第5話(全36話) 冒険への誘い
いいかげん歩き疲れた。朝からずっと王都を見て回っていた。気付いたら夕暮れ時で、お腹は空いているし、身体も心もつかれていた。どこかで食事をしようと悩む間もなく、足は自然と「遠い日の思い出」亭に向かっていた。
「遠い日の思い出」亭はいわゆる冒険者の宿だ。冒険者だったころはずっと入り浸っていた。王都での家みたいなものだった。けど冒険者を廃業してからは一度も行っていない。それだけ思い出のつまった場所なんだ。
「遠い日の思い出」亭は王都の南門近くにある。一階が食事をしたり、酒を飲んだりするスペースで、二階に寝泊まりするところがある。建物自体は相当年季が入っていて、それと同じくらい年季が入っているマスターがいる。
扉をあけて中に入ると奥にマスターがいた。全然変わってない。それもそうか。あたしは最近のマスターなんか知らないんだ……。みんなマスターが作る料理が好きだったんだよな。あたしは手近な卓に座り、エールと適当なものを、と店の子に頼んだ。
宿屋が提供するものは食事と寝る場所だけではない。情報もだ。旅人がやってくる。彼らは情報を携えてやってくる。それを聞くために地元の人間がやってくる。そこで情報の交換が行われる。旅人は王都の情報を得、地元の人間は外の情報を得る。その情報は商売につながるから、旅の商人たちは扱う商品ごとに向かう宿屋が決まっている。ワイン商人はあそこの宿屋、紙の商人はここという風に。そしてここ「遠い日の思い出」亭は、やっかい事を抱えている人が相談にやってくる宿屋として特化している。
いつごろからかマスターはやっかい事の相談を受けるようになり、それを店にたむろっている若者たちに紹介するようになった。それが始まりだったと聞いている。
あたしは卓に置かれたエールのジョッキを持って、マスターに自己紹介した。
「エルフの軽戦士。パーティメンバーを探している」
マスターは無言でじろりとこちらを見た。そしてうなずいた。それでおしまいだった。あとはマスターがよろしくやってくれるだろう。卓にもどって料理を食べた。懐かしい味、美味しい。単に肉と野菜を茹でたものだけど、こんな美味しいもの、しばらく食べてなかった。こういう冒険者の宿というのは王都以外にもあって、旅をするときは利用していたけど、食事時にはいつも決まってマスターの料理が恋しくなるんだ。
「遠い日の思い出」亭に通うようになって数日が過ぎたころ、あたしが軽い食事をしていると、ローブを着た少年が話しかけてきた。まだこの時はこんなにあどけなかったんだ、ベルナール。
「軽戦士か」
と、少年が聞いてきた。
「ああ」
あたしはぶっきらぼうに返して、周りを見渡した。アルチュールもレティシアもいる。さりげないようなフリをしてこちらを観察している。手をふってやろうかとも思ったけど、やめた。
「マスターから聞いたんだが、パーティを探しているんだって?」
少年のベルナールが話し続けている。
「ああ」
この当時のベルナールは師匠からようやく独り立ちを許された、経験をほとんど積んでいない魔法使いだ。新品の緑灰色のローブがまだ硬そう。当時は気付かなかったけど、まだまだ子どもだな。かわいい顔をしている。人形のようだという表現もできるかもしれない。それがあんな若くして初老と見られるような大賢者様になるなんて、時の流れとは恐ろしいものだ。
やつれた方のベルナールに言われたが、ここからやり直して本当に運命は変えられるんだろうか? あのアルチュールの首を思い出しながら、今のアルチュールの方を見た。相変わらず無関心のフリをしながら、こっちを気にしている。かわいい。そう、あのアルチュールが魔王を倒し、新しい魔王になり、魔王として討伐されるという運命をあたしは変えられるんだろうか?
