74 こんがらがった関係
翌週。
11月も後半。僕はある日の放課後、六十刈先生の指導の下で勉強していた。
「おやおや、井上君」
出された演習問題を従順にこなしていた僕を、先生が横から覗き込む。
「このところ、あまり勉強に身が入っていないようだね。さては、ヒロインたちのことで悩んでいるのかな?」
「違いますよ」
「違っているのは、君が今解いた問題の方だよ。ほら、ここの問いはアが正解だ。ウの記述は後半に誤りを含んでいる」
爽やかに笑って、六十刈先生は僕の肩をぽんと叩いた。
「どうだい? ここらで一つ、息抜きにヒロインたちとまたデートしてみるというのは」
「その手には乗りませんよ。彼女たちのうち1人を先生に差し出すことはできません」
シャーペンを一旦置き、断固として首を振る僕。これで引き下がってくれたらなという希望的観測は、あっさりと裏切られた。
「よし分かった、ではこうしよう」
手を変え品を変え、交渉してくる六十刈先生である。肩から手を離し、言った。
「大抵のサブスクってさ、無料でお試しできる期間が設けられてるだろう? あれみたいなものだと考えてくれればいい」
「……?」
「おっと失礼、回りくどい言い方になってしまったかな。つまり、初回無料にしてあげると言っているんだ。この初回のデートの手引きに関して、僕は一切のお代を請求しない。神に誓ったっていいよ」
予想外の展開だ。僕の強情さに手を焼いたのかは不明だけれど、今回、スパイラルパーマに丸眼鏡のこの男は、目に見えて態度を軟化させてきた。
「もちろん、この一回だけ試してみて、次回からは僕にデートの手引きを依頼しないってのもOKだ。井上君にとっても、悪い話じゃあないはずだよ?」
「結構です」
が、僕は再度首を振った。
「タダより高い物はない、と言いますし」
「じゃあいっそのこと女の子は抜きで、僕と君の二人だけでどこか出かけてみようか」
「誰が得するんですかその展開⁉」
需要がなさすぎる!
「一部の腐女子は喜ぶかもよ? 本当に、ごく一部だろうけどさ」
「……ちなみに、どっちが攻めでどっちが受けの設定なんです?」
「僕は孤高に煌めく攻めでもあり、気高く輝く受けでもあるのさ」
「ルパパトの追加戦士⁉」
よほど運動神経が良く、フランス語がペラペラで、かつイケメンでないと務まらない役柄だと思う。まあ六十刈先生だって相当お洒落な部類なんだけど、ずば抜けて美形というわけではない。
「ま、そんな冗談はさておき」
金銀の追加戦士が瞬時にフォームチェンジするように、先生も話の切り替えが巧みだった。
「井上君、これが今君のしていることだよ。何の代償も払わずに全員が幸せになれる方法を探した結果、何もできなくなっている。袋小路に迷い込んでいる。それが君だ」
「まあ、否定はしませんけど」
「そう意固地になるなよ、井上君。たとえ何かしらの代償が発生するのだとしても、何もできないよりは何かした方が良いに決まってる。青春は、高校生活はたった一度きりだ。せいぜい後悔のないようにするんだね」
「留年すれば何回でもやり直せますけどね」
「でも、親は泣くよ」
ごもっともである。
昨今は、いわゆる異世界転生ものが流行っている。留年というのも、現在の学力をセーブした状態で同じ学年をやり直せるわけなのだから、現代における一種の転生かもしれない。ただし異世界転生との大きな違いは、全然かっこよくない上に周囲の人間が残念がるという点だろう。
「それで井上君は結局、僕の提案を受ける気がないという解釈で良いのかな?」
「ええ、まあ」
僕は曖昧に頷いた。
「了解したよ」
また気が変わったら言ってくれ、と先生はさほど残念そうでもなく微笑んだ。
六十刈先生の言うことも、あながち間違っていないような気はする。人生なんてつまるところ、何か代償を払わなければ何かを掴み取ることはできないのかもしれない。僕のやろうとしていることは、ひどく虚しいのかもしれない。
それでも今はまだ、悪魔の囁きに耳を貸す気にはなれなかった。
思えば、六十刈先生のことを星加さんにだけ打ち明けるのも公平でない。
アプリでメッセージを送り合うのは最低限に留めなければならず、いつ母親に会話内容を監視されるかも分からない。だがせめて、直接会う機会のある相手くらいには話しても許されるのではないだろうか。
そんな理屈で己を納得させ、僕はあくる日の昼休み、栞を校内のいつものスポットへ、具体的には中庭のベンチへ呼んだ。そして、両親に僕たちの関係が露見して以降の出来事を語った。
さすがに、星加さんがクリスマスプレゼントと暫定メインヒロインの決定を同時に前倒しでやろうとしてきたことは黙っておいた。何せ、湯川栞のことだ。こんな秘密を明かした暁には、星加さんを精神病院送りにしかねないレベルのとんでもない嫌がらせを敢行しかねない。
「何よ、それ」
六十刈先生の狡猾な提案の内容に話が及ぶと、栞は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「人質を要求してくるだなんて、卑劣な奴ね。あんたが断ってくれて本当に良かったわ。たとえ初回無料なんだとしても、こっちから願い下げよ」
久しぶりに栞と意見が合った気がする。
「あ、でも星加先輩を人質として差し出すって手が残ってたわね! さすが私、冴えてるわ。そうと決まればさっそく六十刈先生とやらに連絡して、先輩を生贄に捧げましょ!」
「いくら何でも星加さんの扱いが悪すぎるだろ!」
僕はため息をついた。直後、首をかしげる。
「……ん? 待てよ。そういえば本人に確認できていなかったけれど、『5人のうち選ばれなかった1人を紹介してほしい』って、本当はどういう意味で言ったんだろう?」
「何よ。そのままの意味じゃないの?」
「いや、二通りの解釈ができるよ」
星加さんに郷土料理セットを届けてもらったとき、彼女は「湯川ちゃんが選ばれるの⁉ やったあ!」などと喜んでいた。今回の栞も、「星加先輩を差し出せば良いわ!」と張り切っている。そんな二人の態度を見て、僕はようやく自分の思慮の浅さに思い至った。逆に、なぜ今まで考えつかなかったのか不思議なくらいだった。
「一つ目の解釈は、選ばれなかった4人の中から、六十刈先生が好きな1人を選べるという意味。もう一つは、選ばれなかった4人から僕が1人選び、その決定を六十刈先生はほぼ無条件に受け入れるという意味だ。どっちの解釈なのかで、僕たちの取れる選択肢がまるで違ってくる」
「なるほど。確かに、星加先輩を人質枠にぶち込めないのはだいぶ痛いわね……」
「もう可哀想だからやめてあげてよ!」
大真面目に悩まないでほしい。
「とにかく、これはかなり重大な解釈だと思う。今度、先生本人に確認してみるよ」
「いやいや、何でそうなるのよ!」
慌てて僕を止めようとする栞。
「そんなこと聞いたが最後、『僕が1人選べるという意味で言った』と言われて、本人に都合のいい展開にされておしまいじゃない。あえて確認せず、すべてが終わった後で『ええっ? 僕が選んだ1人を紹介するって意味だと思ってたんですけど』『今更そんなこと言われましてもねえ』『曖昧な言い方をした先生が悪いんですよ』でゴリ押して、反論を封殺するべきよ!」
「余計こじれそうだからやめてくれよ……」
頼むから、これ以上話をややこしくするな! いや本当にマジで。ただでさえこんがらがってるんだし。




