SGS055 ゴブリンの国へ向かう
出発の朝。旅立つ直前にドンゴとラルカル、オレの首輪は外された。オレは奴隷の身分から解放された。だが、ラウラを奴隷のまま箱庭に置いて行かねばならない。そのことは身を切られるほどに辛かった。
ラウラはエマや姫様の侍女と一緒に見送ってくれた。
「オイラ、かならず、帰ってくるだよ。ラウラ、げんきで、おりこうにナ」
「ラウラ、少しの間だけ我慢して待っていて。ドンゴもわたしも、必ず無事に帰ってくるから」
ラウラはオレを抱きしめ、ドンゴも抱きしめ、泣きながら「元気な姿で必ず戻って来て」と繰り返し繰り返し呟いた。なんだかオレも泣きそうになった。ラウラもドンゴもオレの本当の家族だ。心の底からそう感じた。
………………
王都防衛隊の兵士が三十人ほど監視塔が見える丘の上まで同行した。ゴブリンが一緒に歩くので、何も知らないハンターや戦士たちから間違って攻撃されるのを防ぐためだ。
王様はテイナ姫の進言を受けて、姫がレブルン王国へ和平交渉に赴くことを公表し、今後はゴブリンへの攻撃や狩りを一切禁止するという触書を国民に向けて掲示した。加えて、兵士やハンター、原野の開墾者たちへは、もしもゴブリンと遭遇したり攻撃を受けたりしても、できる限り戦闘を避けて退却せよとの命令も出した。
さらに、和平協定が成立すれば、ゴブリンに対する差別の禁止や、ゴブリンの子供を身ごもった女性に対する差別の禁止、その場合に身分を下げるという制度を廃止することなども王様は約束してくれたそうだ。
丘の上で兵士たちと別れて、オレたちはレブルン王国を目指して原野の山道へ入っていった。いよいよゴブリンの国へ向かうのだ。
兵士たちと別れた後、姫様とルセイラはゴブリンのお守りを身に着けた。着衣はそれぞれ装飾の入った革服の上下を着て、いかにも王族とその護衛が狩りに出かけるような格好だ。ゴブリンたちが見ても高貴な女たちだと考えるだろう。
オレの首にはラルカルの噛み痕が付いていて、着衣も革の腰巻とブラだけだ。意識してゴブリンのヨメに相応しい格好をしている。
それぞれが武器とソウルオーブを携帯していた。オレにも狩猟刀とソウルオーブが与えられた。オーブはオレには必要ないが、これがあればソウルオーブで魔法を発動したように見せかけることができる。オレの能力を偽装できるのだ。
荷物はすべてニドが持っている。クメルンバッグに野営道具一式や姫様たちの着替えを詰め込んで、それを背負っている。ただしゴブリン王へ贈呈するソウルオーブ100個だけはルセイラが持っているようだ。
オレたちは全員が常にバリアを張って歩くことにした。オーブの手持ちが少なければそんなことはできないが、今回はその心配はいらない。なにしろオーブさえあれば、オレがいつでも魔力を満タンにできるから、魔力を節約する必要がないのだ。
ドンゴとラルカルのどちらか一人が交代で前方を偵察しながら歩き、オレたちは100モラくらい後を歩いた。初日は何事もなく進むことができた。
………………
原野に入ってから2日目の昼過ぎ。オレたちは不意打ちを食らった。
突然に低木の中から男たちが飛び出して来て、少し前を歩いていたドンゴを剣や斧で切り付けてきたのだ。男たちの数は五人だ。どうやらゴブリンが人族の女たちや男を捕らえて護送していると思ったようだ。今はゴブリンが一頭だけだから楽勝だと考えて襲ってきたのだろう。
