16 胃袋を掴め
「……で、できればあたしのことももっと知ってほしいけどね」
考えに耽っている折、栞が小声で何か言った気がしたけれど、よく聞き取れなかった。なぜだか、頬にうっすらと赤みが差している。熱でもあるんだろうか。残暑が厳しいっていうのに屋外でご飯を食べようなんて言い出すから、体が火照った可能性もある。
「悪い、聞き逃した。何だって?」
「あ、あんたは他人に関心がないタイプだから、立花先生だけじゃなくて、たとえばそう、あたしのことも知っておくべきだと言っただけよ! ほら、どうしてそんなに性格が悪くなったのかとか、色々と聞きたいことあるでしょう?」
「聞くまでもない。生まれつきだ」
「ぐはっ⁉」
返答に窮して自虐ネタに走った相手の傷に、塩を塗り込む。まさしく悪魔の所業を行った僕と、珍しく僕の返しが効いて落ち込んでいる栞。もしかすると、本当に性格が生まれつき悪いのは、僕の方だったりして。何なんだ、この皮肉めいたオチは。
ただ、思った以上に栞がしょんぼりして黙々と弁当を食べているので、「やりすぎたかな」とすぐ反省することになった。
「ごめん、今のは冗談だよ。元気出して」
「割とガチだった気がするんだけど……?」
「ガチっぽい作り話をされたことへの意趣返しだ」
さてと、と僕はベンチから腰を上げる。
「話はそれで終わりだろ? もう弁当食べ終わっちゃったし、僕はお先に失礼するよ。実を言うと、次の数学の授業の宿題、まだ手を付けてないんだ。もし先生に当てられたら大恥をかく」
そう、僕の成績が上がったのは、あくまで国・英・社の三科目のみだ。理数系の他の科目は、相変わらず。夏休みの宿題はかろうじて終わらせたものの、現状維持に精一杯で、順位はむしろ下がっているのもある。
「――ま、待って!」
慌てて僕を呼び止める栞。立ち上がり、小さなタッパーを差し出してくる。
「井上。これ、良かったら食べてくれない?」
「何だよ、これ。毒でも入ってるんじゃないだろうね」
「失礼な奴ね」
栞がパカッと蓋を開けると、そこには色とりどりのフルーツが並んでいた。
「お母さんがたくさん詰めてくれたんだけど、食べきれなくて。加えて、この暑さじゃん? 傷んじゃってもあれだから、井上、食べてよ。高3男子なんて全員、食べ盛りでしょ」
「僕を残飯処理係みたいに使うなよ!」
と言いつつも美味しそうだったので、半分くらいはありがたくいただくことにした。栞が渡してきた爪楊枝にカットフルーツを差し、食す。うん、美味い。
「美味しかったよ、ありがとう。じゃあ、今度こそもう僕は行くね。本当に宿題がピンチなんだ」
「何なら、あたしの数学のノート見せてあげても良いわよ?」
「え、本当に?」
ぴたりと足を止める。捨てる神あれば拾う神ありだ。
「ただし、残りのフルーツも全部食べてくれたらね!」
「等価交換かよ⁉ けど、完食していたらノートを写す時間が足りなくなって、そもそも宿題が完了できなくなってしまうな……」
「宿題なんてやらなくていいじゃない。あたしと良いことしましょ」
「なんかエロい台詞に聞こえるけど、この暑いのに屋外でカットフルーツを食べまくるのがそんなに良いことだとは思えないよ! ていうかもうそれ、本末転倒だろ!」
ううむ、どうも今日の僕はツッコミに回る傾向があるな。普段は逆なはずなんだけれど。まあ、そんな日もあるか。漫才の歴史を紐解けば、ひと昔前はボケ担当とツッコミ担当を分けないコンビも多かったんだとか。
さすがにその辺で会話を切り上げて、僕は一人、冷房の効いた教室へと戻った。
だから僕は、栞が独り言ちるのを聞くこともなかった。
「……フフッ。あたしが選んで買った果物、井上に食べてもらえた」
誰もいなくなった中庭で、湯川栞は一人、小さくガッツポーズをしていた。意識していないと、表情が緩んでにまにましてしまいそうだ。
「お母さんが詰めてくれた」というのも、「食べきれない」というのも嘘。すべては、井上悟に自分が作った(といってもカットしただけだが)お弁当を食べてもらうために仕組んだこと。こんなところまでフェイクだった。
「あいつの胃袋を掴んでデレさせるって作戦、我ながら悪くないわよね。今日のところは、デザートを食べてもらえただけで良しとしましょう。次はいよいよおかずを渡して、いずれはあたしが、あいつの分までお弁当を持参してあげたりして……フフッ」
湯川栞の交友関係は、非常に広い。ゆえに相手によっては、付き合いで愛想笑いを浮かべることも少なくない。
しかし、今この瞬間に彼女が照れながら浮かべている、穏やかな笑顔は、本心からのものだった。




