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SGS369 猿を脅す

 ―――― ラウラ(前エピソードからの続き) ――――


 美濃国に入って、あたしは偶然にも宇留摩うるま城の近くで敵に追われている木下藤吉郎と蜂須賀小六の一行を助けてしまった。これも地母神様のお導きだろうか? いや、いくらなんでもそんなはずはない。


 峠に続く街道を歩きながら、これからどうするかを考えた。藤吉郎たちはあたしの後をついてくる。


 信長の領地は今はまだ尾張国おわりのくにだけだ。それに対して武田の領地と軍事力は桁違いに大きいから、信長は強大な武田軍を恐れて信玄に気を遣っている。信玄に贈り物をしたり、姻戚関係を結ぼうとしたりしているようだ。


 だが来年の春には事情が変わってくる。武田が美濃へ侵攻を始めるからだ。そうなると、来年の春以降は信長は信玄と敵対する可能性が高くなる。ケイは信長とは敵対したくないと言っているが、それは難しいとあたしは思う。


 武田の美濃侵攻の先鋒はあたしの筑摩野ちくまの軍だ。侵攻を始めたら美濃で織田軍と戦いになる可能性が高い。そのときは直接、あたしが信長や藤吉郎と戦うことになるだろう。それならば、いっそここで藤吉郎と小六を殺しておくべきだろうか。


