51 マリー・アントワネット
栞が何かしら助け舟を出してくれるんじゃないか、と淡い期待を込めて少し待ってみたけれど、彼女は既読を付けるだけで何のリアクションも返さなかった。やっぱり湯川さん、こうなった場合のことは考えてなかったな。
栞「まあ、席のことはいいわ。桜井先生が車を出してくれるのには感謝してるし、べ、別に、たまになら井上を助手席に乗せてもいいんだからねっ! たまになら!」
珍しく譲歩した栞は、「けどそれじゃ問題は解決しないわ」と続けた。
栞「桜井先生が常にデートへ参加するわけじゃないし、参加するときも常に車を出せるわけではない以上、ドライブしない場合のデート方法も検討すべきよ」
僕「何か良い案があるのか?」
栞「遠出ができないなら、おうちデートすればいいじゃない」
僕「いや、そんなマリー・アントワネットみたいに言われても……」
この間、星加さんが抜け駆けでおうちデートして事態がややこしくなったのを忘れたのかよ。皆でおうちデートすれば大丈夫ってか?
僕「大体、誰の家でデートするって言うんだよ。当たり前だけど、僕は実家暮らしだから無理だぞ」
立花先生「私も実家だから微妙だねっ!」
ああ、立花先生は実家から大学通ってそうな感じするな。ご両親と仲良さそう。反抗期とかほぼなさそう。
待てよ、今「微妙」って言ったよな。全面否定ではない。それはつまり、ご両親がいないときからオッケーだということなんだろうか⁉ そこのところを詳しく伺ってみたい。
栞「残念ながら、私も実家暮らしよ」
僕「至極当然のことをさも不本意そうに言うな!」
高校生で一人暮らしでしてる奴なんてほぼいねえよ!
正確には、うちの高校の同学年で二人だけ知ってるな。と言っても寮生活だし、二人とも男子だけれど。女子高生の一人暮らしは見たことがない。いずれの生徒も、東条市や球磨高原町など、実家が遠方なのでやむなく学生寮に入っているらしい。
一応、うちの高校は進学校を自称していて、大半の生徒は地元の大学へ進むものの、ごくまれに県外の有名大学に進む生徒が現れる。ちょっとくらいはネームバリューのある学校だから、たぶんそれで、無理して遠方から入学してきたのだろう。
個人的には、高校でも大学でも何でも、時間や費用をたくさんかけてまで遠くの学校へ通う必要はないんじゃないかと思っている。もちろん都会へ出た方が将来の選択肢は広がるし、電車の本数も多いし、遊ぶ場所だってたくさんあるけど、手間や出費に見合うだけのリターンを得られるかどうかだ。僕にはそういう賭けに出る度胸がない。
都市部って家賃も高いしなあ。愛媛県なんか、家賃1万円台の物件がその辺にゴロゴロ転がってるというのに。これからの日本では土地が余り始めるらしいとどこかで聞いたので、僕がいずれ家を借りたり買ったりするとしても、土地が過剰供給になって値下がってからでいいかなと思ったりする。
桜井先生「喜べ、井上。私は山奥のド田舎出身だから、現在絶賛一人暮らし中だ。いつでも訪ねてきてくれて構わんぞ」
僕「い、いつか行きます」
機会があれば。どんなに早くとも、高校卒業後に。
行ったら最後、先生に猛アタックされるのは目に見えている。桜井先生、おうちデート=エッチなイベントだと思い込んでいる節もあるし。
僕「星加さんは……実家でしたよね」
星加さん「ですです。井上君は自分の目で見て知ってますよねえ。」
僕「知ってますけど、あれは流れで何となくそうなっちゃっただけですよ! あと、そういうこと言うと空気が重たくなるのでやめて下さい!」
星加さん「ご、ごめんなさい~!」
悪気はなかったみたいだ。たぶん。
僕「とにかく、一人暮らしなのは桜井先生だけで、他は皆実家から通学してるみたいですね。となると、おうちデートも毎回皆の都合がつくとは限らないわけで、現実的じゃない気がします」
栞「おうちデートができないなら、ホテルデートすればいいじゃない」
僕「マリー・アントワネットを何だと思ってるんだよ⁉」
段階を色々とすっ飛ばしすぎだろ。
僕「そもそも、僕と湯川さんはまだ高校生なんだから、そういうホテルに入るのは無理でしょ」
栞「え? あたし、何回も入ったことあるけど……」
僕「桜井先生、この人を今すぐ補導して下さい! ああっ、でも教育実習が終わったから今は教職じゃないんだった!」
桜井先生「安心しろ、井上。何を隠そう、私は既に教員採用試験に受かっている。晴れて来年度に私が正式な教員となったら、匿名の通報があったことにして補導してやる!」
栞「残念だったわね。その頃にあたしは女子大生になってる予定だから、補導の対象外よ!」
桜井先生「お、おのれ……」
補導されないのを見越した上で爆弾発言をするという、栞らしいやり口だった。
栞「もしかして桜井先生、自分が男の人とホテルに行ったことないから焦ってるんじゃないですか?」
桜井先生「失礼な。ホテルに入ったことくらいある。もっとも、酔っ払った後輩に絡まれて、何となく流れで入っただけだがな。私も酔っていてあまり記憶がないが、キスくらいはしたのだと思う」
そ、そうなのか……。
桜井先生、自分で「柔道をやっていて体格が良いからか全然モテない」と言っていたのに、ちゃっかり経験済みだったとは。正直、結構ショックだ。
桜井先生「まあ、その後輩というのは二個下の女の子だったのだがな」
僕「予想外のオチ⁉」
確かに桜井先生はかっこいいし、同性にモテそうな気はするけども!
立花先生「私もホテルに泊まったことあるよっ! 家族旅行でだけど」
違う、そうじゃない。間違いを指摘したかったけれど、絶妙に言い出しづらいな。
星加さん「え、これ、私も言わなくちゃダメなやつですか……? あわわわ」
なぜだか、ホテルに行った経験の有無を順番に告白していく流れが誕生してしまっている。何の罰ゲームなんだろう。
あたふたしている星加さんに、栞が「そうよ!」と断定する。何でそうキッパリ言い切れるのか、その自信がどこから来るのかは不明だ。
栞「星加先輩。早く言わないと、また井上の前で恥をかかせますよ!」
星加さん「そ、それだけはどうか、ご勘弁を~! なむなむ」
女子高生に脅迫される社会人の姿が、またしても確認された。
星加さん「むむん。ええと、カラオケバイト時代に何度か行ったことありますねえ」
栞「相手はどんな人だったんですか? あと、具体的に何回くらい行きましたか?」
星加さん「え、え、えっと、それは……」
僕「ちょっと待て、何でそんなことを聞く必要があるんだよ⁉ 湯川さん、可哀想だからもうやめてあげてくれ!」
栞「ギロチン台で処刑しないだけ、ありがたいと思いなさい」
僕「もうマリー・アントワネットのくだりはいいから!」
だいぶカオスな会話になってしまった。仕切り直そうと、僕は一呼吸入れてからメッセージを送信する。
僕「さすがにホテルデートは早すぎるよ。仮に行くとしても、僕抜きで、女性陣だけで行って女子会でもして下さい」
栞「嫌よ」
僕「たった今『仮に』って言っただろ! 行けとは言ってないよ!」
何でもかんでも反対されると話が進まなくなるから、本当にやめてほしい。僕も気を抜くとすぐ地の文で長々と語ってしまうけれど、湯川さんも湯川さんで、ストーリー進行に支障をきたすような行動が多いのだ。




