第2話(全36話) 魔王アルチュールの死
十年前、七〇歳くらいの時、あたしは淡い期待をもって冒険者になった。女の子と男の子が一緒に冒険をして、魔王を倒して、結婚して、国を治める。そんなクリシェな展開を期待して冒険者になった。今から見ると、なんて可愛らしんだろうって、抱きしめたくなっちゃう。
入ったパーティでは、ドワーフの護衛で洞窟へ行って、グールと戦って全滅しそうになったり、アンデットを使って森の木を伐採・加工している呪術師を探しに行って、グリフォンと戦って死にかけたりと、それなりに楽しい日々を送っていた。
でも人間関係が嫌で三年で辞めた。最初で最後のパーティだったんだ。
魔法使いは嫌な奴だった。そのパーティの魔法使いはまだあどけない少年で、身長もまだ低かったけど、口が悪く、それ以上に性格が悪かった。こいつが原因であたしはパーティを辞め、冒険者を廃業したようなものだ。戦士と神官はいい奴だったんだけどね。
四人パーティで、エルフのあたし以外はみんなトールマン。トールマンの年はよくわかんないけど、戦士と神官はあたしと同年代、魔法使いはちょっと下かな。あたしと神官が女で、戦士と魔法使いが男。神官は可愛い、優しい女の子だった。戦士は気さくで、お人よし過ぎるような奴だった。困っている人を見捨てては置けないと言って冒険者になったような奴だ。もっと他の道が考え付かなかったかと思う。
恋愛沙汰、なんだと思う。冒険者のパーティが、内部の恋愛沙汰で分解するというのはよく聞く話だ。クリシェすぎると言っていい。女も男も外で適当に処理すればいいのに、手近なところで済まそうとするからややこしいことになる。まあ、自戒を込めて言うけど、年頃の男女が危機を共有すると、自然とそういう風になっちゃうものなんだそうだ。客の学者がそう言っていた。
あたしが戦士と仲良くしていると、魔法使いが嫌な目をしてあたしを見ていた。けっこう露骨な嫌がらせを受けていたような気もする。それぞれはたいしたことじゃないけど、積もり積もってあたしは嫌になったんだ。
その当時は好きとか嫌いとかあんまり意識していなかったけど、今から考えると、やっぱりあたし、戦士のことが好きだったんだと思う。自分では気づいていなかった。魔法使いはそれをちゃんと解ってて、あたしに正しく嫉妬していたんだろう。当時のあたしには訳がわかんなかったけど。
戦士の名はアルチュール。アルチュールは両手剣を使うトールマンの戦士だった。長身に長髪で、髪は首の後ろで束ねていた。いつもあり得ないぐらい白いマントをつけていた。さっきも言ったけどお人好しで、人から頼まれると嫌とは言えず、よく金にならない依頼を引き受けていた。人の言うことを素直に受け取る、冗談の通じない奴だった。
戦士としてはそこそこだったかな。最初の冒険で死にかけて、危うくパーティが全滅しそうだったし……。でも戦場で槍を叩き切るようなあんな大きな両手剣を、ダンジョン内でも器用に振り回していたところをみると、それなりの素質があったのかもしれない。
あたし、アルチュールのことがちょっと好きだったのかもしれない。弟みたい? そうかな。実際にきょうだいがいないからわかんないけど、放っておけない感があった。あたしがいないと悪い人に騙されちゃう、利用されちゃうんじゃないかって。そういう気持ちは初めてだったから、その時は分かんなかったし、今もはっきりわかる訳じゃないけど、それは多分、好きって感情だったんじゃないかな。
アルチュールとの冒険は楽しかった。もっと一緒にいたかった。でも、パーティ内の人間関係、というか魔法使いが嫌いでパーティを抜けた。その時の気持ちでは、アルチュールが好きだという感情よりも、魔法使いが嫌いだという感情の方が強いと思ったんだろう。
でも、あたしは時々アルチュールのことを思い出してしまう。アルチュールに対する気持ちが、こんなに長く続くなんて、その時は思ってもみなかった。
あたしがパーティを抜けてしばらくたって、アルチュールたちのパーティは魔王討伐に成功した。快挙だった。王都中がその偉業に沸いた。しかしそれはすぐに絶望にかわった。アルチュールは魔王城をそのまま占拠し、新たな魔王となった。それが今の魔王、「純白の魔王」と呼ばれている。
新しい魔王は魔王城にとどまったままで、不気味な静けさが三年間続いている。魔王は動かずに、ただ恐怖だけを与え続けている。
なんだか外が騒がしい。