ラルカルは100モラほど先を歩いていて、たぶんこの不意打ちには気付いていない。
ドンゴのバリアが武器の打撃を受けてどんどん削られていく。今のままではバリアが破れてドンゴが殺されてしまう。オレはドンゴに向けてバリア回復魔法を放った。急速にドンゴのバリアが回復していく。もう大丈夫だ。
ルセイラが戦いを止めるよう叫んでいるが、必死に武器を振るっている男たちには聞こえないようだ。ドンゴは反撃を開始した。攻撃を受けた男のバリアがドンゴが振るう斧の打撃で消えそうだ。
「ドンゴ、相手を殺してはダメ!」
「分かった」
ドンゴは斧を振るいながら、頷いた。
相手のバリアが消えたところで、オレはすかさず眠り魔法を撃ち込んだ。相手の男は倒れた。残り四人。
ドンゴは次の男に立ち向かう。ルセイラは今のところ姫様を守って身構えているだけだ。ニドも黙って見ている。ドンゴとオレのコンビ戦法を見て、任せて大丈夫と判断したのだろう。
男たちは女たちに手を出そうとはしていない。オレがバリア回復魔法や眠り魔法でドンゴをサポートしていることにも気付いていないようだ。
二人目の男のバリアが消えて、オレの眠り魔法で倒れた。
男たちは相手が普通より強いゴブリンであることにようやく気付いたようだ。いくら攻撃してもゴブリンのバリアを破壊できないのだから、気付くのが遅すぎるくらいだ。
男たちの攻撃が及び腰になってきた。
「攻撃を止めなさい。止めるのだーっ!」
ルセイラが双方の間に入って叫んだ。
男たちの剣や斧がルセイラのバリアに当たって弾かれた。勢いが無いせいか、ほとんどバリアは削られていない。ドンゴは斧を振るうのを止めた。
ルセイラは何かを手に持って、男たちに見せながら命令した。
「者ども、ひかえおろうーっ! この紋章が分からぬかーっ!」
あれっ? こんなシーン……どこかで見たような……。
「ゴブリンのヨメ風情がおれたちに偉そうな口を利くな! ゴブリンに味方するならおれたちの敵だ。死んでもらうぞ!」
ルセイラが手にしているのはレングラー王家の紋章が入った革製のポーチだ。あれはたしか、姫様が腰にぶら下げていた。男たちもその紋章にようやく気付いたようだ。
「そ、それは、レングラー王家の紋章か? 王族しか持っていない物を、どうしておまえが持っているんだ?」
「このお方を知らぬのかーっ! こちらのお方はレングラー王家の王女、テイナ姫であるぞ。ひかえろっ! ひかえぬかーっ!」
「ひぇっ! はっ、はぁーっ」
男たち三人は、それぞれ剣や斧を背中の後ろに隠して跪いた。
ルセイラは眠っている男たちも起こして事情を説明した。
「姫様はゴブリンの国、レブルン王国へ全権特使として赴くところである。このゴブリンたちには道を案内させている。これがレングラー王からの触書である。ここに書いてあるとおりゴブリンとの戦闘行為は禁止となった。分かったか!」
「申し訳ございませぬ。知らぬこととは言え、姫様ご一行に対し、とんでもないご無礼を働いたこと、なにとぞ、お許しくださいませ」
男たちは地面に頭をこすり付けて謝った。
「許す」
姫様が答えた。
そのとき、今ごろになってふうふう喘ぎながらラルカルが走ってきた。
「なにか、あっただか?」
ばーか!
