SGS368 猿を助ける
―――― ラウラ(前エピソードからの続き) ――――
小六という男は走りながら振り向き、後ろの三人に声を掛けた。
『「おまえたち、藤吉郎を逃がすで、時間を稼げ。死ぬでないぞ」』
後ろの三人は小六の手下らしい。走るのをやめて、追いかけてくる侍たちに向かって鍬や鋤を構えた。
藤吉郎と小六。これは間違いなくあの木下藤吉郎と蜂須賀小六だろう。ケイから聞いていた話と合致する。その話とは、あたしが美濃国へ入る前にケイが念話で言ってきたことだ。
ケイの話によると、犬山城を落として尾張を統一した織田信長は、今は美濃国の宇留摩城の攻略に取り掛かっているそうだ。宇留摩城は木曽川を挟んで犬山城の対岸にあって、岩山の上に築かれた堅城だ。その攻略を任されているのが木下藤吉郎である。
歴史上では少しだけ先の話になるが、藤吉郎は兵力を使わずに調略で宇留摩城を攻略するらしい。ケイはその話をコタローから聞いていて、旅に出る前にあたしにこんなことを言ってきたのだ。
『ねぇ、ラウラ。今なら藤吉郎が宇留摩城の近くにいるはずだよ。だからさ、美濃に入ったら、こっそりと藤吉郎の邪魔をしたらどうかな?』
『藤吉郎の邪魔って、どうしてそんなことをするの?』
『もちろん理由があるよ。と言うか狙いがあると言った方がいいんだけどね』
ケイが言うには、その狙いというのは調略を失敗させて信長の美濃攻略を少しでも遅らせることと、藤吉郎の出世を遅らせることだそうだ。今後のことを考えると、武田家と織田家は美濃攻略を巡って間違いなく競合することになるだろう。競合するとしても、ケイは信長と敵対することは避けたいのだそうだ。むしろ将来的には信長とは手を結んで協調関係を築きたい。それが自分の考えだと、ケイはそう説明してくれた。
『だからね、武田家が美濃攻略を成し遂げるまでは信長の動きを鈍らせておきたいんだ』
『ねぇ、ケイ、聞いていい? あなたの意図が分からないんだけど。どうして信長の動きを鈍らせたら、信長と協調関係を築けるようになるの?』
『信長の美濃攻略の動きを鈍らせれば、武田家が先に美濃を攻略して支配することができるよね。そうするとね……』
ケイはその意図を詳しく説明してくれた。武田家が美濃を攻略して支配するようになれば、織田家は長い国境を挟んで武田家と対峙することになる。軍事力も経済力も圧倒的に武田家が優位だから、武田家は信長の最大の脅威となるはずだ。武田家と敵対すれば信長は滅びることになるから、信長は武田家に従わざるを得ない。そういう関係に持ち込んだ上で、信長に圧力を掛けながら協調関係を築く交渉をしたらどうか。ケイはそう言ってるのだった。それは協調関係というよりも従属関係だと思うが。
そんなに上手く信長と手を結べるだろうか……。あたしはそう考えながらケイの話を聞いていた。
それはともかく、そういう意図があって、ケイはあたしに藤吉郎の仕事を邪魔して、調略が上手くいかないようにしたらどうかと言ってきたわけだ。
そして、あたしはまさに藤吉郎がいる宇留摩城の近くを歩いていた。
藤吉郎と同じ時期、同じ場所にいるはずだが、そんなに簡単に木下藤吉郎に出会えるはずがない。領主になって苦労しているあたしをケイが少しでも手助けしたいと考えてくれるのは嬉しい。だが今回は無理っぽい。美濃の様子を確かめた後は堺に向けて旅を急ごう。さっきまで、あたしはそう考えていた。
ところがどんな強運か分からないが、藤吉郎とこうして巡り合えてしまった。しかも藤吉郎は敵方に追われているらしい。絶好の機会だ。
歴史上で藤吉郎が宇留摩城の調略を成功させる未来が待っているとすれば、今のこの場では藤吉郎と小六は追っ手から逃げ切ることができるのだろう。ただし、それはこの場であたしが何もしなければ……という話だ。
藤吉郎の脚に向けてあたしは念力を発動した。念力の魔法が届くギリギリの距離だが手応えがあった。
『「ありゃっ!?」』
声を上げて藤吉郎が転んだ。念力のせいで足がもつれたからだ。手足をバタバタさせているが、その顔も仕草も猿にそっくりだ。あたしは思わず吹き出しそうになった。
隣を走っていた小六もあたしの念力で転んだ。はたから見たら藤吉郎が転んだのに巻き込まれたように見えただろう。
しかも立ち上がれないように念力であたしが藤吉郎と小六の脚を押さえている。