そろそろ夜の営業が始まるという頃合いだった。カリーヌが足音を立ててあたしの部屋に来た。いつもはこんな歩き方をしない子なのに。
「ジジ姐さん、聞いた? 魔王が倒されたんだって!」
彼女は興奮して言った。
王国の西部に城を構え、この国だけではなく、「女神様の首飾り」諸国の脅威となっていた魔王が死んだ。
これで平和がやってくる。セリーヌはそう言ってうずくまって泣いた。
冒険者一行が魔王を倒した。名前や編成を聞いたけど、頭に入ってこなかった。彼らはこれで勇者様になった。勇者様御一行は王都への凱旋の途上にあるという。帰路上の城や都市で引き留められて、すぐに戻ってくるという訳にはいかないそうだ。魔王が倒された、という情報だけが王都に到着した。
その話で王都中が浮かれている。その夜に来た客たちみんながその話をしていた。勇者様に会ったことがあると自慢する客もいた。この国の冒険者で、王都の「遠い日の思い出」亭に行ったことがない奴はモグリだ、と言われているから、彼らも王都に来たことはあるのだろう。もしかすると王都を拠点にしていたのかもしれない。でも市民たちと冒険者たちは縁遠い存在だ。この稼業を始めて冒険者に会ったことはない。いや、会いたくない。会ったら嫌なことを思い出しそうだから、会わないような店にいるんだ。
客たちはこれで平穏な生活が帰ってくるのだという。はいはい、奥さんや子どもに優しくしてあげなよ。
店の中も浮かれている。マダムもセリーヌも、何がうれしんだか興奮している。客もたくさん入っているようだ。
魔王が倒されたというニュースで、王都が、王国が、世界が高揚しているのだろう。
その中で、私だけが悲しんでいる。
もう秋が始まる。日も短くなってきている。いつもなら王都も静かになってくるころだが、今年は違う。王都全体が浮かれている。長年、人々の頭上にあった影が取り除かれたのだ。街全体で夜を徹したお祭り騒ぎが何日も続いている。
あたしの職場のあるあたりはいつも賑やかだが、ここ数日は拍車がかかっている。同僚たちは稼ぎ時だと言って化粧に余念がない。窓の外を見ていると、確かに人通りが多い。ギルドの規則で、店を開けるのは日没後と決まっている。店が開くのを待ちきれないのか、店の前でブラブラしている若い男もいる。
マダムが西の空をじれったそうに眺めながら近づいてきた。
「あんたも早く準備しなさい。今日も忙しくなるわよ、しっかり稼いでちょうだい」
良心的な経営者、なんだろう。昔は売れっ子だったそうだ。その美しさのカケラは今も残っている。あたしが早朝に店を抜け出してジョギングしていることは承知だろうに、何も言ってこない。
「はい。がんばります」
マダムは笑いながら去っていった。
あたしはセリーヌの化粧を少し直してから、自分の仕事部屋に入った。
そろそろ客が入り始めるころだった。親しい同僚の所にはもう客がついたようだ。声を潜めた話し声が聞こえる。
「どこも浮かれているようだ」
と思った。あたしの気持ちとは裏腹に……。
この王都で、王国で、世界で、悲しんでいるのはあたし一人かもしれないと、愚にもつかないことを考えている時に事件が起きた。
「ちょっと、お客さん、困ります」
玄関の方から女の声が聞こえた。
「あら、珍しい」
最初そう思った。ここでトラブルが起きるのはたいてい帰りがけだ。そんな時に備えての用心棒がいる。開店間もない時間に騒動が起きるのは珍しい。
「どけ」
騒動のもとの声が聞こえた。誰の所だろうと、他人事のようにぼんやりと聞いていると、騒ぎの音が近づいてきた。
「お客さん、ほんと困りますよ」
今度は男の声だ。用心棒の誰かだろう。
「邪魔だ」
何かが壁にぶつかる音がした。
「人だな」そう思った。人が壁にぶつかる音だとわかった。たいした衝撃ではないだろう。「魔法?」だが、衝撃で人を吹き飛ばす魔法なんか聞いたことがない。とにかくこんなところで魔法を使うなんて穏やかじゃない。敵娼の取り合いにしては剣呑すぎる。
そんなことを考えてる間に騒ぎはあたしの部屋の前で止まり、ドアノブが回された。
「えっ! あたし!」そう思った。身の覚えがないんですけど……。
扉が開くと、そこには緑灰色のローブを頭からかぶった、こんなところには場違いな奴がいた。
そいつが、フードを下ろしして、顔を見せて言った。
「ジュヌヴィエーヴ、探したぞ。こんなところで何をしているんだ」
昔組んでいたパーティの魔法使い、ベルナールだった。