SGS381 名主殿が願うこと
―――― ラウラ(前エピソードからの続き) ――――
信長を捜し出すために、あたしは尾張やその周辺の城を手当たり次第に偵察しようと考えていた。信長の居城は小牧山城であるが、この時期の信長は美濃を攻略するために忙しく動いていたからだ。かなり手間取るかもしれない。そう思っていたのだが、意外に簡単に見つけることができた。信長がいたのは犬山城だ。
歴史上で信長がどう動いたのかということを事前にコタローから詳しく教えてもらっていた。こちらの世界ではその歴史は変わりつつある。それは主にあたしが色々やらかしたせいだ。上杉輝虎を討ち取ったことが一番の要因だが、あたしが藤吉郎を使って美濃攻略を断念するよう信長を脅したこともその要因の一つだと思う。
だがその脅しは無駄であったようだ。信長は拠点としている小牧山城から美濃攻略の最前線である犬山城へ出張って来ていた。信長が美濃攻略を諦めていないことは確かだ。
犬山城は1年ほど前までは信長に敵対していた織田信清の居城だった。信長は去年の夏にこの城を攻めた。織田信清は城に籠城したが、最後は攻め込まれて逃亡した。そして今は信長がこの城を足掛かりにして、木曽川を挟んで犬山城の対岸にある宇留摩城や猿啄城を攻略しようとしている。
歴史上では、その宇留摩城の攻略を信長から任されたのが木下藤吉郎だ。でも、あたしが信長を脅すのに藤吉郎に伝言を頼んだから、もしかすると藤吉郎は信長の怒りを買って美濃攻略の任から外されたかもしれないが。
犬山城に近付くにつれ、多くの家や田畑が荒れていることに気が付いた。焼け落ちて黒焦げになった柱だけが残っている家と、粗末だが建てて間もない新しい家が入り混じって点在していた。田畑は雑草が伸び放題で放置されているところが目立ち、荒れ地と稲が実っている田んぼが半々くらいだった。
その事情を尋ねようと通りがかった母子を呼び止めた。母親は幼い女の子の手を引いて、もう一方の手には鍬を持っていた。この付近の農民なのだろうが、母親も女の子も痩せている。呼び止めたとき母親は娘の手を引いて逃げようとした。あたしが侍の姿をしているから怖がったのだろう。そう考えて編笠を外した。
「わけあって、侍の姿で旅をしているけれど、あたしも女なの。事情を話してもらえる?」
そう言いながらこっそりと魅了の魔法を掛け、亜空間バッグから弁当を取り出して与えると、問い掛けに答えてくれた。その話を聞いて、あたしは何があったのかを理解した。
この付近の村々は去年の戦の巻き添えを食ったのだ。信長が犬山城の織田信清を攻めたとき、村人たちの家は焼かれ、田畑の作物は兵士たちに悉く略奪されてしまった。しかし村人の多くは避難して無事で、逃げるときに農具や僅かな食料を持ち出していた。戦が終わって村に戻ってきたものの、住む家を失い、作物の収穫もできなかったため生活に窮することになったのだった。
その窮状を訴えるため、近隣の村々を代表してこの村の名主が信長に直訴したそうだ。信長はその訴えを認め、村人たちに穀物や種籾、銭を貸し与えた。村人たちは自分たちが隠し持っていた穀物や種籾もあったので、窮しながらもどうにか生き延びることができたようだ。
事情が分かって、あたしは少しだけ信長を見直す気になった。意外なことに信長は領民には寛容であるらしい。それ以上に偉いのは信長に直訴した名主だ。
「ご領主に直訴するなんて、その名主さんは勇気があって立派な人なのねぇ」
あたしが感心して言うと、その女性は少し嬉しそうに微笑んだ。痩せていて、顔も土で汚れているが、笑顔を見て綺麗な人だと思った。
「この子の父親です」
「えっ!? つまり、あなたはその名主さんの御内儀なの?」
どうりで話す内容も話し方もしっかりしているはずだ。