………………
3日目の朝。オレたちはゴブリンの偵察隊と遭遇した。相手は三人。その中にドンゴの知り合いがいて、事情を説明してレングラー王の触書を見せると、すんなり受け入れてくれた。
遠征隊の本隊が2ギモラ(キロメートル)ほど北にいるということで、そちらへ向かった。本隊には二百人以上のゴブリンがいた。オレたちは取り囲まれて、色々質問を受けた。
心配していたことだが、ニドのことで一悶着が起きた。荷物持ちの奴隷であるとドンゴがゴブリンの隊長に説明したが、簡単には信用してくれず、従属の首輪が本物かどうかも疑われてしまった。止むを得ずルセイラが電撃罰の呪文を唱えると、ニドが電撃ショックでぶっ倒れた。それを見て、ゴブリンの隊長はようやくニドが本物の奴隷だと納得したようだった。
そんな出来事があったが、それ以外はスムーズだった。姫様は臆する様子も見せず堂々と応対した。ニドを疑った隊長も、それ以降は物分かりが良くて、レブルンの王都までゴブリンの兵士を十人ほど付けて送ってくれることになった。
そして7日目の昼ころ、オレたちはゴブリンの国、レブルンの王都に着いた。
………………
ここはレングランの王都とは様相がまったく違っていた。レブルンの王都はレブル川の南岸に広がる平野の中にあった。レブル平野と呼ばれいて、その広さは広大だ。レブル川に沿って長さ150ギモラ、幅50ギモラくらいの広さがあり、すべてが農地として耕されているそうだ。
小高い丘の上からレブルンの王都を眺めて、オレは驚いた。王都の周りは一面、黄金色の畑になっていた。それが地平線まで広がっているように見えた。ドンゴに聞くと、大半が麦畑だそうだ。ここにはレングランとは比べ物にならないくらい広大で豊かな農地があった。ゴブリンは、もしかするとオレの想像以上に進んだ種族なのかもしれない。
王都を囲む街壁は無く、家々は茅葺や藁葺の平屋だった。街と呼べるような密集地は無く、家々は畑地の中に点在していた。これが街と呼べるとすれば、街の面積はレングランの王都の数十倍はあるだろう。
街の中心部に高さが20モラくらいの石の城壁で囲まれているお城が見えた。ゴブリン王のお城だ。聞いた話では、この城壁は直径500モラくらいの円形でお城を囲んでいるとのことだ。その内側には、王様が住む建物や兵舎など、同心円状に数多くの木造の建物が並んでいて、建物をつなぐ廊下も屋根つきの木材で組まれているらしい。
オレたちは城門を潜って内側に入り、一つの建物に案内された。要人用の建物らしい。六人にそれぞれ寝室が割り当てられた。部屋には鍵が掛けられて見張りがついている。敵意が無いことは理解してくれたようだが、警戒されていることは確かだ。
それに、レングランの王女がレブルン王国を突然訪問してきたことにゴブリン側は驚いているようだ。訪問の趣旨について、明日の朝から打合せをしたいとゴブリン側は伝えてきた。
旅の汚れを落とした後、ゴブリン側が用意してくれた美味しい夕食を食べた。パンが柔らかかった。考えてみると、柔らかいパンを食べたのはこの世界に来て初めてのことだ。レングランでは石のように硬いパンか茹でたイモが主食だったから、久しぶりに食べたパンの香ばしさとフカフカした食感に感動した。やはりこの国は豊かなようだ。
明日から交渉が始まるので、オレは首に付いた印をヒール魔法で完全に消した。
余談になるが、以前にニドから忠告を受けたときからオレはキュア魔法とヒール魔法を意識して使い分けるようになった。それまでは即時回復のイメージを頭の中に思い浮かべながら“キュア”という名称を念じていた。はっきり言って無茶苦茶だった訳だが、それでも短時間で体が治癒していたから“キュア”魔法ではなく“ヒール”魔法が発動していたということだ。どうやら魔法の名称ではなくイメージが優先されるようだ。
ヒール魔法は即時回復ができるが、その魔法を使えるのは神族だけだから、むやみに使うと自分が神族であることがバレてしまう虞がある。それにヒール魔法の使用回数は1日に数回しか使えないらしい。魔力が高まるにつれて使える回数は少しずつ増えるそうだが、いざというときに備えて大事に取っておきたい。だから、普段はキュア魔法を使うようにしようと思う。
首の傷が癒えたせいか気持ちが落ち着いてきた。その後は何も考えずにゆっくりと眠った。
※ 現在のケイの魔力〈120〉。