「魔法使い、神官、戦士のパーティなんだが、ゴブリンと戦うかもしれない護衛の依頼を受けようと思っている。前衛が欲しい。入らないか?」
ベルナールが話を続けている。昔からこういう奴だった。人の反応なんて気にしないで、自分の言いたいことだけを一方的に話し続けるんだ。
「他をあたってくれ」
あれ? あたしこんなこと言うつもりだったっけ? 不用意な言葉を口にしてしまった。
不用意? いや、違う。あの時の言葉だ。十年前にベルナールにパーティへ誘われた時に言った言葉だ。あたし同じことをしている。当時のあたしを、今のあたしがコントロールしきれていない。
こんことで本当にあたしは未来を変えることができるの? あたしは不安になってきた。
ベルナールは首を振りながらアルチュールたちの方へ戻っていった。
無礼な奴だ。結局名前も名乗らずに用件だけ言って、断られるとさっさと帰っていきやがった。そうだよ、お前はそういう奴だった。
アルチュールを救うためには、あたしはパーティに入らない方がいいのかな、とも思う。あたしがパーティに入らなかったら、彼は魔王になんかならなかったのかも……。
こんどはアルチュールがやってきた。
「やあ、ジュヌヴィエーブ。僕はアルチュールだ。よろしく」
彼はあたしの前に立った。
「座っていいかな?」
あたしは黙って向かいの椅子をあごで示した。彼はあたしの態度に気を留めることなく、椅子に腰をおろした。
「さっき来たのは魔法使いのベルナール。礼儀とか、そういうのを知らないまま魔法の修業を終えたような奴だから、気分を悪くしたんじゃないか」
アルチュールは優しく話し続けた。
「いつまでも、ここのテーブルで燻っていてもしょうがないじゃないか。僕たちと一緒にきてくれないか?」
アルチュールは若かった。それは昔の記憶と較べてだ。彼とは三年、一緒に冒険した。あたしたちエルフにとって三年なんてあっという間だけど、トールマンにとってはそれなりに長い時間なんだろう。初めて会った時には、七〇歳くらい、あたしと同年代だと思った。あとで聞いたら一七歳だったんだって。予想はだいたいあっていた。一七歳から二〇歳ってトールマンはけっこう変わるもんだな。でも彼は一七歳にしては大人びていた、のだと思う。
長髪で、髪を後ろで束ねている。茶色い髪色、青い瞳。そういう所は思い出のままの姿だった。このころ愛用していた両手剣は元の卓の所に置いてある。その卓から魔法使いと神官がチラチラとこっちを見ている視線が感じられる。
「世の中、やってみないとわからないことがあるだろう?」
アルチュールが言葉を続けている。
「僕は、君が世界を知る、そのきっかけになりたいんだ」
何を恩着せがましく言っているんだ。こっちはあたしがいないほうが、あんたが幸せになれるんじゃないかって悩んでいるっていうのに。そんふうに考える理性とは無関係に、あたしの感情は高鳴っている。
あたし、今アルチュールに誘われている。
さっきからあたし、ドキドキしている。懐かしいアルチュール、その姿、その話し方、思い出の中の彼と同じだった。意識し出したら涙が出そうになった。
そうだ。あたしは彼と別れてから、流されるように生きてきた。自分で何も考えず、ただ周りに流されるように。気づいたら娼館で、アルチュールの死を聞かされるようになっていた。
でも、アルチュールと一緒の時は楽しかった。ベルナールは嫌な奴だけど、アルチュールとレティシアはいい奴だった。思えばあの頃があたしの人生の中で一番楽しかった時かもしれない。バカなこと、ドジなこと、思い出したくもないこともあったけど、それでも楽しかった。
でも、また楽しくできるだろうか。楽しい思い出は楽しいまま取っておいたほうがいいのかも。こっちは同じつもりでもみんなはどうだかわからない。勝手に幻想を抱いて、勝手に幻滅するのは嫌だ。
でも、あたしが決めなくては何も始まらない。アルチュールはあたしがいなくても魔王を倒すのだろうし、新しい魔王になるんだろう。そしてどこかの冒険者に倒されて、無惨な死に方をしてしまう。そんな死に方、アルチュールには似合わない。あのときベルナールは「アルチュールを助けてくれ」と言っていたっけ。彼を救えるのはあたしだけかもしれない。
でも、あたしがアルチュールの側にいて、何ができるんだろうか? 何もできないのなら、このまま別の道を歩んだ方が、あたしの思い出が傷つかないで済むんじゃないか。
でも、アルチュールは優しいから、また楽しい時間を過ごせるんじゃないだろうか。
でも、あたしがしっかりしていれば、アルチュールが魔王になるのを防げるかもしれない。彼を救うことができるかもしれない。
でも、あたしが何かすることで、あたしの唯一の楽しい思い出が汚されるかもしれない。
でも、でも、でも、……。
「わかった。でも一回だけだよ」あたしは絞り出すような声でそう言った。
「よかった。後悔はさせないよ」
アルチュールはそう言って笑った。
あたし、あれだけ迷って、結局前と同じことを言ってる。アルチュールの反応も記憶と同じだ。これは嬉しいことなのかな。どうなんだろう? でも、いや、もう「でも」はやめよう。これからはアルチュールを救うことだけ考えよう。冒険の始まりだ。