SGS367 不穏な隣国
―――― ラウラ(前エピソードからの続き) ――――
美濃に入った。里に下りると右も左も田んぼが広がっていて、ここでは既に稲が黄色くなり始めていた。農民たちがあちこちの田畑で働いている姿が見えた。街道沿いの村では家々から炊煙が立ち上っているし、子供たちが畦道で遊んでいたりする。街道にも旅人たちの歩く姿がちらほら見えていて、戦が差し迫っているような緊迫感は無い。
道中で美濃国のことを色々と聞いていたが、話が違うようだ。
茶屋があったので、団子を注文して尋ねてみた。
「戦は戦、農民は農民じゃよ。田んぼを作らにゃ、わしら死ぬしかないでの」
茶屋のお婆さんが言うには、戦に巻き込まれそうになれば逃げればいいし、その用意はどこの家でもできているそうだ。
商人たちが「美濃の衆は縮こまっている」とか言ってたが、考えてみればあれは、戦が迫っていて住民たちが買い控えをしているということだったのだろう。
木曽川に沿って道を進んで行くと、行く手にまた山が近付いてきた。街道が少し左に曲がるところに関所があった。その関所は木々の陰に隠れていて近付かないと関所があると分からないし、右手は山が迫り左手は川になっている。普通の旅人であれば関所に気付いたときには手遅れで、逃げたいと思っても無理だろう。
あたしには探知魔法があるから少し前から街道の先に関所があるか盗賊が待ち構えているかだろうと思っていた。街道の先に十二人と山側の木の陰に五人の人間がいることが分かっていたからだ。だが迂回する気はない。
関所には小屋と街道を封鎖する形で木組の頑丈そうな柵が設けられていた。木組の柵には狭い通路があり、槍を持った侍たちがその通路を塞いでいる。侍や小者の数は八人。残りの四人は小屋の中にいるようだ。
侍と小者たち全員が刺すような視線をこちらに向けていた。不穏な空気が漂っている。
「銭の徴収か?」
あたしは相手の敵意をはぐらかすように軽い口調で侍たちへ問いかけた。
深志城を出てから何度目の関所だろうか。旅をしていると街道の所々で関所に遭遇する。たいていは領主や大きな寺社などが設けた関所であることが多い。その目的の大半は通行税を取ることだから、銭さえ払えば通してもらえる。あたしは自分の領内であっても、身分を隠して出歩いているときは素直に通行税を払っている。余計な揉め事は起こしたくないからだ。ここは美濃国であるから、なおさらだ。
「我らは人改めをしておる。領内に怪しい者どもが忍び込んでおるのでな」
この辺りはあちこちに城が点在している。木曽川の北岸側の城主はどこも美濃国の領主である斎藤龍興に味方しているはずだ。それを織田信長が調略や戦を仕掛けて切り崩そうとしている。コタローからはそう聞いていた。
おそらくこの侍たちは近くの猿啄城の家臣たちで、領内に忍び込んでいる怪しい者どもというのは織田側の手の者だろう。
「編笠を外して顔を見せてもらおうか。どこから来て、どこへ向かうのだ? 用件も申せ」
言われたとおり編笠に手を掛けて外しながら魔法を広範囲に掛けた。魅了の魔法だ。無詠唱だから不審に思われることもない。
「信濃国の深志城から来て、京へ向かうところだ。用件は……」
「うん? そのほう……」
相手の侍が編笠を外したあたしの顔を見て不審げに顔を歪めた。
「驚かせてすまない。このように侍の姿で旅をしているが、お察しのとおりあたしは女だ。京で行方不明となった兄を捜すために侍の格好で旅をしている」
もちろん作り話だ。他国で自分の身分を明かすわけにはいかない。
「ほう。おなごの身で兄を捜すために侍の格好をしとるじゃと? いかにも怪しい話じゃな……。その話の証となるものが何かあるか?」
こういうこともあるだろうと用意しておいた物がある。
「深志城の家老をしておられる馬場美濃守様から兄に宛てた書状がある」
「深志城……というと武田の者か? 家老からの書状だと?」
「そうだ。武田家だ。その深志城のご家老からの書状だ。ご家老の命令で兄は京で仕事をしていたが便りが途絶えたゆえ、ご家老の許しを得てあたしが兄を捜す旅に出たのだ。ご家老は書状で兄に京での仕事を中断して深志城へすぐに戻れと命じておられる。兄に出会えたら書状を渡すよう言われて持参している」
「どれ、見せてみよ」
肩に掛けていた荷物の中から書状を取り出して、応対している侍に見せた。書状はあたしが信春に頼んで書いてもらった物だ。
「なるほど。そなたの言うたとおりじゃ」
「馬場美濃守様じゃと? わしにも見せてくれ」
別の侍が書状を手に取って目を通した。いつの間にか、さっきまでの不穏な空気は霧散している。
「馬場美濃守様と言えば、越後の龍を討ち取ったちゅう武田の猛者じゃな」
越後の龍こと上杉輝虎の首を刎ねたのはたしかに馬場美濃守信春だが、大半はあたしの功績だ。でも、対外的には信春が討ち取ったことになっている。それをこんなところで聞くことになるなんて。あたしとしてはちょっと複雑な心境だ。
「おお、そうじゃった。その恩賞でどこぞの領地の城主となったげな。じゃが、武田家の何とかちゅう姫様も別の城の城主となって、馬場美濃守様はその傅役も仰せつかったとか」
「わしもその話は聞いとる。そのお城が深志城じゃ。そこの城主となった姫様がまた大層なじゃじゃ馬姫じゃちゅうもっぱらの噂じゃ」
「馬場美濃守様も家臣どもも苦労が絶えぬであろうの」
「じゃじゃ馬姫の配下で扱き使われるくらいなら戦場で駆け回って槍働きで出世したいであろうのぉ」
「そのとおりじゃ。ははははっ」
もうっ! 変な噂ばかり広げてっ!
