29 バトル・スタート?
週末。
今週の立花先生の「やりたいことリスト」は、「デパートの屋上にある観覧車に乗る」だった。こちとら地方都市なので、こういう前時代の遺物みたいなものがいまだに残っていたりする。何なら屋上遊園地もあるけれど、今回はちょっと急ぎなので、遊園地はスルーで。
密室に近い空間で、二人きり。雰囲気出そうだな~と思っていたら、制服姿の立花先生は目を輝かせて提案した。
「シースルーゴンドラに乗りたいなっ!」
「い、良いんじゃないですか……?」
文字通り、シースルー。床も壁もスケスケなので、スリルと絶景を楽しめる。
当然、プライバシーも何もない。結局僕と立花先生は、ゴンドラの中でこれといったイベントも起こさず、純粋に景色を楽しんで観覧車から降りた。
起きたイベントといえば、「やりたいことリスト」の度に教えてもらうことになっている立花先生の内面を、一つ知れたくらいだ。今回教えてもらったのは、「実は私……抱き枕がないと寝れないのでしたっ!」。うん、イメージ通りだね!
立花先生と一緒にいると、とても楽しい。楽しいのだけれど、なかなか恋愛的なムードに発展せず、友達同士のような距離感のままになってしまうのは課題かもしれない。先生が天然だからというのもあるけども。
さて、かくしてシースルーゴンドラを満喫した僕たちは、その足でいつぞやのファミレスへ急いだ。
「遅いわよ、井上」
「全くだ。私に至っては待ち切れなくて、約束の時間の30分前には着いていたぞ」
並んで座っているのは、栞と桜井先生。10分前に到着しても文句を言われる世界線が、そこにはあった。
僕と立花先生が向かいの席について少しすると、「めんごめんご~」と聞き覚えのある声が近づいてくる。この死語、間違いない。星加七海さんである。
本日の「やりたいことリスト」を早めに切り上げ、急遽皆を集めたのは、彼女と会わせるため。先日星加さんと話し合った内容を3人にも共有し、考えてもらうためだった。
星加さんはしれっと僕の隣へ腰掛け、にへら~と笑ってヒロインたちを見回した。
「初めまして~。星加七海です。井上君とは、出前で知り合いました。あっ、出前っていうのは、私が今配送ドライバーのバイトをしてるからですねえ。自転車をシャコシャコ漕いで」
「ふむ。では、簡単に経歴を教えてもらおう」
桜井先生、年上に対してもその口調を貫くのか……。まあ、年上に見えないからかもしれないけれど。いずれにせよ、キャラブレしていなくてよろしい。
「は~い。ではではお待ちかね、経歴をざっくりご紹介しましょ~。20世紀も残すところあと僅か、ノストラダムスの大予言だか何とかでやたら不吉っぽかった1999年、この街の市民病院にて生誕し」
「何も誕生から話さなくても⁉」
さすがの僕も、ツッコまざるを得なかった。この調子でいくと、経歴紹介だけで何時間かかるか分かったものではない。そんなところに時間を割けるか。
通っている高校への愚痴や、星加さんのタンクトップの下はノーブラかどうかの考察は字数無制限に書きまくれるくせに、経歴紹介は端折ろうとする男子高校生の姿がそこにはあった。
ちなみに、今日の星加さんのコーデは割と普通だった。つまり、ジャージやタンクトップではない。肩を大きく出してはいるものの、黒色メインのダウナー系ファッションで、さほど人目を引くようなものではなかった。少しほっとした。今回は考察しなくて大丈夫そうだ。
「ほいほい。えーと、じゃあ通信制高校を卒業して……ホテル業界に就職したんですけども、フロントの長時間勤務に耐えられなくて、1年くらいで辞めちゃって……その後も色々やってみたんだけど、どの仕事も長続きしなくて……ここ数年はアルバイトで細々と食いつないでおります。つまるところ、フリーターであります。うう」
紹介しているうちに徐々に声のトーンが落ちてきて、目から光が消えてしまった。最後の方はうっすら涙すら浮かべている。
「ちょっと井上、辛い過去を話させてどうすんのよ。彼女、しゅんとしちゃったじゃない」
