4 忘れ物
女の人は、自分より年上の男性に惹かれる傾向が強いと聞いたことがある。立花先生は例外で、元々年下が好きなのだろうか。それとも、僕だから、井上悟だから好きだと言ってくれたのだろうか。
逆に、僕自身はどうなのだろう。年上の女性、アリだろうか?
もっともこれは、僕に女性を選り好みする権利があると仮定した場合の話だ。紛うことなき恋愛弱者であり、童貞であり、年齢=彼女いない歴である僕にはそんな贅沢をする資格も、自由もないんじゃないかという可能性大だ。
何かで読んだ。「自分のことを好きな人間を好きになる」人間はかなり多いと。しかし、僕は恋愛弱者なりの考えで、これは間違いなんじゃないかと思う。だって、もし本当にそうなら、地球上の男女は皆ハッピーになるじゃないか。現実はそうでもない。
実際、僕は初対面の立花先生から猛烈なアピールをされたけれど、すぐにその想いに応えることはできなかった。いや、あれはまだ時間の積み重ねや心の準備ができてなかっただけかもしれないけども。
いずれにせよ、僕と立花先生の関係を議論する上で、年上好きなのか年下好きなのか、あるいはどっちもオッケー派なのかという点は割と重要な気がしないでもなかった。
「二刀流もアリだな……」
そんなとりとめのないことを考えていると、先生からメールが届いた。第二回目の授業の翌日、昨日出された宿題に自室で取り組んでいる最中のことだった。
タイトル:昨日はありがとっ!
本文:宿題ちゃんとやってる? あと全然話変わっちゃうけど、井上くん的には「浴衣で夏祭りに行く」案は微妙っぽかったじゃん? でもさ、夏にしかできないことを今のうちにやっておくっていうこと自体は悪くないアイデアだと思うんだよっ。だから、代案として「可愛い水着で泳ぎに行く」案はどうかな?
井上くんは、「JKの制服姿で出かける」って初期コンセプトにこだわりたいんだよねっ? プールに到着するまでは制服、着いたら水着に着替えれば、条件クリアじゃない? どう? 我ながら名案な気がするよっ!
「いや話変わりすぎでしょ」
思わずツッコんでしまった。
男子高校生と一緒にプールに行きたくてしょうがない女子大生の姿が、そこにはあった。さっそく返信する。
タイトル:RE 昨日はありがとっ!
本文:こちらこそありがとうございます、今まさに宿題と格闘しているところです。確かに、泳ぎに出かけるのは夏らしくて良い案ですね! 一応確認ですけど、僕はまた私服で行って良いんですよね?
当日を楽しみにしてます。
はたしてどんな可愛い水着で来るのかそわそわしつつ、僕はメールを送信した。
その週の土日。僕と立花先生は、最寄り駅で待ち合わせてから電車で一駅だけ移動し、市営プールへ向かうはずだった。
「お待たせっ、井上くん!」
改札前。
待ち合わせの十分前には到着し、腕時計を眺めていた僕へ、制服姿の先生が満面の笑みで駆け寄ってきた。
「いえ、今来たところで……って、え?」
制服を着ているのは平常運転だ。問題なのは、その下に着用しているもの。
「あれ? 立花先生、もしかして、下に水着を着てきたりしてます?」
「? そうだよっ?」
何てことだ。白いブラウスの下に黒いビキニらしきものを直で着ているから、思いっ切り透けてしまっている。本人は気づいていないのだろうが、目のやり場にかなり困るぞ、これ。明らかに普通の下着よりも黒々とした存在感を放つ、別の何かが降臨している。
なるほど、フリルなんかも付いているみたいで、確かにフリフリで可愛いビキニだ。スクール水着とかじゃなくて良かった。しかし、公共の場で見せつけるものでもあるまい。高校の制服との相性は、控えめに言って最悪である。
前回、エッチなイベントの有無を確認したのは何だったのだろう。これ、まあまあスケベな展開が気がするんだけれど。
僕は先生に顔を近づけ、囁いた。
「……あの、ごめんなさい。だいぶ透けちゃってますけど、大丈夫ですか?」
「うん。私、そういうのあんまり気にしないから!」
「先生が気にしなくても他の人が気にしますよ⁉」
立花穂乃花は、実にあっけらかんとしている。
「心配しなくても大丈夫だよっ。すぐにプールに着いて、制服脱ぐんだし!」
不意に、先生は蠱惑的な微笑を浮かべた。僕の方へちょっと体を近づけ、上目遣いに言う。
立花先生は、すごくグラマーというわけではない。ただ、小柄な割にボディラインにメリハリがある。こうして側へ寄られると、年上の女性の色香を感じざるを得ない。
「井上くんは背が高いから、もしかしたら上から覗き込んだら、私の水着見えちゃうかもねっ。今日のために買ってきた、とっておきの勝負水着。覗いたらダメだよ?」
勝負下着という言葉は聞いたことがあるけれど、勝負水着は初めて聞いた。というか、勝負水着なのに見たらダメって本末転倒なんじゃなかろうか。
「そんな変態チックなこと、するわけないじゃないですか! 僕が許しても、日本の法律が許しませんよ」
「やっぱり井上くんは許すんだね⁉」
「自分で言うのも何ですが、僕はとても寛大な男子高校生なので」
「それは寛大なんじゃなくて、『自分に甘い』って言うんだよ!」
すっと体を離し、先生は呆れたように言った。まずい。相変わらず透けたままの黒ビキニに、どうしても視線が吸い寄せられてしまう。慌てて、逃げるように目を逸らした。別のところに視線を向けよう。たとえばそう、先生が手にしているポーチとか。
「……ん?」
待てよ。何か違和感があるなと思ったら、立花先生の荷物、やけに少なくないか?
プールへ行くとなったら、水着にタオルに日焼け止めにと、そこそこな量の荷物ができるはずだ。にもかかわらず、先生が持っているのは小さなポーチのみ。小さめのタオルと日焼け止めくらいならギリギリ収まるかもしれないけれど、あれに着替え含めて全部詰め込むのは無理ではないだろうか?
「立花先生。念のためですよ。念のため、確認させてほしいんですけど」
「何かなっ?」
「今日、着替えは持って来てますよね? つまりその、本来その制服の下に着るはずの、下着類を」
「……あ」
刹那、立花穂乃花は真っ赤になって俯いた。
見事に忘れてきたらしい。
そんなわけで、「可愛い水着で泳ぎに行く」作戦は、先生が着替えを忘れたために急遽中止になった。
今回の出来事で僕が得た教訓は、立花穂乃花はたまにドジをするということだ。まあ、ちょっとだけとはいえ水着を拝むことができたので、良しとしよう。真っ赤になって恥ずかしがっていた先生、不覚にも可愛いと思ってしまったし。
夏休みはまだまだ残っている。また今度行けば良いさ。