SGS038 超えられない壁
電撃魔法の痛みがまだ尾を引いているので、キュア魔法で治療した。その後やるべきことは、さっき倒したダンブゥの解体だ。
ラウラのつわりがひどくなると困るので、ダンブゥの解体は自分ひとりで行った。魔法と狩猟刀を適時うまく組み合わせれば狩りや解体は難しいことではない。少しずつ自分の技量に自信がついてきた。そんな気がする。
調理についても村の真ん中に共同の炊事場があって、カマドや鉄製の大鍋、薪などが用意されているので問題ない。カマドの近くには木製の大きなテーブルがあり、そのそばには短く切った丸太が10個くらい無造作に転がしてあった。これは腰掛けとして使うのだろう。
解体した肉はラウラの指導で数時間かけて燻製にした。これで日保ちするはずだ。
バハルは果物やイモもこの箱庭の中にあると言ってた。よし、探してやろう。やみくもに探したって簡単に見つからないだろうから探知魔法を使って探すことにした。
果物やイモをイメージして探す。3回失敗して、4回目に探知成功。どこに隠されているか簡単に分かった。
果物は木に実っている本物ではなく、ヒモに括られて枝にぶら下がっていた。イモは地中ではなく低木の下草の中に落ちていた。たぶんバハルが観客席から低木の中に放り込んだのだろう。
この箱庭の中で食べ物に困ることは無さそうだ。水は岩の中から湧き出ているのを使えばいい。トイレは、せせらぎが低木に流れ込んでいるところに行けば、観客席からも見えないので大丈夫のようだ。
この世界にも春夏秋冬のような季節があって、今は日本の5月から6月くらいの気候だ。昼夜の気温差を我慢するだけでいい。と言っても気温は20度くらいだし、寒ければ保温の魔法を使える。この箱庭の中でなんとか生活はできそうだ。
………………
夕方。辺りが暗くなり始めた。周りに誰も居ないのを確かめて、浮遊の魔法を使って、ラウラと一緒に10モラ上にある観客席にこっそりと行ってみた。
観客席は階段状に5列ほど長椅子が設置されていて、一番高いところに立つと闘技場の全体が見渡せた。
この闘技場は、普通の陸上競技場を何倍か大きくしたくらいの広さがあった。陸上競技場との一番の違いはその形状だ。上空からこの闘技場を眺めたとしたら、その形状が違うのだ。
もし上空からこの闘技場を見たとすれば、少し縦に長いリンゴを芯に沿って縦割りにしたときの断面のように見えるはずだ。闘技場の真ん中の下半分だけに芯があるのだ。その楕円形の周囲とリンゴの芯の下半分、そこが観客席だった。
このリンゴの芯の下半分は幅10モラ、長さ20モラくらいの屋根付きのテラスになっている。ところどころに豪華なテーブルや椅子が置かれていて、王族などの特別席のようだった。この闘技場全体を見渡せる最高の場所だ。今は、ラウラと二人でそこに立って闘技場の全体を見渡しているのだ。
自分たちがこれから住むことになる共生村はリンゴの断面の左下にあった。この闘技場は、南北に長い楕円形をしているから、方角で言えば南西の隅に共生村があるということだ。その北側には低木に覆われたエリアがあって、それを抜けると、広い草原が広がっていた。闘技場の北側半分は草原で、サッカー場くらいの広さがあった。その草原も周りは低木で囲まれている。
リンゴの中心部には石で組まれたピラミッドのようなものがあった。高さ10モラほどのピラミッドの天頂には何かの石像が設置されていて、石像の口からは大量の水が轟々と流れ落ちている。闘技場のほぼ中央にあるということは何かの儀式に使われるのかもしれない。
闘技場の中に村や原野、ピラミッドのようなセットが作られている。まるで、映画村みたいだ。
「この闘技場の中って村や原野になってるけど、前からこんなだったの?」
一番見晴らしの良い場所に腰を下ろしてラウラに尋ねた。
「さぁ、あたしにも分からない。半年くらい前までは、この闘技場で魔物と剣闘士の戦いなんかが行われていたわ。どうして、こんなふうになってしまったのか……」
さっきの女官の話では、この箱庭は王様の命令で作られた実験施設ということだった。人族とゴブリンの共生実験をして、どうするつもりだろうか?
