70 狡猾なる取引
「気を悪くしたのなら申し訳ない。でも僕は、本当に可哀想なことだと思っているんだよ。この時期に親からそんなことを言い渡されたら、勉強が手につかなくなっても不思議じゃない。ま、だからこそ僕が派遣されたのかもしれないけどさ」
自己紹介を簡単に済ませるやいなや、六十刈先生は母から聞いたらしい僕の近況について矢継ぎ早にお気持ち表明してきたのだった。
「目の下のくまが目立つね。昨夜はあまり眠れなかったのかい?」
「はあ」
眠れるわけがないだろう。
怒れる母が去った直後、トークルーム内はお通夜のようだった。立花先生が「ごめんね。私が通話したいだなんて言ったから、こんなことになっちゃったんだよねっ。本当にごめん!」と泣きじゃくり、皆で懸命に彼女をなだめていた。
僕と同年代ということであまりおとがめを受けなかった栞や稲田さんも、ご機嫌斜めだった。前者は「なんか消去法であたしたちだけギリセーフみたくなってるけど、こんな方法で他のヒロインたちに勝っても全然嬉しくないわ!」と怒り出し、後者も「そうだぜ! 正々堂々と勝負して勝ち取ってこそだろうが!」と同意していた。
特に栞の場合、アプリ上では最低限のメッセージ送信のみとはいえ、学校に行けばいつでも会えるわけであって、やろうと思えば学校内で二人の時間を過ごすことも不可能ではない。図らずもこの恋愛バトルにおいて一人勝ちに近い状況になったわけだけれど、本人は断固として自分に有利すぎる現状を認めようとしなかった。
「どうだろう、井上君。今日の講義内容に入る前に、僕から一つ、魅力的な提案があるんだけどな」
「自分で自分の提案を魅力的だとか言わないで下さいよ。胡散臭いですよ」
「事実なんだからしょうがないだろう?」
この人、もしやナルシスト気質か?
にっこり微笑んで、六十刈先生は言った。
「井上君。君が望むのなら、僕が君とヒロインたちのデートを手引きしてあげてもいい」
「……え?」
「しっ、静かに。あまり大きな声を出すと、またお母様に目を付けられてしまうよ」
声を潜め、顔を近づけてくるスパイラルパーマの男。何だか良い香りがする。香水をつけてるんだろうな。
「僕なら家庭教師の立場を使って、君を校外模試だとかプレテストだとか、とにかく何か口実を作って、家から連れ出すことができる。実際はその時間に模試や講義は行わず、君は好きなヒロインとデートしてこれるって寸法さ」
なるほど。母は何も、僕がメッセージアプリで彼女らとどんな会話をしているかまで、細かくチェックしようとはしていない。ならば外出する理由をでっち上げ、ヒロインたちとデート前に連絡し合っておけば、デートできなくはないというわけか。
「今、君一人がお母様に『図書館で勉強してくる』なんて嘘をついたところで、すぐに看破されるか疑われるのが関の山だ。僕の口添えがあれば、密会の成功確率は跳ね上がる」
「お気持ちは嬉しいんですけど……でも、それだと先生にはリスクこそあれメリットがなくないですか? 万が一このことが母にバレたら、今度は先生の首が飛びますよ」
「ま、別に家庭教師のバイト一本でやってるわけじゃないからねえ。ちょくちょくコンビニバイトのシフトを入れて廃棄を貰ったり、試験監督の単発バイトで、ただ教室内に立ってるだけで楽に稼いだり。他にも、フリマサイトでの物販でそこそこ設けてるよ。効率良く稼ぐ方法なんて、世の中には星の数ほどある。このバイトができなくなったところで、僕にはほとんど何のダメージもない」
失うものがない人間は、ある意味最強だ。いっそ清々しいほどのこだわりのなさを見せ、先生は補足した。
「もちろん、仕事をする以上は君へ的確な指導をさせてもらうから、そこは信頼してくれて大丈夫だよ。これでも高校では秀才だったんだ。底辺の私立高校だったけど」
井の中の蛙じゃないか!
「先生にとって、リスクがほぼないことは分かりました。それで、メリットの方はどうなんですか。まさか、僕をからかって楽しんでるんじゃないでしょうね⁉」
「そうだね。ただ働きというのは性に合わない」
先生は鷹揚に頷き、とんでもないことを言い出した。
「君に協力する見返りに、君がその恋愛バトルロワイアルとやらで選ばなかったヒロインのうち一人を、僕に紹介してもらうというのはどうだろう」
「なっ……」
つまり、5人のうち誰か1人を自分に差し出せということか。そんなこと、あっていいのか。いいはずがない。
「六十刈先生。彼女たちの僕への気持ちは、真剣そのものです。だからこそ僕も、真剣に選ぼうとしてるんです。僕にフラれたからって『じゃあ次は六十刈先生と』って簡単に紹介するような、皆の気持ちを無視するような真似はできません」
「おっと。もちろん、すぐに紹介してくれとは言わないよ。ほとぼりが冷めた頃で構わない。失恋の記憶が薄れ、選ばれなかったヒロインがまた新たな恋がしたくなった頃でね。……それに、僕がお願いしているのはあくまで『紹介』だけだ。実際に会ってみて、波長が合わないと感じたら、もう会うのはそれっきりにしても良い。僕と付き合うことを女性に強制するような、そんな悪魔のような真似はしないさ」
男子高校生に女性の紹介を頼む男子大学生の姿が、そこにはあった。男としてはちょっと情けない気がするけれど、相手の弱みに付け込み、隙あらば主導権を握ろうとするしたたかさはやはり悪魔のごときである。
六十刈先生は頭が良く、ルックスも悪くない。モテるかモテないかで言えば、間違いなくモテる部類に入るはずだ。こんなお洒落な男性と付き合ったら、普通の女の子だったら楽しいんじゃないかとは思う。
でも、立花先生たち5人が想いを寄せてくれているのは僕だ。先生じゃない。仮に僕に選ばれなかったからといって、時間の経過で記憶が薄れたからといって、いずれ先生と会うよう仕向けるのは間違っているように思えてならない。
ニヤリと笑い、「で、どうだい?」と尋ねる先生。
「井上君。僕の提案を呑むのか、呑まないのか。返事を聞かせてもらおうじゃないか」
「……お断りします」
「おおっと?」
目を丸くし、先生は上体を軽くのけ反らせた。
「よく考えた方がいいよ、井上君。現状、君にヒロインたちとデートする手段は何一つないんだ。そして、僕ならそれを提供できる。君が差し出すべき見返りは、君が選ばなかった女性たった一人でいいんだよ。悪くない話だと思うんだけどなあ」
「……僕は、5人全員に幸せになってほしいんです」
その眼差しを真っ向から受け止め、僕もきっぱりと言い返す。




