73 本気の覚悟
「でも、六十刈先生の誘いを蹴ってしまった以上、いよいよ両親の目を盗んでデートする方法がなくなっちゃいそうなんですよね。僕一人じゃ良いアイデアが浮かばないので、星加さんの知恵も貸して下さいよ」
「む~ん。いっそのこと、複数人のヒロインとのデートは今後なしにして、今の時点で暫定のメインヒロイン1人を選出するのはどうかなあ。で、選ばれた一人とは今は会えないけど、受験が終わってから本格的なお付き合いをしていくというのは?」
「この中途半端な状態じゃ、まともに選べないですよ」
またずいぶんと思い切った提案だなと思いつつ、僕は首を振る。
「確かにその方法を取れば、デートしたくてもできない悲しみを味わうのは暫定のメインヒロインだけに留まります。けど、選ばれなかった4人はそれ以上に悲しいはずでしょう。正直、あまり良い解決策ではないかなと」
そんな打ち切り漫画みたいな終わり方は、僕の目指すところではない。目指す以上は、ハッピーエンドを目指すべきだ。夢物語だと笑われるかもしれないけれど、誰も傷つかずに済む結末を僕は模索したい。
稲田さんとは出会って間もないわけだし、接触頻度の均等の観点からも、もっとデートの回数を重ねてから結論を出すべきだろう。
「そっかあ。変なこと言ってごめんねえ」
困ったように微笑し、星加さんは不意に「はいこれ」と箱を手渡してきた。左手で大事に持っていた、紙製の手提げ箱だった。
「……え? これ、僕にくれるんですか? 他の家に配達するやつじゃなくて?」
「うん~」
「あ、ありがとうございます。開けてみても良いですか?」
「いいよん」
いつにもまして緩い感じである。
その頃にはもう郷土料理セットを食べ終えていたので、ではデザートをいただこうかなと、僕は彼女から貰った箱を開封した。
中に入っていたのは、一切れのチョコレートケーキだった。それも、とても華やかで高級そうな。フリーターであり、決して経済的に豊かではないはずの星加さんにしてみれば、かなり思い切ったプレゼントだったのではなかろうか。
おそらく生チョコだろうか、濃厚なチョコが惜しげもなく使われ、スポンジもふわふわだ。上部には、チョコレートソースで何やら複雑な模様が描いてある。
緩い感じで返答していたのは、照れ隠しだったのだろう。頬をほんのり赤く染めた星加さんは、「私からのプレゼントだよ」と恥ずかしそうに言った。
「だから、食べて?」
「い、いただきます」
どうしちゃったんだよ、今日の星加さんは!
半強制的なキスや積み立ておっぱいといった色仕掛けをしなくたって、彼女はめちゃくちゃ可愛い。至極当然なことだが、僕は改めてそう認識せざるを得なかった。
女の子からプレゼントを貰って、嬉しくない男はこの世にいない。そのプレゼントが絶品なら尚更だ。誇張抜きで、今までの人生で食べたどのケーキよりも豊かな味わいだったと断言できる。
「お、美味しすぎる……! でも、一体どうしたんです? こんな高そうなケーキを、突然渡すなんて」
「今日だからこそ渡したんだよ~」
星加さんは笑っていた。笑っていたけれど、どこか悲しそうだった。
「来月、クリスマスでしょ? 私たち、今後いつ会えるか全然分からないからさあ。一か月以上早いけど、前倒しで、渡せるときに渡しておきたいなって思ったの。私から井上君への、クリスマスプレゼント」
「星加さん……!」
何て健気なんだ。無理やり胸を揉ませるなどの前科さえなければ、今ので僕は完全に彼女にノックアウトされていたかもしれない。
色物っぽいキャラから色物要素が抜け落ちたとき、あとに残るのは王道のみ。王道の可愛さが、今まさに僕を貫いた。
「立花先生から聞いたの。井上君、立花先生や湯川ちゃん、桜井先生とは、一緒にお弁当を食べたりおかずを交換したりしたことがあるって。私はお弁当の配達をしたことはあるけど、自分が用意したものを井上君にあげたことはなかったから。だから、せめて最後に、私も皆みたいに何か贈りたいなって」
