37 進路指導室の変態
松浦城デートを通して、栞と桜井先生は少しだけ仲良くなったように思えた。こうやって徐々に交流を深めていけば、4人のヒロイン皆が仲良くなって、喧嘩が起きないようにするのも夢ではないのではなかろうか。
そう考えた僕は、さっそく行動を開始した。
まず、星加さんを第4ヒロイン(仮)に認定して、皆のトークルームに追加。個別に話しているとどうしても連絡が取りづらくなるし、皆との間に壁ができてしまうため、やむを得ず追加した次第である。彼女が僕を好きになった本当の理由が分かれば、(仮)ではなく本当のヒロインに認定するつもりだ。
そして、メッセージを送信した。
僕「湯川さん、桜井先生、先週はありがとうございました。二人とも楽しんでくれたみたいで良かったです」
栞「先生、かき氷ごちそうさまでした♪」
湯川さん、僕がメッセージを送ったときだけ秒で既読がつくんだよな……。早すぎて少し怖いまである。
僕「もし良かったら、今後もこんな感じで、皆で交流を深めていきたいです。というわけで次回、僕と立花先生と星加さんでどこかへ出かけるのはどうでしょうか?」
この人選は、単に「前回の松浦城デートに不参加だったヒロインたちを選んだ」だけではない。立花先生と僕の間にある、ちょっとした問題の解決にも役立つ可能性がある。
僕と彼女は今まで、何回もデートしている。にもかかわらず、あまり恋愛っぽいムードにならない。そういう空気に発展しない。島へ海水浴に行ったときは日焼け止めを塗るイベントが発生せず、水の掛け合いっこもできず、しょうがないので二人仲良く背泳ぎや平泳ぎを楽しむ始末。それっぽいイベントと言えば、ゲームセンターでプリクラを撮った帰りに手を繋いだことくらいだろうか。
つまり、立花先生と僕の二人だけでは、どうしても今以上の関係性へ進みづらい。そこへ星加七海という外部刺激を与え、何かしらの化学反応が起こることを僕は期待しているのだった。
ややあって、立花先生が「いいねっ!」と返信してきた。星加さんはまだ既読をつけていないらしい。
僕「行き先はどこにしましょうか?」
立花先生「はいはーい! 私、秋祭りに浴衣を着て行きたいですっ。ほら、いつだったか、私が夏祭りに浴衣で行きたいって言ったら井上くんに却下されちゃったから!」
僕「あのとき却下したのは、そういう終盤っぽいイベントは終盤まで保留にすべきだと思ったからですよ。今、言うほど終盤じゃなくないですか……?」
僕と立花先生の出会いが物語のスタートで、複数のヒロイン候補の中から僕が本命を選ぶのがゴールだとすると、僕は今、この物語の中でどの辺りの位置にいるのだろうか。少なくともクライマックスのシーンではないだろう。中盤オブ中盤か、もしくは終盤寄りの中盤。それくらいじゃないかな。
小説を読んだり、映画を見たりするとき、僕たちはキャラクターに感情移入することができる。自分が物語世界の中にいると錯覚するほどに、没入して楽しむこともあるかもしれない。ただし、僕たちとキャラクターには絶対的な差がある。キャラクターは波乱万丈な冒険がいつになったら終わるのか分からないのに対し、僕たちは「あと○○ページで終わりだ」「あと○○分もすればエンドロールだ」と、物語の終わりを意識する。
つまり何が言いたいのかというと、この奇妙な恋愛バトルロワイアルに放り込まれた当事者たる僕には、物語のゴールがいつやって来るのか皆目見当もつかないということだ。
僕「星加さんはどう思います? 浴衣で秋祭りデート」
とりあえず、星加さんにも意見を求めてみる。
その日、彼女からの返信は来なかった。デートの内容については一旦保留にした。
翌日。
今日の昼休みは、栞や桜井先生と会う予定がない。けれども僕は、弁当箱を抱えてそそくさと教室を出た。理由は単純で、教室にいたくなかったからである。
陰キャにとって、休み時間の教室はさほど居心地の良い空間ではない。まず、大声で騒いでいる陽キャがたくさんいるので、心が落ち着かない。ぼっちの僕は休み時間にもっぱら寝たふりか読書をしているのだけれど、あの喧騒の中で寝るのは耳栓があっても不可能だし、本の内容にも集中できない。
