SGS056 和平交渉に苦難は付きもの
翌日の朝。予定どおりゴブリンとの打合せが始まった。オレは交渉に当たって、レングランの女官に相応しいワンピースに着替えていた。これは姫様たちが事前に用意してくれたものだ。
ゴブリン側は打合せと言っていたが、どちらかと言うとそれは取り調べだった。ひとりずつ呼ばれて尋問を受けた。オレを取り調べたのは、オリヴェルという名前の真面目そうな男の官吏だ。たぶんドンゴと同じくらいの歳だろう。ちなみに、ドンゴは60歳と言ってたから、人族に換算すれば25歳くらいだ。
「あなたの名前と役職を説明してください」
さすがに王宮の官吏だけあって、オリヴェルは共通語をちゃんと話せるようだ。しかし今はそれに感心している場合じゃない。
オレはオリヴェルに強く抗議した。国を代表して和平を結ぶために来訪した特使に対して、まるで犯罪者か何かのように監禁したり取り調べを行ったりしているからだ。こんな無礼な扱いは酷すぎる。ゴブリンの国はそれも分からない野蛮な国なのか。そう文句を言ってやった。
自分は交渉官であり、後で姫様と一緒にゴブリン王に拝謁することになるだろう。そのときにこの無礼な処遇について話に出すかもしれない。するとどうなるか。ゴブリン側でこの無礼な取り調べを行った者は処罰を受けることになるかもしれない。
オレの抗議を受けたオリヴェルは、このような扱いを行っている理由を率直に説明してくれた。
「我々があなた方を警戒したり取り調べのようなことをしているのは、あなた方がベルッテ王を狙う暗殺者かもしれないからです。あなたには、あなた方が本物のレングラン王国の王女様と交渉官であることを証明していただきたい」
ベルッテ王とはレブルン国王の名前だ。それにしても本物であることを証明するのはちょっと難しいぞ……。
「我々が持ってきたベルッテ王への贈呈品や我が国王からの親書を見て、それを信じていただくしかありません」
「いや、それも、我らを騙すための偽物かもしれません」
そうだよな、疑うよな。
これは予想された質問だったから答えはあらかじめ考えてきた。でもちょっと考える振りをしなきゃ……。
「ゴブリン族は人族の女を噛むことで、その女を魅了すると聞いています。どうでしょう。わたしを噛んでください。わたしが魅了されれば、あなたに対してウソを吐くことはできません。すべて本当のことをお話しすると思います。ただし、わたしが言っていることが本当だと分かったら、すぐにキュア魔法で治療をお願いします」
オリヴェルはオレの提案を少し考えて、頷いた。
「あなたの提案は理に適っている。こちらに来なさい」
オレは立ち上がってオリヴェルに近づいた。ちなみにこの部屋にいるのはオリヴェルとオレだけだ。10分以上も噛まれるのはイヤだけど、これは大事の前の小事だ。和平交渉に苦難は付きものだ。これくらい切り抜けないとボス戦には挑めない。
あ、やばい。オレは何も期待していないのに、自分の体は相手を受け入れようとして潤いを増している。何となくそんな気がするだけだ。
オリヴェルは立ち上がってオレを抱きしめた。
「人族の女、いい匂い。体はウソ吐けない。興奮してるな。よく分かるよ」
少し言葉がゴブリンっぽくなっているから、そっちが興奮しているのもよく分かるよ。なんて思っていると、首をガブリと噛みつかれた。これまでも何度も経験しているが、噛みつかれたときは痛い。でもしだいに気持ち良くなってきた。……やばい。どんどん良くなってくる。
オリヴェルが噛み付きを止めた。たっぷり唾液が入ったことが分かる。
ああ、離れたくない。自分の方からぎゅっと相手を抱きしめた。そして唇を求めた。オリヴェルの舌が自分の中に入って来て、頭の中がジンとしびれてくる。このままずっと抱かれていたい。
オリヴェルが体を離そうとした。だけど離れたくない。オリヴェルの腕にまだ取りすがっている。
「本当のことを言いなさい。あなたは暗殺者ですね?」
「ちがいます。もっと抱いてください」
泣きながら首を横に振った。
「あなたと一緒に来た者たちの中に暗殺者がいますね?」
「いえ、いません。絶対にいません」
「あなたと一緒に来た王女様はレングランの本物の王女様ですか?」
「はい。間違いなくレングラー王家の王女、テイナ姫様です」
「あなたはレングラン王国の交渉官で、和平交渉のために我が国へ来たのですか?」
「はい。でも、あなたのヨメになりたいです」
その後も質問は続いたが、オリヴェルは納得してくれたようだ。
「質問は終わりです」
オリヴェルはそう言うと、オレに向けて何かの呪文を唱えた。約束どおりキュア魔法だ。20分くらい魔法を掛け続けてくれた。ようやく首の噛み痕は消えたようだが、まだ体内に唾液が残っている感じがする。