そんなことを考えながら暫くの間、ラウラと二人で黙って闘技場の風景を眺めていた。
ぼんやりと石造りの高い壁を見ていると、何年か前に自分の父親から言われた言葉を思い出した。
「人生では時として超えられない壁にぶち当たることがある」
父が言ったその言葉を思い出したら、そのときの情景が頭に浮かんできた。
あれは交通事故で最愛の妻を亡くして暫く経ったときだった。自分のベッドにぼんやりと腰掛けていると、父親が遠慮がちに部屋に入ってきた。
家は二世帯住宅で、1階には両親が住み、自分たちは2階で新婚生活を始めたばかりのころだった。
そのころの自分は妻を突然に亡くした喪失感で何も手につかない状態になっていた。悲しくて悲しくて、心の中が空っぽになったような感じだった。
父はそんな息子を見かねたのだろう。部屋に入ってくるなり「ちょっといいか?」と言って、近くにあった椅子を引き寄せて座り、こちらへ体を向けた。
「人生では時として超えられない壁にぶち当たることがある」
唐突にそんなことを言い始めた父に、少し固い口調で言葉を返した。
「慰めようとしてくれるのは分かるけど、今は放っておいてほしいんだ」
「まあそう言わないで、話をしよう。話せば気持ちが晴れることもあるぞ」
部屋から出ていくつもりはなさそうだ。自分としては早く話を済ませたい。どうにかして部屋から父親を追い出そうと思っていた。
「で、超えられない壁がどうしたって? どうせ“時間が解決してくれる”とか、“旅に出てみろ”とか言うんだろ?」
「ああ、そういう方法もあるな。でも今は違う。おまえに話したいのは別のことだ」
「言いたいことがあるのなら、早く言ってよ」
「まあ、そう邪険にするな。美咲さんが突然に亡くなって、おまえがそれを受け入れられない気持ちになっているのは分かる。だけどな……」
美咲というのは妻の名前だ。
「だけどな、気力を無くしてしまって、絶望したような状態になっている今のおまえの姿を美咲さんが見たら、きっと悲しむぞ」
「うん、悲しむだろうね……」
「美咲さんの死をおまえが乗り越えられない壁にしてしまったら、それでは美咲さんが可哀そうだ」
「ああ、理屈ではね、父さんの言うとおりだと思う。自分でも頑張ってみようと思うけど、心も体も動かないんだ。自分が自分でないような感じでね。情けないけど……」
「頑張る必要はないぞ。何も考えずに、ただ、動き始めればいい」
「え? どういうこと?」
「何でも良いから、まずは動いてみろ。じっと蹲っていたいと思う気持ちは、そのまま放っておいてかまわない。とにかく動き始めるんだ。何も考えずにな。そうすればきっと壁は乗り越えられるから」
「いや、意味が分からないよ」
「あれこれ考えないで、まずは何かを始めろってことだ。運動でも良いし、趣味でも良い。とにかく動き始めれば、そのうち欲や希望も出てくる。もっと良くしたいとか、別の何かもやってみたいとか、そういう気持ちが芽生えてくるんだ。そうすれば知恵も出てくるし、想像力も広がっていく。気力も考える力も湧いてくるんだ」
その後も話は続いたが、父が言いたかったのは“超えられない壁なんて無い”ということのようだった。
「壁にぶち当たって蹲っているよりも、とにかく何も考えずに動き始めろ。そうすればきっと、行き詰っている今の自分を変えることができる」
父親とそんな話をしているうちに、なぜか「体の自由が無くなったら」という話になってしまった。
「例えば歳を取って寝たきりになるとか、そういう場合のことか?」
「そう。事故や病気で体が動かなくなるとかね。自分では乗り越えられない壁だよ。動き始めることもできないよね?」
「体が動かなければ、心だけでも動かすんだ。心は無限だ。絶望的な状況に追い込まれても心は自由だ。想像する力は無限で自由だからな」
どうして父とのあんな会話を思い出したのだろうか……。
ああ、そうか。闘技場の高い壁を見たせいだ。“超えられない壁”か……。
思わず「ふふふっ」と小さな声を出して笑ってしまった。
「ねぇ、ケイ。どうしたの?」
「えっと、あの高い壁を見ていたら、昔、誰かに“超えられない壁なんて無い”って言われたことがあるような気がしてね……」
記憶を無くしていることになってるから、本当のことは言えない。
「記憶が戻ってきたの?」
「いや、そうじゃなくて……。今は従属の首輪で自由を奪われて、闘技場の中に押し込められてしまってるけどね。自由になることを諦めないで、この闘技場の中で色々やってみることから始めようって。そう思ったんだ」
そうなのだ。超えられない壁なんて無いのだ。
この場所でなんとしても生き残ろう。なんとしても奴隷の身分から抜け出して自由になろう。幸い体は普通に動く。闘技場の中だけだが、とにかく何かを始めてみよう。
※ 現在のケイの魔力〈60〉。




