SGS086 訓練を続けるってどういうこと?
あるとき父親がまた声を掛けてきた。腕の骨折から立ち直って、数か月が経ったころだったと思う。
「毎日頑張って訓練を続けているようだな。おまえにちょっと聞くが、訓練を続けるっていうのがどういうことか分かっているか?」
変なことを尋ねるなぁと思いながらオレは素直に答えることにした。
「ええと、毎日休まずに訓練メニューを繰り返すってことだろ?」
「訓練メニューってのは何だ?」
「道場で習った色んな訓練項目だから、一言で説明なんかできないよ」
「先生から教えられた訓練項目を毎日繰り返してるってことだな?」
問われてオレは頷いた。
「それはそれで良いと思うが、おまえは同じような訓練を毎日ずっと繰り返しているんじゃないか? もしそうなら、それはおまえが頭を使ってないということだぞ」
「どういうこと?」
オレはムッとして聞き返した。
「いつも同じことを繰り返していたのではダメだってことだ。言い換えれば、工夫が足りないってことだ。分かるか?」
オレは首を横に振って「分からない」と言った。
「おまえは毎日真面目に訓練を続けている。それはおれも知っている。だけどなかなか強くなれない。それでおまえは悩んでいるんだろう? 同じことを繰り返しただけでは自分が期待するほどには成長できないんだ」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」
「まずは目標を定める。どうすればその目標を達成できるか手段を考えて、計画を立てる。そして計画どおりにやってみる。やってみたら目標を達成できるかもしれないし、達成できないかもしれない。どちらにしても、何が良かったのか、何が悪かったのかを振り返って原因を考えてみる。原因が分かったら改善するべきことが見えてくる。次からはその改善するべきことを計画に取り入れて、知恵を絞りながら工夫してまたやってみる。失敗するかもしれないし、上手くいくかもしれない。このとき、失敗を恐れずに工夫を積み重ねていくことが大切だ。それを繰り返していくことが訓練を続けるっていうことなんだ。そうやって訓練を続ければ体も心も鍛えられる。そして色々考えて知恵を出すことで頭も鍛えることができるんだ」
「ふーん、なんだか難しいな」
「難しいかもしれないな。だが、大切なことだぞ。人から与えられた訓練メニューを繰り返すだけではなかなか成長できないし、訓練も面白くないだろう。だが、おまえが自分で考え、知恵を出して工夫すれば、もっともっと成長できるし、訓練も面白くなるはずだ」
そのときは父親の話をほとんど理解できなかった。
大人になって会社に就職してから「PDCAを回す」ということの知識を得た。企業人としては当たり前の知識だろうが、オレは現場でそれを日々実践するようになって、「ああ、あのとき親父が言っていたのはこういうことか」と納得したのだった。
ちょっと余計な話になるが、PDCAを回すというのは、計画(Plan)を立て、それを実行(Do)し、その結果を評価(Check)して、改善(Action)を進めるということだ。そのサイクルを繰り返し行っていくことで、目標達成に向けてどんどん突き進んでいく。目標を達成したら次の新たな目標を定めて、またPDCAを回す。
PDCAというのは会社などの組織の中で業務の改善サイクルを回し続けることで品質や生産性を向上させて、結果として組織の業績を高めていくために使われる手法だ。それを子供の運動や勉学に応用している人がどれ程いるのか知らないが、少なくともオレの父親はそれが自分の子供の訓練にも使えると考えたのだろう。
オレが親父の言っていたことを納得したのは、そんな上っ面の話ではない。親父が言っていたあの言葉だ。
「人から与えられた訓練メニューを繰り返すだけではなかなか成長できないし、訓練も面白くないだろう。だが、おまえが自分で考え、知恵を出して工夫すれば、もっともっと成長できるし、訓練も面白くなるはずだ」