「ありがとう。あとは自分で治療します。オリヴェル、あなたは素敵でした」
「あなた方が本当に和平交渉のために、我が国へ来られたことが良く分かりました。数々のご無礼をお詫び申し上げます」
「それはお互い様です。気になさらないでください。ただし……」
「ただし?」
さぁ、ここからが勝負どころだ。
「王女様に対しては、このような取り調べはご遠慮ください。王女様は我が国を代表して和平交渉のためにこちらへ来ました。ベルッテ王へもご挨拶いたします。しかし王女様に噛み痕などは絶対に付けられません。具体的な交渉は交渉官のわたしが王様との間で行います。よろしいですか?」
「それは了解した。しかし、交渉中にあなたがベルッテ王へ狼藉を働いたり王様をたぶらかしたりしないという保証がほしい」
「わたしは王様に狼藉を働いたり騙したりしません。でも、信じていただけないのであれば、先ほどのように王様がわたしを噛んで、身も心も通じ合わせた上で交渉を行うということでも結構です」
これも事前に考えてきたセリフだ。
「なるほど、あなたはそこまで覚悟をされているのか。当方にとってはそれが一番安全であるな。では、そうさせていただこう。ベルッテ王とは明日の朝、会談を行うということでよろしいか?」
「それで結構です」
こちらのシナリオどおりに事は進んだ。
ゴブリン側の官吏との事前交渉が終わってから、姫様やルセイラと交渉状況を話し合った。姫様に対してはさすがに無茶な取り調べは行われなかったが、ルセイラにはかなり強引な取り調べが行われたそうだ。ルセイラはそれに堂々と応対し、相手の官吏も我々が和平交渉に来たことを納得したらしい。
夜になってからニドへ約束どおり念話で報告を行った。事前交渉の状況を報告しただけで、噛まれたことなどは省略した。交渉の山場は明日だ。
………………
そして翌朝。オレはテイナ姫と一緒にベルッテ王に会った。
オレたちは王様と会談をするための部屋へ通された。大きな部屋だ。玉座から15モラくらい離れたところに椅子が二つ置いてあり、オレたち二人はそこに座るよう言われた。
玉座までの間に多くの武官や官吏が立っている。その緊迫感というか殺気というか、物々しい雰囲気が充満していて、我々を警戒し敵意を抱いていることがありありと伝わってくる。
このような場では和平交渉なんか、うまくいくはずがない。
ベルッテ王が現れて玉座に座った。体形は普通のゴブリンと変わり無い。顔はゴブリンにしては精悍だ。理性や決断力がありそうな顔つきだ。
「余が国王のベルッテだ。わざわざ遠くまで来てくれたが、我が国は貴国と敵対している。したがって、この会談もこのように席を離している。これが我が国と貴国の関係だということを了解してもらいたい」
「突然の訪問にもかかわらず会談のお時間をくださり、ありがとうございます。わたくしがレングランの王女、テイナです。こちらは交渉官で名前をケイと言います」
「それで、用向きは?」
「わたくしは、わが父、レングラー王の代理として全権を委ねられて、貴国との間で和平協定を取り交わすためにまいりました。不幸にも、これまで貴国と我が国の間で敵対関係が続いてきましたが、これを白紙にし、和平協定を取り交わしたい。それがレングラー王の望みでございます。ここに、レングラー王からベルッテ王への親書を預かってまいりました。ぜひともお受け取りくださり、和平案をご検討くださいませ」
姫様は親書と贈呈品の目録を近くの官吏に手渡した。親書にはレングラー王の署名入りで和平協定を結びたい旨が書かれている。贈呈品としてはソウルオーブ100個を贈る予定だが、和平協定の成立が条件だ。だから、今は目録だけを渡した。贈呈品のソウルオーブは原野の道中に隠してきた。
ベルッテ王は親書の内容をざっと見て、姫様に顔を向けた。
「ほぅ、おもしろいことを言う。これまでレングラー王は勝手に我が領土へ土足で踏み込んでいたが、今度は和平を結びたいだと?」
部下から贈呈品の目録を受け取ると、ベルッテ王はそれに目を通し苦笑を浮かべた。
「和平は結びたいが、ゴブリンにソウルオーブは渡したくない。レングラー王の考えが手に取るように分かる贈り物だな」
「ご慧眼、恐れ入ります。どうぞお手柔らかにお願いいたします。こちらにおります交渉官のケイが王様へ親書の意図するところを説明させていただきます。お時間は頂戴できますか?」
「その件は当方の官吏から聞いている。交渉官とは別室で会おう。王女とは、その後にあらためて話をしよう」
これで姫様の1回目の交渉は終わった。ゴブリン側は敵意が強いようだが、これまでの両国の関係を考えると、交渉はまずまずのスタートだろう。姫様も周りが敵ばかりの中で、よく頑張ったと思う。
次はオレの番だ。いよいよ切り札を出すときが来た。
※ 現在のケイの魔力〈120〉。




