SGS047 新入りが来た
ルセイラが箱庭に戻ってきたのは翌日の夕方だった。レブルン王国との和平交渉案について王様の裁可を得るのに時間が掛かりそうだと伝えにきたのだ。まだ十日くらいは掛かるだろうとのことだった。
実は王様や大臣たちへの説得は終わり、概ね了承を得ることはできたらしい。しかしそれだけではダメで、神族の許可が必要とのことだった。魔族と協定を結ぶということは国の未来を左右する重要事項であるからだ。こういう重要なことは真の支配者である神族の許可を得ないと、王様と言えども裁可することはできないようだ。
昔から人族と魔族は敵対してきた。その魔族と協定を結ぶということは歴史上にも例は無いらしい。神族の許可無く事を進めて、後で神族の怒りを買うと大変なことになると言うのだ。
ルセイラはそのことをわざわざ教えに来てくれたのだった。
「そういう事情で神族の許可が必要となりましたが、王様には内々のご承諾はいただきました。
口で申せば簡単にご承諾をいただいたように聞こえますが、王様や大臣たちへの説得に姫様はそれはそれは大変なご苦労をされたのですよ。本当に一生懸命、王様たちを説得されましたから」
ルセイラは少し涙目になりながら、姫様が王様たちの説得にどれほど苦労したか話してくれた。
姫様の苦労、その一。姫様自身をこの原野開墾政策の全体統率者にする件に対して、意外にも大臣たちからの反対意見が多かったそうだ。この政策は困難なことが多く、失敗すれば姫様が責任を問われることになる。そんなリスクが高いことに姫様が身を投じるべきではない、というもっともな反対意見だ。
たしかにこの政策は色々問題が多くて、今のままでは失敗する可能性が高い。大臣たちも内心ではそう感じているのだろう。だがそれを打開するために姫様はゴブリンとの和平交渉へ赴こうと勇気を出して手を挙げたわけだ。
「それほどに反対するのであれば、わたくしの代りに大臣の誰かがゴブリン王のもとへ交渉に行きますか?」
姫様の問いかけに、大臣たちはぐうの音も出なかったそうだ。
「わたくしは父上のために、そしてこのレングラン王国のために、この政策を成功させることに労を惜しみません。ゴブリン王のもとへも赴きますし、闘技場をゴブリン族と人族を共生させる訓練施設にして、わたくしも毎日泊り込んで直接指揮します。そうして必ずやゴブリンとの融和を成功させてみせます!」
姫様の強い意志に王様は感激して、全体統率者の件は即座に承諾が出たそうだ。それにしても、姫様はちゃっかり闘技場で毎日寝泊まりすることを宣言しているのだから恋する乙女は強い。ゴブリンの唾液の威力、おそるべし。
姫様の苦労、その二。オレを交渉官にする件も、かなり揉めたらしい。素性の知れない女で、しかも奴隷の身分。そんな女を王国を代表する交渉官に任命していいのかという、これももっともな反対意見が出たそうだ。ことさら反対したのは一番年上の王子で、最後まで反対したとのことだ。
この王子が執拗に反対するので、王宮の女官の中から誰か能力の高い者を出したらどうかという議論が行われたらしい。しかし希望者はゼロ。大臣たちが何人かの女官を推薦したそうだが、女官の誰もが尻ごみして拒否したとのことだ。そりゃそうだ。行き先はゴブリンの国だ。普通の女性なら尻ごみするのは当然だ。
今回の協定案はオレが大半を発案したということを王様が聞いて、姫が強く推薦する人物であれば問題なかろうと王様が決断してくれたらしい。それで王子の反対を押し切って、オレを交渉官にすることが決まったという話だった。
姫様の苦労、その三。ソウルオーブをゴブリンに渡していいかどうかで最後まで揉めたそうだ。ゴブリンたちに与えたソウルオーブが人族を殺すことに使われるのではないか。その不安が王様や大臣たちの頭から離れないらしいのだ。それはもっともな不安であり、オレたちも同じように揉めて議論をして結論を出したわけだ。姫様はこれまでゴブリンとの戦いで毎年数百個のソウルオーブがゴブリンの手に渡っていることを説明し、和平協定を結べばお互いに殺し合うことが無くなること、さらに信頼関係が深まれば軍事同盟も期待できることを粘り強く話して、王様の承諾を得ることができたのだそうだ。
こうして姫様は王様や王族、大臣たちの説得に成功した。神族の許可さえ下りれば、姫様は全権特使を拝命して、オレたちを連れてレブルン王国へ向けて出発することができるのだ。
………………
