伝えるってわけだね。今じゃ、アプリ上で好きなようなメッセージを送り合うことすらままならない君に代わって、僕が君の言葉を彼女らに伝えてあげよう」
「……まさか、また誰か1人紹介してほしいなんて言わないでしょうね」
「ローリスクだと言っただろう? そんな無慈悲な真似はしないさ」
六十刈先生は肩をすくめた。
「僕は今回、ヒロインたちと必要以上にコミュニケーションを取らない。口説くなどはもっての外さ。また、万が一にも君のご両親と鉢合わせたら大変だから、ヒロインとの秘密の会合は、郊外にある個室ありの店で行う。一時間以内に会合を終わらせ、延長はしない」
ほほう。思った以上に好条件だ。
「つまり、先生はノーギャラで引き受けてくれるという解釈で合ってますか?」
「ギャラと言えば、ヒロインたちの顔を拝めるだけで僕にとっては十分だよ。このサービスは、初回無料で使っていただいて構わない」
「……逆に、次回以降は何か見返りを求めるんですか?」
「そうだねえ。まだ決めてないけれど、たとえばヒロイン誰か1人の紹介とか、何か要求するかもしれない。僕は風のように気まぐれだから、どうなるかは今のところ未定だね」
やかましいわ。
いちいち「風のように」とかキザな形容しなくていいよ!
まあでも、この提案、今まで先生が出してきたものの中では一番条件が良いんじゃないかという気がする。どうしよう、受けようか。
僕が提案を呑むメリットとしては、「間接的にではあるがヒロイン全員とコンタクトが撮れる」「初回はデメリットなし」が挙げられる。一方で六十刈先生の側も、ノーギャラでやってくれるように見えて「ヒロインたちの顔ぶれをチェックできる」という利点がある。いずれ誰か1人紹介してもらえないかと期待している彼にすれば、今の時点で5人のことを軽く探り、「さて誰を紹介してもらおうか」と目星を付けられるのは大きい。
ヒロインの立場で考えれば、親の監視の目を逃れて僕とやり取りできるのはメリットといえる。初対面の六十刈先生と同席するのは気まずさもあるだろうけれど、必要以上にコミュニケーションを取らない約束ならばギリギリ許容範囲内じゃないだろうか。もし範囲外だったら、僕が土下座しよう。
僕はしばらく考え、講義が終わる5分前になってようやく、返事をした。
「分かりました。その提案、受けましょう」
「というわけで、僕が来たってわけなんですよ」
以下に述べる会合の詳細は、のちに僕が六十刈先生から聞いたことを元に、「大体こんな感じだろう」と推測、もとい脳内補完したものだ。そのため、細かい部分がちょっと違うかもしれないけど、まあ大目に見てほしい。
街外れにある、ちょっぴり高めの定食屋さん。そこの個室で5人のヒロインを前に、週末、先生はとても愛想よく話したそうだ。
立花先生たちはというと、じーっと疑わしげな視線を彼に投げかける。そりゃそうだろう。新しい家庭教師の人がメッセンジャーの役を買って出て、急に皆を集めたのだから。
間もなく、各々が注文した定食が運ばれてきた。なお会計は、JKである栞と稲田さんの分は六十刈先生が出し、他3名は自腹にしてもらったらしい。水を一口飲み、とんかつ定食の千切りキャベツの部分にドレッシングをかけながら、彼は言った。
「いやはや、井上君が厳格なお母様にスマホを監視されているから、苦労しましたね。痕跡を残さないように細心の注意を払って、ヒロイン候補の皆さんの連絡先を教えていただき、そして会合の日程を決めて連絡させていただきました。……しかし、粉骨砕身で頑張った甲斐がありましたねえ。今日こうして、美しい方々にお会いできたのですから」
「はいはい、お世辞は結構です」
栞はいつもの調子で、六十刈先生の台詞を遮った。彼とは目を合わせようともせず、ハンバーグ定食のハンバーグをナイフとフォークで切り分けるのに夢中だ。
後で聞いたところによると、奢ってもらえるのをいいことに、栞はランチメニューの中で一番高いのを頼んだらしい。一応敬語を使ってはいるけれど、本当にこいつ、年上への敬意ってものをどこかに置き忘れてきている。桜井先生にかき氷を奢らせたときから何にも変わってねえ。
「で、あいつからの伝言ってのは何なんですか? あたし、早く知りたいんですけど」
「ちょっと待ってね」
にこやかな笑みを絶やさず、脇に置いたトートバッグからクリアファイルを取り出す六十刈先生。ファイルからさらに、1枚のA4用紙を引っ張り出す。
「てめえ!」
その様子を見て、稲田さんはオーバーリアクション気味にのけ反った。
「まさかその紙、名前を書かれた人間が死ぬっていう例のノートの切れ端じゃねえだろうな⁉ あれ、切れ端でも効力があるんだぜ!」
何か重要な事実に気づいたのかと思ったけれど、実際はただ、緊張しまくった空気を和ませようと、わざとボケに走ったのだそうだ。何それ、不器用な優しさかよ。
しかも元ネタが、立花先生のときと同じくらい昔の作品だった。20年くらい前のだろうか。本当にJKなのかどうか疑わしくなる――なんて言ったら本人は怒るだろうから、黙っておこう。
「ええと、稲田愛さんだっけ? 面白い冗談を言うねえ。でも、もし僕がそんなものを持っていたら、とっくの昔に世界を滅ぼしていると思うよ。あっはっは」
「笑い事なのか⁉」
「笑えるさ。だってこれ、何の変哲もない、井上君からの伝言メモだから」
ひらひらと紙を振ってみせ、丸眼鏡の青年は続けた。用紙には、何やらびっしりと文字が羅列されている。
デジタルなやり取り、換言すればメッセージアプリ上の会話は母に見られる危険性がある。一周回って、こういうアナログな伝達方法が一番安全なのだ。これはよく言われることだけれど、IDやパスワードを保存する際も紙に書き留めるのが良いらしい。
「じゃ、読むよ? えーと、士気が……」




