62 過去の告白
「最初に出てきた、たすき掛け? みてーな奴だな。解説を読んでも、復習しても、なぜこうやって解けるのかが全然分からなくてよ。俺、一応中学までは優等生だったから、自分がクラスの中でみるみる落ちこぼれていくのがショックでな」
「僕は最初のうちは必死に授業についていってたけど、微分積分でつまずいた辺りでダメだったね。あと、物理基礎もまるで歯が立たなかった。理系の人たちは、よくあんないばらの道を突き進むなあと思うよ」
「俺たち、似た者同士だな!」
「だね」
嬉しそうに笑う稲田さん。
できればこういうかたちで似た者同士にならない方が良い気はしたけれど、謎の連帯感を得た僕らは受験トークを続行した。
「一年生のときから計画的に文系科目に特化するって、すごいよね。僕なんか、いつまでも往生際悪く、付け焼き刃かつ惰性で、理数系も勉強してたからさ。特にこれといった方針を立てて勉強してたわけでもなく、ただ何となくね」
「いやいや。たとえ惰性でも勉強を続けられるのは、一種の才能だぜ。継続は力なりって言うしな」
「厳密には、一回だけ図形分野のテストで高得点を取れたんだけど、『僕みたいな雑魚でも一夜漬けでやれば高得点取れるんだから、数学って奥深さがないな』と思って、それからは逆に勉強するのをやめた」
「ひねくれすぎてる⁉」
まあ、それ以来全く勉強しなかったわけじゃない。たまに桜井先生に数学を教えてもらって、赤点を回避できる程度の能力は身につけている。
「……でも、割とマジで、結果が伴わなかったとしても愚直に努力を重ねられるのは才能だと思うぜ? 結局、社会に出てから評価されるのってそういう部分だろ。俺、そういうの暑苦しいの苦手だからよ」
冊子をぱたんと閉じ、小さく伸びをする稲田さん。
「稲田さんだって、努力してるじゃないか」
「そりゃ努力はしてるよ。当たり前だろ、受験生なんだから。俺が言いてえのは、てめえと俺じゃ努力の方向性が少し違うってことだ。結局俺は、主要な文系科目しかまともにやってねえ」
伸びをやめ、自嘲気味に続けた。
「この国の入試制度って、全教科で偏差値50の奴よりは、他の科目が偏差値30台でも、主要科目で偏差値60くらいある奴の方が有名大学に入りやすいようにできてるんだよな。俺はそれに高一の前半時点で気づいちまったから、理数系の科目は勉強するのをやめた」
「勉強したけどできなかった」のは序盤オブ序盤、数学のたすき掛けのときだけ。以降、彼女は勉強することすらしなかったのだろう。
苦手を克服しようと努力する、その営み自体を放棄した。
「だって、なんつーかさ、馬鹿馬鹿しくねえか? 仮に全教科まんべんなくそこそこの成績を収めたとしても、真摯に自分の苦手科目と向き合って克服したとしても、地元の国立大に受かるかどうかすら危ういのによ。けど、メインの三科目が人並み以上にできれば、努力次第で有名私大にも受かる。で、就活のときには地方の国立大よりも有利に立ち回れるって寸法だ。要は金さえあれば、私大の学費さえ工面できるのなら、効率的に科目絞って勉強して、そこそこの私大を目指した方が人生勝ち組なわけよ」
「その『金さえあれば』ってのが問題だよな……」
僕が松浦大を志望した理由は、三つある。第一に、頑張れば受かりそうな程度の難易度であること。第二に、県外へ出たいという夢や野望が特にないこと。第三に、地方の私大だからか学費がさほど高くなく、国立大と比較してもそんなに変わらないことだ(まあそれでも国公立大より少し高いことは高いけど、バイトで稼いで親に恩返ししようと思っている)。
それに、都会の私大なんかに進もうものなら、陰キャの僕は秒で淘汰されてしまいそうだしな……。理系の陰キャはまだ学内に居場所があるけれど、文系で陰キャだと大学生活詰むって聞いたことがある。松浦大の法学部には、頼むから真面目な学生も一定数いてほしい。全員がウェイ系、パリピ系だったらノリについていけないこと必至だ。
「俺は地方出身者向けの給付型奨学金に申し込む予定だから、そこの審査に通れば、金銭面は問題解決だけどなー」
ちゃっかり解決策を用意している稲田さんであった。
「さすがに下宿代までは補助出ねえけど、安く住める学生寮とかがあればだいぶ出費も浮く。我ながら、なかなかの親孝行者だと思うぜ」
今の時点でそこまで将来設計があるとは、切れ者である。もしや、先刻一番安いアイスコーヒーを頼んだのも、今後必要となる出費を見越し、できる限り節約しようとの考えによるものか。
めっちゃいい子じゃん!