それに、陽キャはしばしば、他のクラスメイトの机の上に座り始める。冷静に考えると、あれって座られる側の人間からすれば相当屈辱的なことをされてる気がするんだよな……。机を占領されたところに戻って来て、「あ、ごめん。そこ僕の席なんだけど、座ってもいいかな?」と、なぜか座られている側がへりくだった口調で申し出なければならない瞬間が一番気まずい。何で被害者の立場が加害者より下なのか疑問だけれど、残念ながらこれは、日本の法律では取り締まることができない。
なお、中学時代の僕はガチガチの厨二病だったので、机に座られるたびに「どけ。そこは僕の席だ(キメ顔)」と言っていたら案の定クラスで浮いてしまった。普通に黒歴史です。
立花先生に指導してもらっている日本史も、いよいよ近代まで到達している。自分の席に座られたのを見るとき、僕はかつて日米間に結ばれた不平等条約のことを思い出す。無論、僕が日本で、陽キャがアメリカだ。僕には岩倉使節団を派遣するような度胸がないので、不平等条約はずっと結ばれたままである。
(……って、岩倉使節団は結局、不平等条約を改正できなかったんだっけな)
改正できなかった代わりに、欧米を視察して日本の近代化に貢献した。僕は陽キャ化するつもりもないので、やっぱり使節団は送らないことにする。
だから僕は弁当片手に、どこか人気のない場所で孤独にランチを楽しもうと移動中だった。そこへ、出し抜けに声が掛けられる。
「む。井上じゃないか」
軽く手を挙げているのは、桜井先生。学校では無感情、無表情のときも多いけれど、僕と話すときだけは笑顔を見せてくれるのが、何というかすごくグッとくる。
「ちょうど良かった。貴様とは話したいことがある。少し顔を貸せ」
「え、ちょっと」
拒否権はなかった。あれよあれよと言う間に、僕は先生に手を引かれ、進路指導室の中へ連れ込まれていた。部屋の中に他に人はおらず、文字通りの二人きりである。
どうやら僕は、桜井先生との間にも不平等条約を結ばされているらしい。早く、陸奥宗光や小村寿太郎を送り込まなければ。どうでもいいけど、陸奥宗光って名前のセンスがすごく良いと思う。
進路指導室の左右には本棚が並び、いわゆる赤本など、受験対策に使う参考書がぎっしり詰まっている。2週間の返却期限付きで、在校生はここにある本を無料で借りることができる。
便利なシステムだと思うかもしれないが、しかしここにある参考書のほとんどには大量の書き込みがあり、およそ使い物にならない。僕も一度だけ借りてみたことがあったけれど、英語の長文読解の文章がスラッシュリーディングされまくっていてめちゃくちゃ使いづらかった。どこもかしこも斜線だらけだった。ゆえに、進路指導室の利用者はほぼいない。
「先日はありがとう、井上。貴様とのデート、とても楽しめたぞ。やけに高いかき氷を奢らされたのはアレだが、頼ってくれと言った手前、しょうがないな」
本棚の前に立ち、桜井先生は口元をほころばせた。
「……しかし、たまにはああやって、ぞんざいに扱われるのも良いものだな。不覚にもゾクゾクしてしまった。興奮してしまったぞ」
恍惚とした笑みを浮かべかけるのを見て、僕はたまらず指摘した。
「先生、ここは学校で、あなたは教師ですよ。いくら何でも、教師が生徒に興奮するのはまずいでしょう」
「そうだな、すまない。では言い直そう。『子宮が疼いた』と」
「もっとまずいですよ!」
「あるいは、どこがとは言わんが『濡れてしまった』」
「言わなくても察してしまいますよ! 生々しいし!」
と、そこまで一通りボケツッコミをしたところで、先生は「冗談だ」と咳払いした。少し離れて立つ僕を、じっと見つめる。
「改めて思うが、貴様、本当に背が高いな。大学生に間違われるのも頷ける。私も女性としては長身な方だが、井上には遠く及ばん」
「そうですかね? ありがとうございます」
「うむ。井上は体格が良いな。もし貴様が本気になれば、私は抵抗も虚しく簡単に組み敷かれてしまい、貴様の欲望すべてをぶつけられるのだろう。そう考えると興奮してしまうな」
「真っ昼間から妄想をはかどらせないで下さいよ……。あ、先手を打って言っておきますけど、もう『興奮してしまう』の言い換えは結構ですからね」
何てことを考えているんだ、この変態教師は。やはり、実習期間が残り僅かになるにつれ、性癖を隠しきれなくなってきている。
ていうか、先生って柔道経験者じゃなかったっけ。そういう設定だったよな。僕ごときに簡単に組み敷かれる桜井先生ではないだろう。むしろ、僕がねじ伏せられるまである。




