SGS050 姫様の兄貴がやってきた
オレが気を失っている間にニドがキュア魔法を掛けてくれたらしい。おそらく首の印も消えただろうから、ラルカルに印をもう一度付け直してもらった方が良いだろう。小屋に戻って、寝ているラルカルを起こした。
夜中に起こしたせいでラルカルは寝ぼけていて、文句を言いながら印を付けると、またすぐに眠ってしまった。
なんだか自分の気持ちがモヤモヤしている。ニドのことが気になっているのだろうか。いや、違う。ラルカルの唾液のせいで自分も欲求不満が溜まっているのかもしれない。そんなことを考えながらオレはいつの間にか眠りに落ちていた。
………………
翌日の昼前。バハルがやって来て、オレたちを呼び寄せた。村の広場で待機しろと言う。また誰か偉い人が来るのだろうか。
しばらくすると、男が三人、バハルの案内で共生村に入ってきた。一番目立っているのは見た目が25歳くらいで身分が高そうな男だ。たぶん王族か貴族の一員だろう。小賢しさが顔に浮き出ていて、少し残念なハンサム貴族だった。
もう一人は40歳くらいのガッシリした大男で、将軍のような軍服を纏っていた。上品さは無く、見るからにアブナイ雰囲気を漂わせている。三人目も体格の良い男だ。おそらくハンサム貴族の護衛だろう。
「交渉官になりたいと言った女奴隷はどいつだ?」
将軍がオレたち女奴隷に向かって太い声で尋ねた。何かやばい感じで、身がすくみそうだ。でも名乗り出ないとラウラやエマが危ない目に遭うかもしれない。
「わたしです」
「おまえがテイナ姫に余計な入れ知恵をした女だな?」
「余計な入れ知恵ではありませんが、色々と提案はさせていただきました」
しまった! 言わなくてもいいことを言ってしまったかもしれない。
「この生意気な女奴隷には、しっかり身分というものを教え込まねばなりませんな」
将軍が媚びるように語りかけると、ハンサム貴族は頷きながら呟いた。
「このような薄汚い女奴隷に操られるとは、テイナも情けない……」
姫様の名前を呼び捨てにしているということは、こいつは姫様の兄貴なのだろう。わざわざ姫様の兄貴がオレに会いにやってきたようだ。
そう言えば、オレを交渉官に任命することを一番上の王子が執拗に反対したそうだから、もしかするとその王子かもしれない。そいつが自らこの闘技場に足を運んできたとすれば、何か嫌がらせをするつもりだろうか。やばいな……。
「やれっ!」
将軍の声に、王子の隣にいた護衛が動いた。と思ったら、オレは左頬に強い衝撃を受けて、後ろにぶっ飛んだ。朦朧とする意識で、パンチを食らったんだなぁと呑気に考えた。護衛に引き起こされて、さらに腹を何度も何度も容赦なく殴られた。息ができない……。オレはその場に倒れ伏した。
遠ざかる意識の中で、ラウラが何か叫んでいる声が聞こえた。だめだ! 抵抗しちゃいけない! 今度はラウラが危なくなる。
消えそうになる意識を無理矢理繋ぎとめて、オレは起き上がろうとした。でも、体が動かない。ダメージが大き過ぎるみたいだ。
直ぐそばで、何かを殴り付ける音が聞こえる。ラウラの悲鳴と泣き声が入り混じる。ダメだ! お腹に赤ちゃんがいるのに、そんなことをしてはダメだ!
体も首も動かないが、オレは音のする方にどうにか目を向けた。ドンゴがラウラの上に覆い被さって、護衛に足蹴にされていた。ドンゴは自らの体で身重のラウラを守っているのだ。
「かまわん。そんなヤツは殺してしまえ!」
王子の興奮した叫び声が上がった。
ドンゴはすでに死んでいるのだろうか。蹴られるままで無抵抗だ。声も上げていない。目を凝らして見ると、ドンゴは自分の体重をラウラに掛けないように、四つん這いで懸命に耐えていることが分かった。
護衛もそれに気付いたようだ。ドンゴの脇腹を蹴り始めた。いや、つま先でドンゴの下にいるラウラを蹴っているのだ。ラウラは気を失ったのか、声を上げなくなった。今のままではラウラもお腹の赤ちゃんも殺されてしまう。自分がなんとかしないと……。
「なぐる、なら、わたし、を……」
声が詰まる。腹や胸を何度も殴られたせいだ。体に力が入らないが、少しだけ体を起こせた。見ると、ラウラの腰のあたりに赤黒い血だまりができて、少しずつ広がっている。
ゆるさない! オレはこいつらを絶対にゆるさない!
ドクン! オレの体の中で何かが動いた。いや違う。オレの体の中に何かが流れ込んでくるような……。だけど今はそれどころじゃない。
何とかしなきゃ。今の自分にできることは……。
そうだ。自分には無詠唱の魔法がある。でも、今の実力ではこの三人とバハルには勝てない。それでも何かできるはずだ……。
オレはドンゴとラウラを繰り返し蹴り続けている護衛の軸足に向けて、念力魔法を使った。護衛はバランスを崩した。見た目には蹴り損ねて転んだように見えた。転んだ拍子に右手を突いた。すかさずオレはその腕を念力魔法で折ってやった。オレの視界から外れてしまって見えないが、念力を仕掛けたときに手応えがあったから、間違いなく折れたはずだ。
「あっ! も、申し訳ありません」
護衛が王子に謝る声がした。だが痛いとも言わず、立ち上がって、ふたたび蹴り始めた。その右手はだらんと垂れさがっていて、明らかに異常だ。
「そのゴブリンを殺したら王命に背くことになるぞ」
後ろから声がした。誰だろ? あっ、あの声はニドだ。
「奴隷の分際で、生意気なヤツ!」
王子の声を聞いたバハルが呪文を唱えた。電撃罰だ。
「うっ!」
ニドの呻き声がして、倒れる音が聞こえた。
「殿下、そろそろ、よろしいかと存じます。この者らも思い知ったことでございましょう」
将軍の声だ。ニドのひと言で冷静になったのか……。
「そうだな。後はここの飼育武官に任せよう。今後はこの者たちをもっと厳しく躾けよ! おまえ自身のためにもな」
「ははっ」
王子の命令にバハルが答える声が聞こえた。話し声が遠ざかって、やがて気配が消えた。王子たちは帰ってしまったようだ。
「ラウラさん、だいじょうぶ?」
エマが駆け寄ってきたが、ラウラの反応が無い。ドンゴも動かない。あれだけ殴られたら動けないだろう。
オレも今のままでは動けない。全身の痛みで今にも気を失いそうだ。たぶん、内臓をやられている。あばら骨も何本か折れているようだ。まず自分を検診魔法で調べて、キュア魔法を掛けた。顔も腫れあがって酷いことになっていると思うが、これは放っておくしかない。後で説明ができなくなるからだ。脳や目のダメージも治療しておいた。数分で回復するはずだが待っていられない。
完全に回復していないが、地面を這いながらラウラとドンゴに近付いた。
まずラウラを検診魔法で調べる。骨は折れていないが、内臓が傷ついている。お腹の赤ちゃんは……だめだった。流れ出た血液は流産の出血だ。今は一刻も早くラウラを治療しないといけない。患部に向けてキュア魔法を照射した。
これで、ラウラの体はすぐに回復するだろう。心配なのは心の方だ。お腹の赤ちゃんを失ったラウラが立ち直れるだろうか……。まだ、ラウラは気を失ったままだ。
※ 現在のケイの魔力〈??〉。
※ 次のエピソードでケイの魔力がどれくらい高くなったか分かります。