何でこんな良い子が、あの湯川栞と肩を並べる悪の女王呼ばわりされねばならないのか、僕は首をかしげたくなった。いや、稲田さんがまだ僕の前で猫を被っていて、本当は腹黒い可能性は否定できないけれど、でもすごい良い子じゃん。
「ただ、南高って一応、県内では有数の進学校にして名門校ってことになってるからよ。生徒も先生もお堅い考えの保守的な人たちばっかりで、国公立の大学に進むのができのいい生徒で、私大に進むのはできの悪い生徒だと思い込んでるんだよな。私立はあくまで、国公立の滑り止めってわけだ。だから俺みたいに、はなっから国公立に行く気がない連中は、どうしても学校内で浮いちまうんだよ」
稲田愛は刹那、表情を曇らせた。
タイミングを見計らったかのように、アイスコーヒーと水出しコーヒーが運ばれてくる。自分のコーヒーに、砂糖とミルクをどかどか入れていく稲田さん。意外と甘党だった。
「もちろん仲のいい子たちには、今井上に話したような持論を展開してみたさ。けどなんか、皆あまり理解を示してくれねえんだよ。最近は、地味にそれが悩みの種だったりする」
高校を卒業すれば、皆それぞれの進路に羽ばたいていく。ゆえに、卒業後に会う機会は限られるわけであって、今の学友との人間関係に悩むのもせいぜいあと数か月だけど、それでも当事者にしてみれば深刻な悩みなのだろう。僕は常にぼっちだから、もう慣れちゃったけども。
「話を聞いている限りだと、稲田さんのイメージが湯川さんから聞いたのと違う気がするな。中学時代よろしく、影から学校を操ってるのかと思ってたよ。もっとこう、等身大の女の子って感じだ」
「あー。いや、腹黒キャラを卒業したってわけでもねえんだけどな?」
妙に歯切れが悪い。
「湯川の前では恥ずかしくて言えなかったんだが、俺、高校では本物の悪にはなれなかったんだ。南高の生徒は地頭が良くて、コントロールするのに手間がかかりすぎて疲れちまった。ほら、各地の中学からエリートが集められてくるから」
「ああ……分かる気がする」
中学のとき、どのクラスにも「優等生」的存在がいた。その優等生を県内の中学校から寄せ集めてクラス編成すると、切れ者集団が出来上がる。そんな集団を統率するのは、地元の子供たちを適当に集めただけの公立中学で覇権を握るのとはわけが違うのだ。
「中学のときには不良っぽい生徒もいたけど、ああいう奴らって思考回路が単純だから、操縦するのはすげえ簡単なんだよな。不良を扇動しちまえば一般生徒を従わせるのもわけないし、今思えば神環境だったぜ」
「不良がちらほらいる中学を神環境呼ばわりする人も珍しいけどね……」
僕や栞の通う高校にも、不良はほぼいない。皆、中学で中の上くらいの成績だった生徒たちだ。
「そんなわけで、高校では裏ボスにはなれなかったぜ。せいぜいラスボスってところだな」
「十分すごいよ!」
謙遜になってない。
「同学年女子のコミュニティー内では裏の権力者になれたし、そいつら全員の交友関係を完全掌握してるけど、下級生を従えるところまではいかなかった」
「理想が高すぎる!」
一体何を目指して、どこへ向かおうとしているんだ。