その5日後の夕方。バハルが人族の奴隷を連れてきた。男と女が一人ずつ。首には真っ赤な首輪をはめているので、ひと目で奴隷だと分かった。新入りが来たらしい。
「この村の新しい住人だ。この二人は人族として、おまえたちとこれから共同生活をする。仲良くしろよ。それと言っておくが、もしゴブリンが人族を襲ったら、そのゴブリンは殺す。分かったな?」
バハルは右手に持った棍棒でオレたちを威嚇しながら強い口調でそう言った。もちろんオレもラウラもゴブリンとして扱われている。つまりそれは、あの二人に手を出したら殺されるってことだ。
その後バハルは新入りの二人のところへ行って、何か色々と指示を出していた。内容は聞き取れなかった。
バハルが出ていくと、新入りの男がゆっくりとオレたちの方へ近付いてきた。こちらを警戒している感じだ。
「おれの名前はニド。レングラン出身だけど、事情があってね。最近、奴隷の身分に落されてしまった。でもその事情は話せないんで聞かないでくれよ。ところであんたらはそのゴブリンたちのヨメだと聞いたが、本当かい?」
ニドと名乗った男は、なんとなくイルド副長と感じが似ている。体格ががっしりしていて、身長も190セラ近くありそうだ。年齢も25歳くらい。精悍な面構えだが、どことなく優しそうな雰囲気があるところも似ていた。
「ええと……、本当かと聞かれたら、そうですって言うしかないわ。でも、ひと言で言えるほど簡単な話じゃないのよ」
ラウラがこれまでの経緯をざっと説明した。少し離れたところで、こちらを警戒していた女の方もラウラの話を聞いて同情したのか近寄ってきた。
「大変な目に遭ったのね。あなたたちに比べたら、エマがこの国に捕まったことなんて、たいしたことないわね。あっ! エマっていうのは、あたしの名前よ。よろしくね」
エマは15歳か16歳くらい。可愛い顔立ちの少女だ。身長も小柄で、オレと同じくらい、つまり160セラほどだ。まだ成長の途中なのかもしれない。
………………
その後、村の真ん中にある大きなテーブルを囲んで座り、改めてお互いに紹介し合った。二人はまだ警戒しているようだ。ゴブリンが怖いのだろう。
そりゃそうだよな。ゴブリンを目の前にしたら、誰だって警戒するはずだ。特にエマは女性だから怖いに決まっている。これはきちっとゴブリンたちに言い聞かせとかなきゃマズイな。
「ドンゴもラルカルも、絶対にこの村の人族を襲わないこと! 分かった? 二人ともエマとニドに誓いなさい。襲ったり、悪さをしたりしないって!」
オレが命令すると、ドンゴとラルカルはお互いに目をパチパチさせて、おまえから先に誓えと譲り合っていたが、意を決したドンゴが先に口を開いた。
「オイラ、誓う、だよ。村の人族、襲ったり、悪さしたり、しねぇ」
「オラも、同じだ。誓うべ。村の人族、襲わねぇ。悪さもしねぇ、だよ」
ドンゴもラルカルも頭を掻きながら恥ずかしそうに誓いを立てた。
「わぁ、可愛いー」
エマが思わず出した声に、ドンゴもラルカルも照れている。たしかに意外に可愛い。
そんなこともあって、二人とも少しずつ警戒心が解けてきたようだ。ざっくばらんに話ができるようになった。ラウラがこの箱庭や共生村のことを色々説明して、ここでの生活が自給自足だと分かると二人とも驚いていた。
「へぇー、たしかに箱庭だな。しかもわざわざ野生の動物をこの中に放して、それを倒さないと食料を得ることができないなんて、凝ってるよねぇ」
ニドはしきりに感心し、エマも頷いている。
ところでこの二人はどういう関係なのだろう? オレたちみたいに強制的に結婚するように命令されているのだろうか?
「バハルからふたりは夫婦になれって言われてるの?」
「いや、そんな命令は受けてないよ。奴隷の身分でこんな可愛いヨメさんをもらえるなら嬉しいけどね」
「うっ!」
微笑みかけるニドを見て、エマは何歩か後ずさりした。
二人の出会いについて質問したら、この箱庭に連れて来られたときに初めて会ったとのことだ。まだ出会ってから1時間ほどしか経ってないらしい。そりゃ、エマが後ずさりするのも分かる。
ニドもエマも明るくて優しい性格のようで、オレたちを偏見の目で見ることもなく普通に接してくれた。この二人であれば共生生活も一緒にやっていけそうだ。夕食も一緒に食べた。燻製肉と茹でたイモ、それと果物だけのシンプルな夕食だが、なんだかいつもより美味しい気がしたのは気のせいだろうか。
※ 現在のケイの魔力〈60〉。