大切なのは、上司などから命じられて嫌々PDCAを回すのではなく、自ら進んでPDCAを回すことだ。自分や職場の同僚たちの成長に繋がることが分かっていれば、どんどん知恵も出てくるし、改善も捗って面白くなるのだ。
あのとき父親は「PDCAを回す」ということのコツを中学生のオレに噛み砕いて説明してくれたのだ。そうだと分かったのはオレが大人になってからだ。
中学生だったオレはそのアドバイスをほとんど理解できなかった。だが、その話に刺激されたのか、中学ころから毎日始めたことがある。自分の訓練の記録をつけるようになったのだ。毎日続けている筋力トレーニングや素振りの記録などだ。回数などの数値だけでなく、気付いたことなどを細かくメモした。体組成計も買ってもらって毎日記録した。部位別の筋肉測定ができる高機能モデルだ。
こうした訓練の記録をつけることで1か月前や半年前の記録と見比べると自分の筋力や体力が向上しているのがよく分かるし、改善するべきところも見えてくる。それは自分のヤル気に繋がったし、訓練方法を自分で考えて工夫することの面白さも分かってきた。
でも、そんな訓練を続けても試合では勝ったり負けたりで、自分が飛びぬけて人よりも強くなったとは思えなかった。ウサギに追い付き追い越せたとも思えない。カメの自分に何が得られたのかは分からなかった。
オレのことを心配しているユウやラウラたちにその話をした。ラウラは日本のことを知らないから一つ一つ解説を加えながら説明した。
『――ということなんだけど、父親が言っていたことが分かってきたのは大人になってからだったと思う。いや、もっと言えば、こっちの世界に来て、自分がこの過酷な世界で本当に生き抜いて行けるのかって自分に何度も問い掛けてみてからだった気がするんだ。自分は絶対に意気地無しではないし、負け犬になるつもりもない。こっちの世界でも自信を持ってそう言うためには、これからも必死に訓練を続けて、自分が強くなるしかないと思う。父親が言っていたようにね』
オレが自分のことを話し終えると、すぐに反応したのはラウラだ。
『ケイは意気地無しでもないし、負け犬でもないわよ。ケイが生まれた世界では毎日訓練を続けて、昨日の自分よりは少しずつでも強くなってきたのでしょ? それならウィンキアでも訓練を続けて、もっともっと強くなれるわよ』
『うん、そうしたいと思ってる』
『さっきのカメの話だって、ケイがウサギに追い付き追い越すのはきっとこれからなのよ』
『そう言ってもらえると嬉しいよ』
ラウラはオレを励ましてくれている。
たしかにゴールはまだ見えてなくて、今は競争している最中なのだろう。いや、違うな。今の自分はこのウィンキアという世界でようやくスタートラインに立とうとしていて、これから新たな自分との競争が始まるのかもしれない。
ラウラの言葉でヤル気が少し高まった気がしたが、次のユウの言葉を聞いてがくっとなった。
『頑張り続ける根性はありそうよね』
ユウに上から目線で言われると、ちょっとムカつく。
コタローからは冷静なアドバイスが返ってきた。
『ケイが訓練を続けることができそうにゃのは分かったわん。でもにゃ、趣味の運動を続けるのと、命を懸けた戦いを続けるのとでは大きな違いがあるぞう』
『分かってる。昨日の自分より少しでも強くなるために訓練するのと、自分を殺そうとする敵と命を懸けて戦うのとでは全然違う。負けたら死ぬんだからね』
『そうだにゃ』
『でもね、命を懸けた戦いを続けられるのかって問われても、自分でも分からないんだ。やってみないと……』
『ケイの正直な気持ちだと思うけどにゃ、その答えでは不安だわん。ケイは何もしないでも3年後には魔力が〈500〉を超えるのだぞう。それを待ったらどうかにゃ。その方がずっと安全だぞう』
たしかにコタローの言うとおりにした方が安全で楽だろう。オレとしては、面倒なことからは少しでも逃れたい。ここはコタローの助言に従うべきか……。
※ 現在のケイ+ユウ+コタローの合計魔力〈240〉。
※ 現在のラウラの魔力〈50〉。