 いや、それは下策だ。藤吉郎と小六たちをここで殺したとしても、雑魚が数人死ぬだけだ。信長の美濃侵攻は止まらないだろう。


 それなら藤吉郎をここで殺すよりも、藤吉郎を利用するべきだ。この猿を上手く使って、信長に美濃侵攻を諦めさせるように仕向けたらどうだろうか。でもどうやって……。


 街道から少し外れて林の中に入り、岩の上にあたしは腰を下ろした。


「ここなら落ち着いて話ができるわね」


「おみゃー様はどうして拙者や小六の名前を知っとるのだ?」


 藤吉郎たちは五人であたしを取り囲むように立っている。あたしのことを警戒しているようだ。


「それは事前に調べたから……、としか言えないわね」


「事前に調べとるじゃと? おみゃー様はどこぞの手の者か?」


 藤吉郎たちの表情が険しくなった。


「あたしの名前はラウラ。深志城の城主……、と言えば分かる?」


「な、なんじゃとぉっ!? 深志城の城主じゃとぉっ?」


 藤吉郎の驚いた顔が本当に猿に見えてきて、あたしは必死に笑いを堪えた。


「藤吉郎、たしかに深志城の新たな城主は羅麗姫らうらひめという名前じゃと聞いとるが……」


 小六は疑わしそうな顔であたしを見つめている。


「わしも知っとる。信玄公の隠し子で、姫武将として武勲を立てて城主になられたとな。じゃが、どうしてそんな身分のお方がここにおるんじゃろ?」


 難しそうな顔で藤吉郎は小六に語り掛けていたが、また顔をこちらに向けて、突然に腰を屈めて手足をヒョイヒョイと動かし始めた。


「不思議じゃ、不思議じゃ、不思議じゃぞ♪ こーりゃ、こりゃ♪」


 踊りのようだ。猿が踊っているようで、今度は本当に吹き出してしまった。


「あははは。さすがは木下藤吉郎殿だ。うふふふ」


 笑いが止まらない。藤吉郎が顔を近付けて来て、あたしの目の前で何度もくいくいと顔を捻った。


「ふふふふ。いや、もう分かったから、その顔で迫ってくるのは止めて。あたしに何が聞きたいの?」


「おみゃー様が深志城のご城主だとして、美濃におらっせる理由となぜ拙者らを助けたのかをお聞かせ願いてゃー」


 藤吉郎の今の真顔とさっきまでの猿顔との違いが大きすぎる。また笑い出しそうになるのを何とか堪えた。


「あたしは京へ旅をしている途中なの。ここを通りかかったら、あなたたちが追われていて殺されそうだったから助けた。それだけよ」


「ご城主が家来も連れんで京まで旅をしとると、そう申されるのか?」


「家来? 家来ならね、忍びの者たちが今も密かにあたしを護衛してるわよ。あなたが木下藤吉郎だってことも忍びの者たちが教えてくれたの」


「な、なんじゃとぉっ!?」


 藤吉郎たちは気味悪そうに周囲を見回した。


 忍びの者たちのことは口からの出まかせだ。話の辻褄が合うように咄嗟に思い付いたことを言っただけで、そんな者たちはここにはいない。


「見回しても姿を見せるはずがないでしょ。忍びなのだから」


「な、なるほど。で、京へ上られるのは将軍様の件でござしゃるな? 三好の者共がどえりゃーことを引き起こしたで」


 藤吉郎が言ったのは数か月前に足利義輝あしかがよしてるとその家臣たちが三好義継みよしよしつぐ松永久通まつながひさみちらの軍勢によって殺された事件のことだ。


 あたしは将軍が殺されたことには興味は無かった。だけどこの場は話を合わせておいた方が良さそうだ。


「まぁ、それもあるわね。自分の目で京の様子を見ておきたいから。それと、もう一つ……」


 ここからが肝心だ。


「京へ向かう途中で美濃の様子をしっかり確かめておきたいと思ってるの」


「美濃の様子を確かめる?」


 藤吉郎は顔をしかめた。明らかに警戒している。


「この美濃を織田上総介おだかずさのすけ殿が攻略しようとしてるでしょ? それを黙って見ているわけにはいかないのよ」


 織田上総介おだかずさのすけというのは信長のことだ。この戦国時代では身分の高い者を「信長殿」というようにいみな(生前の実名)で呼ぶのは失礼に当たるらしい。それで「上総介殿」というように官職で呼んだり、「三郎殿」などと通称で呼んだりするのだ。これはコタローに教えてもらった。


 敵対する相手や自分の配下の者たちの名前は気にせずに呼び捨てにしているが、それ以外のときは間違って実名で呼ばないように注意している。でも、うっかり呼んでしまうこともあって、そういうときは笑ってごまかしているのだった。


「黙って見とれんと申されると……?」


 藤吉郎の顔には警戒心だけでなく、何かを恐れるような表情が浮かんでいる。やはり思ったとおりだ。あたしの背後にある武田の力を恐れているのだろう。


 この機に乗じて武田軍が美濃へ押し寄せてくるかもしれない――。その不安は藤吉郎も感じているのだ。おそらく信長も……。


 その不安な気持ちを煽ってやろう。信長に武田への恐れを感じさせて、美濃への侵攻を思いとどまるように仕向けてやろう。そのためには、目の前の猿、いや、藤吉郎を使って信長をしっかりと脅してやるのだ。


「信玄も……、あたしの父も上総介殿と同じことを考えているの。将軍家をお助けするために京へ進もうとね。あなたも知ってるでしょうけど、上杉輝虎をあたしの軍が討ち取ったでしょ。邪魔者がいなくなって武田が越後国えちごのくに上野国こうずけのくにも押さえたから、父は次に軍を西に進めるつもりよ。この美濃を通ってね」