「最後なんて言わないで下さいよ」
今生の別れかのように悲愴な表情の星加さんを、僕は慌てて励ました。
「また何か、出前頼みますから。すぐに会うのは無理かもしれませんけど、いつか必ず会えますよ」
「……ごめん。気持ちは本当に嬉しいんだけど、私たち、もう会わない方がいいと思う」
僅かに目を潤ませ、彼女は俯く。
「さっき私、暫定のメインヒロインを選べばいいんじゃないかって提案したよね? あれ、突拍子もなく聞こえたかもしれないけど、私なりにじっくり考えた上で提案したんだよ~。これ以上、今の歪な関係を騙し騙し続けるのには、どうしても限界があるもん」
そう、歪だ。
僕の心が歪んでいるように、僕たちの関係もまた普通ではなく、歪んでいる。どれだけ目を逸らそうとも、歪んでいる事実は変わらない。
かつて星加さん自身も指摘したように、複数のヒロインとなるべく均等なデートの機会を持ち、あろうことか男1女2でのお出かけさえ敢行している僕らは、端的に言って変だ。僕が皆の幸せを願って、僕なりに考えて動いた結果、歪みが生じている。もし両親が僕たちの関係に気づかなかったとしても、きっと他の、何らかの障害が発生していたに違いない。
ある意味、全部僕のせいと言っても過言ではない。
星加さんはその歪みをすべて受け止めた上で、今日が僕と会える最後の日になるかもしれないとまで思い詰め、一か月も前倒しでクリスマスケーキを持って来てくれたのだ。今すぐに暫定のメインヒロインを決定し、恋愛バトルロワイアルに決着がつくことさえ覚悟していた。
底知れぬ決意の下、彼女は今日、僕の家を訪ねているのだ。
「井上君。私、本気だから。覚悟はできてるし、後悔もないから」
「……星加さん」
僕は彼女の手を取った。はっと顔を上げる星加さんの目を覗き込み、告げる。
「正直に言います。今日の星加さん、すごく素敵でした。もし、今この場で暫定のメインヒロインを選出しろって言われたら、僕は星加さんを選んでしまうかもしれません」
でもそれは、と僕は刹那、感情を剥き出しにした。
「他の皆に対して、とても不平等なことだとも思います。だって、そうでしょう? 皆と会えない中、こうして隠れてこっそり会って、二人だけで勝手に結論を出してしまうだなんて、皆に納得してもらえるとは思えない。あくまで皆と話し合って決めるべきです」
星加さんが魅力的な女性なのは本当だ。ただ彼女は、ずるいのだ。僕が歪んでいて間違っているのなら、星加七海は正しくない。一見すると間違ってはいないけれど、かといって正しくもない。
本人がどこまで計算してやっているのかは知らないが、もっともらしい主張を述べつつも最終的には自分が得をするように動くのが、彼女の常だ。「接触頻度(=一緒に過ごした時間)と愛情の大きさは比例しない」的なことを言ったときにしたって、これから恋愛バトルに参戦する自分の立場を有利にしようと画策していた可能性はゼロではない。
そんな風に覚悟を持って迫られたら、メインヒロインに選んでしまいたいという強い衝動に駆られてしまう。抗いがたい強い引力を感じる。それはきっと、正しいことではない。
「けど、メッセージアプリでも最低限の連絡しかできないんでしょ?」
「それはそうですけど……無理でも何でも、やるしかないでしょう」
僕より一回りも二回りも小さく、不安そうに震えている手を、軽く握る。
「できそうにないと思えるからこそ、夢や目標ってのは存在意義があるんですから」
こうして僕は、六十刈先生の誘惑を跳ね除けただけでなく、星加さんの提出した早期決着案さえも却下してしまった。自分で自分の首を絞め、選択肢を少しずつ減らしている。
でも、不思議と後悔はない。
『井上君。私、本気だから。覚悟はできてるし、後悔もないから』
あいにく僕も本気だし、覚悟はできているのだ。