「ここだけの話だに」
女性は頷きながら小声で言った。さっきの笑顔が消えて暗い表情になっている。
「どうしてそんな悲しそうに……。何かあったの?」
「あの人は……、半月前に死罪になってまったのです……」
女性の話によるとご主人の名前は甚兵衛と言い、一昨年にそれまで名主をしていた父親が亡くなったので若くして名主を継いだのだった。直訴した後は、信長に命じられて懸命に村の復興に尽力したそうだ。戦に巻き込まれた村はいくつもあったが、この村で飢え死にする者が出なかったのは、甚兵衛さんが名主として懸命に村のために尽くしたからだ。
ところが半月前、突然に甚兵衛さんは捕らえられ、その日のうちに近くの丘の上で処刑されてしまった。信長に直訴したことが死罪の理由らしい。死体は丘の上にそのまま晒されていて、家族も村人も手を出せないそうだ。
女性は悲しそうな顔でそう語ってくれた。
「でも、どうして直訴してから1年も経って死罪になったのかしら? 村の復興に尽くした人なのに……」
「あの人は村の安泰を心から願っとったのです。一所懸命に村の者たちと力を合わせて働いて、村はようやく元の半分ほどにまで戻ってきたところでした。それなのに、ひと月ほど前に……」
甚兵衛さんは村人たちが無事で安らかに暮らせるように、村の者たちと協力し合って村の復興を進めてきた。その頑張りのおかげで、家も田畑も元の状態の半分ほどにまで回復してきたそうだ。
ところが今から1か月ほど前に甚兵衛さんの願いを覆すような出来事が起きた。それは代官から名主の甚兵衛さんへ呼び出しがあったことから始まった。
この代官は織田家の侍で、信長の命令を受けてこの村の管理や年貢の徴収を行っていた。名主の甚兵衛さんを呼びつけたのは、村人たちへ貸し付けた借米や借銭の返済要求と、今年の年貢取り立てについて申し渡すためだった。
代官から求められたのは村人たちに貸し付けていた穀物や種籾、銭をすべて返すことと、例年と同じように年貢を納めることだった。だが村人たちにとって、それはどちらも不可能なことであった。
村の田畑を見たら一目瞭然なのだが、今年の米の取れ高はいつもの年の半分ほどだ。村人たちが飢えて種籾まで食べてしまったことが主な要因だ。もし穀物や種籾を返したり年貢を納めたりしたら、自分たちが食べる食料が無くなってしまう。大勢の餓死者が出ることになるだろう。
それで甚兵衛さんは代官に借米や借銭の帳消し、年貢の免除などを訴えた。
そしてその半月後、今から半月ほど前に甚兵衛さんは捕らえられて処刑されてしまったのだ。
「私にはお代官様やご領主様のお考えが分からんです。村はあの人のおかげでこうして生き返ろうとしとったのに……」
女性は悲しい表情のまま目礼をすると、幼い娘の手を引いて足早に歩き出した。
話をしている途中で気が付いたのだが、女性のお腹は少し膨らんでいた。子を宿しているようだ。甚兵衛さんの子供だろう。
あの母子はこれからどうやって生きていくのか……。次第に小さくなっていく母子の背中を見ながらその行く末に思いを巡らすと、あたしの方まで苦しくなってきた。
やはり信長を許すことはできない。代官が勝手にやったことかもしれないが、もしそうだとしても、代官をちゃんと管理できていない信長が悪い。あの母子の幸せを奪った責任は信長にある。
「名主殿の恨みも晴らしてあげたいけど……。でも、どうやって信長を懲らしめたらいいのかしら……」
思わず呟いた独り言に、あたしの隣から返事があった。
「面白い方法がありますが」
その返事をしてきたのは、旅の途中からあたしの供をしてきた男だ。あたしは自分の隣にいる牢人姿の男をまじまじと見つめた。
※ 現在のラウラの魔力〈812〉。
(戦国時代の日本にいるため魔力は半減して〈406〉)