「あんたたちねぇ、いい加減な話はしない方がいいわよっ! その姫様のおかげで筑摩野では農地が広がってるし、川が氾濫しないように今も工事が進んでるの。立派な姫様なんだからねっ!」
「ほう。そなた、その姫様を知っとるのか?」
言ってしまった後でちょっと後悔した。つい感情的になってしまった。
「もちろん知っている。あたしも深志城に毎日のように出入りしてるからな」
口調をまた男っぽく改めた。
「じゃが、そなたが申すように立派なお姫様なら、おかしな噂は立たんはずじゃがな」
「姫様のことを知りもしないくせに、あんたたちのように変な噂を広げる者がいるからだ。姫様を侮辱するということは、武田の家に喧嘩を吹っ掛けているのと同じだと思え。あっという間に武田の騎馬武者隊が押し寄せてくるぞ」
あたしの言葉に侍たちは顔を青くした。
「手間を取らせた。通ってよいぞ」
その侍が頷くと、通路を塞いでいた者たちが道を開けた。
………………
山道に入って小さな峠を越えたところでクルが話しかけてきた。この数日の間にクルとは色々と話をして、少しずつお互いのことが分かり始めている。
『さっきは怒っていたようだな。何があったのだ?』
クルはあたしの守護精霊になることを渋々承知したが、クルにできることと言えば誰にも気付かれずに移動して偵察をすることくらいだ。それにクルはこちらの世界の言葉を理解できないから、あたしがいちいち解説してあげなきゃいけない。手間が掛かるが、今よりもっと仲良くなれるのであれば、面倒だとか言ってられない。
『へぇ、おまえも大変だな。人族たちのために尽くしているのに悪い噂が広まるとはな』
丁寧に説明してあげても、こちらの気持ちを逆なでするようなことを言う。
『魔族のあんたに同情されるのはなんだか癪だわね。言いたきゃないけど、人族にだって嫌な面はあるのよ。その人がどんなに立派なことをしていてもね、世間ではその人のちょっとした欠点を見つけて、それを大げさに貶したり、面白がって話を盛ったりするの。しかも陰に隠れてね』
『やはり人族は駆除すべき害虫だな。地母神様が仰っておられるように人族の自分勝手な厚かましさとコソコソと陰に隠れて悪口を言う卑劣さは許しがたい』
『あ……、やっぱりあんたに愚痴をこぼすんじゃなかったわね。つい余計なことを言っちゃったわ。言っとくけど、人族の大半はそんなことはしないのよ。ほんの一部の人族がそういう卑劣なことをするだけ。残念なことに、そういう卑劣な人に扇動されてしまう人もいるけどね』
そんな話をしているうちに麓の方まで下りてきた。
『あれは何をしてるんだ? ほら、前方を見てみろ』
クルに促されて街道の先の方に目をやった。200モラほど先の街道をこちらに向かって駆けてくる男たちがいる。その後ろから十人以上の侍たちが、刀や槍を振りかざしながら男たちを追っている。
追われている男たちは五人ほどで、奇妙なことに侍や農民、僧侶までが混じっていた。
『クル、あの男たちのところへ行ってみて。何が起きてるのか、確かめたいから』
あたしの指示にクルはすぐに従った。クルを使えば安全に偵察ができるから便利だ。
頭の中にクルが見ている光景と音が飛び込んでくる。この数日間でクルとの息もかなり合ってきた。
『「藤吉郎、このままでは山に逃げ込む前に追い付かれるぞ」』
『「小六よ、ぐだぐだ言わんで逃げるしかにゃーぞ」』
藤吉郎と呼ばれた男は小柄で牢人のような風体だ。そのすぐ隣を走っている小六という男は髭面の大柄な男で僧侶のような恰好をしている。二人の後ろを走っているのは三人とも農民の恰好をしていて、手には鍬や鋤を持っていた。
藤吉郎と小六。これって……。
※ 現在のラウラの魔力〈812〉。
(戦国時代の日本にいるため魔力は半減して〈406〉)