「ご、ごめん。僕も星加さんの経歴については、今初めて知ったんだ」
打ち解けるためにまず自己紹介をと思ったけれど、逆効果だったか。でも、進んで紹介したくない過去をわざわざ生誕から話そうとするメンタルは尊敬する。
「一応、ゲーム配信をネットでやってたりもしますけど、ぶっちゃけお小遣い稼ぎ程度の収入にしかなりませんねえ。基本、常に金欠なので、服は古着で揃えてたり~。この服も古着屋さんで見つけたんですよう」
確かに、ゲーム配信やってそうな感じだ。
「僕も時々行きますよ、古着屋。高校生の小遣いでも買えるので」
「おそろっちだねい、井上君」
星加さんとの間に和やかな空気が流れた一方で、他3名からは厳しい眼差しが向けられた。栞なんか、「あ、あたしも今度、古着屋行こうかしら!」と露骨である。そんなことで競わなくてもいいだろ。
「25歳独身フリーター、彼氏なし、実家暮らし。役満すぎて鬱ですな~。あーあ、白馬の王子様が現れて、私を養ってくれたらなあ。ちらっ!」
「なぜ僕を見るんですか⁉」
もしかしてこの人、将来的に僕に養ってもらうことを目的にしてるのか……? ヒモを飼いたい桜井先生とは真逆じゃないか。だとしたら随分気が長い、遠大な計画になるけれど。僕が大学を卒業してから社会に出るまで、最短でもあと4年かかるぞ。
「むふふ~。まあ、自己紹介はこの辺にしておいて、そろそろ肝心なお話をしましょうかねえ」
小悪魔チックな微笑みを浮かべ、星加さんは、先日僕にしたのとほぼ同じ説明を3人にした。恋愛は基本的に早い者勝ち。愛情の大きさと一緒に過ごした時間の長さは、必ずしも比例しない。そもそも、恋愛の価値観は人によって異なる。そういった説明を、優しく穏やかな口調で行った。
全ての説明が終わると、桜井先生は愕然としていた。
「……どうしよう、井上。ひょっとすると私は今、完膚なきまでに論破されてしまったのではないだろうか」
対照的に、立花先生はめちゃくちゃ嬉しそうである。恋敵でもある女性たちを前に、素直に感情を表に出すことの是非はともかくとして、嬉しそうである。
「早い者勝ちということは、この恋愛バトル、私の一人勝ちということで良いのかなっ⁉」
「まだ勝負はついてないわよ。井上を攻略するのは、あたしなんだから!」
「皆、一旦落ち着いて!」
慌てて、ヒートアップしかけている立花先生と栞を宥める。
「僕が桜井先生の『前提条件を揃えるべきだ』という提案に乗ったのには、先生の主張に一理あると感じた以外に、もう一つ理由があるんだ。僕は立花先生に、湯川さんに、桜井先生に、皆に喧嘩してほしくなかった。誰が僕と付き合うかで揉めて、ドロドロの愛憎劇みたくなってほしくなかったんだよ!」
だからこその、妥協。「最善策ではないかもしれない」と頭のどこかでは理解していたけれど、停滞と平和を望んだ。
「たとえ、条件を揃えるのを中止するのだとしても、皆に仲良くしてほしいという僕の思いは変わらない。だからどうか、一旦落ち着いて話してほしい」
「でも、じゃあどうするの……?」
立花先生が訝しげに問うてきた。
「バトルロワイアルでもやるっ? 鏡の中の世界でモンスターと契約して、最後の一人になるまで戦う?」
「ネタが古い上に怖い⁉」
昔のドラマをよく見るらしいとは聞いていたけれど、カバーしてる範囲が広すぎるだろ。
「何だか楽しそうだねえ。井上君、お姉さんもバトルロワイアルに混ぜて?」
「これのどこが楽しそうに見えるんですか!」
どさくさに紛れて、本当に第4ヒロインに立候補しようとする星加さん。ああ、もう無茶苦茶だ。
結局、この日は動揺するヒロイン候補たちを落ち着かせるのに手一杯で、僕は桜井先生の案の代替案を打ち出すことができなかった。
このカオスな状況が、シリアスな恋愛バトルロワイアルになるのか。それとも、これまで通りのんびりした日常が続いていくのか。この重要なルート分岐を決定づけるのは、僕次第。さあどうする、井上悟!
ていうか僕、一応受験生なんだけどな……。こんなことばかりしていて良いのだろうか。