「そ、それはお館様が美濃に手を出したら信玄公と敵対することになると、そう申されるのきゃあ?」


 藤吉郎は信長のことを「お館様」と呼んでいるようだ。話の内容が手に余るのか、藤吉郎は目をむいて顔を引きつらせている。


「そう。美濃で下手な動きをすると織田家が滅びることになるわよ。上総介殿にはそう言っておいて」


「ま、待ってちょ。そりゃあかん。お館様にそんなたわけた話をしたら、わしの首が胴から離れてまう……」


 藤吉郎は顔を青くして頭を抱えた。


「藤吉郎、この場はおれに任せろ……」


 そう言いながら小六とその配下の者たちが手に持った短刀やくわをこちらに向けようとした。あたしを殺すつもりだろう。だが、そうはさせない。


 斬り掛かってこようとしたところで、小六たちは地面に崩れるように倒れ伏した。あたしが眠りの魔法を放ったからだ。


 藤吉郎は「あわわわっ」と声を出して腰を抜かした。配下の者たち全員が突然倒れたから死ぬほど驚いたのだろう。


「心配しないでいいわよ。小六殿たちは気を失ってるだけだから。忍びの者たちがあたしを護衛してると言ったでしょ」


「ほうきゃあ……」


 ほっとした顔で藤吉郎は立ち上がった。


「安心するのは早いわよ。上総介殿にはさっきの伝言を必ず伝えなさい。織田が美濃で下手な動きをしたら武田と敵対することになる。織田家が滅びることになるとね」


「そりゃいかんてぇ……」


 藤吉郎は肩を落として、しょぼくれた猿のようになっている。


「あたしの手の者がいつも見張ってるわよ。上総介殿のことも、あなたのこともね。じゃあ、またどこかで会いましょう」


 あたしは立ち上がって歩き始めた。信長や藤吉郎を見張っている者などいないが、脅すと決めたからには徹底しておいた方が良い。


 クルの目で後ろを見ると、藤吉郎は悄然しょうぜんと立ち尽くしていた。


 こっそりと藤吉郎の邪魔をするはずが大っぴらな脅しになってしまった。だがこれで信長の美濃での動きを少しは抑えることができるだろう。



 ――――――― 藤吉郎 ―――――――


 わしの報告をお館様は黙って聞いておられた。報告が終わっても、殿は何も言われん。こういうときが一番怖い。わしは踏み潰されたカエルのように床にへいつくばったままだ。恐ろしゅうて、顔を上げることもできん。評定ひょうじょうの場に居並ぶご家来衆からもしわぶき一つ聞こえてこんで……。


 お館様が立ち上がった気配がして、床板を踏み鳴らす音が近付いてきた。


「このクソ猿がぁっ!!」


 頭に足が乗ってギリギリと踏み潰された。


「おなご一人に脅されて逃げ帰るとは、情けない男よなっ!」


「ひゃいっ!」


 顔を床に押し付けられておるせいで、まともに声も出ん。お館様の足を払いのけることもできんし……。


「猿っ! おまえは謹慎じゃっ!」


「ひゃいっ!」


 ようやくお館様の足が離れた。慌てて平伏し直した。頭や顔がヒリヒリするが、ありがたい。首が繋がったままだで。


一益かずます。今の話を聞いたなっ!」


 頭の上から殿の声がする。滝川様に何かをお命じなるようじゃ。


「はい」


「その生意気なおなごを殺せっ。武田の領内に戻るまでに必ず仕留めるのじゃ。ただし織田の仕業であることは絶対に気取けどられるなっ!」


「承知仕りました。相手を見分けるために猿の配下の者を借り受けまする」


「猿っ!」


「ははっ。羅麗姫の顔を知っておる者を手配いたしまする」


 滝川様に協力するのは癪じゃが、仕方にゃーわ。


「殿、お待ちなされませ」


 柴田様の声だ。


権六ごんろくか。申せ」


「羅麗姫を害すると言うのは、いささか無謀じゃと存じまする。相手は武田家の姫君でございますぞ」 


「分からぬか? これはな、わしと信玄の競い合いよ。先に稲葉山を落とした者が京への門を開くのじゃ」


「はて……?」


 柴田様はお館様のお考えが分からんようじゃ。わしがそれを代弁したら、また殿に「このクソ猿」と叱られるのが目に見えておるで……。


「柴田様」


 ちっ、また滝川様の声じゃ。あの低い声を聞くと、虫酸が走るに。


「おそらく武田軍では筑摩野の兵が先鋒となり、城主の羅麗姫が指揮して美濃に攻め入ってくると存じまする。この羅麗姫を密かに殺しておけば武田軍の出鼻を挫くことができまする。時間を稼いでおる間に我ら織田軍が先に稲葉山を取るということでござる」


「じゃが、羅麗姫を旅の道中で密かに殺すことなどできるのか? 猿の話では羅麗姫は忍びの者たちに守られておるそうではないか」


「それゆえ、殿は拙者にお命じになったのでござりましょう」


「そうは申しても、万一ということがある。この件が武田側に露見すれば、武田との戦は避けられぬ。武田と戦うとなれば分が悪すぎるぞ」


「万一しくじったとしても、野盗の仕業に見せるので露見することはございませぬ。まずは拙者にお任せあれ」


 前から思うておったが、滝川様は得体の知れぬところがある。わしも今度ばかりは大人しゅうして、様子を見よみゃーか。


 ※ 現在のラウラの魔力〈812〉。

   (戦国時代の日本にいるため魔力は半減して〈406〉)


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