これで藤吉郎たちは敵方に捕らわれるはずだ。取り調べを受けた後、おそらく奴隷として売られてしまうか、運が良ければ捕虜交換で織田側へ戻ることができるかもしれない。いずれにしても、藤吉郎が織田家で出世してあたしたちの前に敵となって現れることは無いだろう。
敵方の侍たちも藤吉郎たちが転んだことに気が付いたようだ。
『「今ぞっ! あの侍と坊主を殺すのじゃっ!」』
侍たちは農民の恰好をした者たちに行く手を塞がれていたが、その半数ほどが田んぼの中に足を踏み入れて回り込み、藤吉郎たちのところへ迫ろうとしている。
いけない。敵方が藤吉郎たちを殺そうとするなんて想定してなかった。
どうしよう……。
迷っている時間は無い。
背負っていた荷物を放り出して、藤吉郎の方へ駆け出した。あたしのせいで藤吉郎が殺されるのを黙って見ているわけにはいかない。
念力で藤吉郎に迫る敵方の侍たちの足を止めた。稲穂の中で敵方の侍たちは進めずにもがいている。稲穂に足を取られたと思っているだろう。
その間にあたしは藤吉郎たちの近くまで駆け寄った。敵方の侍たちに向けて飛礫の魔法を発動。距離は30モラほどだ。飛礫を誘導できる。
あたしは立て続けに石を投げる動作をした。魔法をごまかすためだ。
藤吉郎と小六は転んだままだ。呆けたような顔でこちらを見ている。
飛礫が次々と侍たちの胸や肩に当たっていく。侍たちは呻き声をあげて倒れた。気絶している者もいるが、立ち上がろうとしている者もいる。あたしは走りながらその全員に眠りの魔法を放った。
藤吉郎たちの頭上を飛び越えて、あたしは農民の恰好をした者たちのところへ駆けた。腕を斬られている者がいて、残りの二人がその者を庇いながら敵方の侍たちと戦っている。
農民の恰好をした者たちが邪魔で飛礫が放てない。
「しぇぇええぃぃーっ!!」
気合を入れて跳び上がりながら空中で飛礫を放った。敵方の侍に命中。二人が崩れるように倒れた。死なないように手加減している。
「道を開けてーっ!」
あたしの声に全員の動きが止まった。その瞬間に農民の恰好をした者たちの間を擦り抜けた。
敵方の侍たちが驚いた顔であたしの方を見てる。相手は三人だ。槍や刀をこちらに向けようとしているが、その動きは遅い。
刀を抜いて侍たちの胴に打ち込んだ。峰打ちだ。三人とも地面に倒れ伏した。侍たちは死んではいない。だが刀の峰で強打したから骨折したり打撲したりしているだろう。こっそりとキュア魔法と眠りの魔法を掛けておいた。無詠唱は超便利だ。一瞬で魔法が使えるし、相手にも気付かれない。
「おまえ様はどなたで?」
「それよりもその腕の傷を早く治療した方が良いよ」
「あ、なんのこれしきの傷……」
口では強がっているが、見るからに痛そうだ。腕からは血が滴り落ちている。この男にもキュア魔法を掛けた。
この者たちは農民の恰好をしているが、三人とも精悍な顔付をしていた。小六の配下だとすれば普通の農民ではないはずだ。
あたしったら何をやってるのだろう。藤吉郎の邪魔をして敵方に捕らえさせるつもりが、今は命を助けて、手下の傷まで治してやってる。まったく矛盾した行動をしてしまった。さっきまでは密かに藤吉郎の邪魔をしようと思っていたが、こうなったら作戦を変えるしかない。
藤吉郎と小六が近付いてきた。
「助かり申した。どえりゃあお強いがや」
小柄な藤吉郎と大柄な小六がそろって頭を下げた。
「木下藤吉郎殿と蜂須賀小六殿……、でしょ?」
編笠を外しながら二人に微笑みかけた。
「お、おみゃー様は……」
「おんなーっ!?」
素っ頓狂な声を上げて、二人とも呆けた顔をしている。
「驚いてないで、倒れている侍たちを田んぼの中に隠した方がいいわよ。こんな街道の真ん中で侍たちを放置していたら、すぐに騒ぎが大きくなるから」
街道を通る旅人たちは多くないが、何人かの旅人たちにはこの騒ぎを見られていると思う。だが近寄って来ない。関わりになるのを恐れているからだ。侍たちを稲穂の陰に隠してしまえば、おそらく旅人たちは見て見ぬ振りをして通り過ぎていくだろう。
小六の指図で農民の恰好をした者たちがすぐに動いて、倒れている者たちを稲穂の中に隠した。
「ここでは話ができないからあの山の中に行きましょ」
あたしが先頭に立って歩き始めた。さっき走り下りてきた道を引き返して、投げ出しておいた荷物を拾い、峠の方へ登っていく。藤吉郎たちも急ぎ足であたしの後についてきた。
猿を助けてしまった。こんなはずではなかったのだが……。
※ 現在のラウラの魔力〈812〉。
(戦国時代の日本にいるため魔力は半減して〈406〉)




