SGS362 身分を隠して現場を視察する
―――― ラウラ(前エピソードからの続き) ――――
山の中の街道を歩いて小さな村で一泊し、峠を越えてまた次の村に出た。もうここは木曽谷に入っていて、義昌の領地だ。しかし、今度の旅のことは義昌には何も話してないし、義昌の居城である木曽福島城に立ち寄るつもりもなかった。気楽に旅を楽しむつもりだから。
街道と言っても道幅は狭い。山の中や谷間では人がすれ違えないほどのところもある。雨が降ったらぬかるんで難儀しそうな場所も数多くあった。今のままでは間違いなく京への進軍に支障が出るだろう。雪が降り始めるまでには街道の整備を終えておかねばならない。
すでにその工事は始まっていて、ここまでの途中でも工事をしている場所が何か所かあった。だが、あれでは間に合うかどうか分からない。もっと人手を増やすべきだろう。
そう考えて予定を変更することにした。義昌に会って、街道工事の増員を依頼することにしたのだ。
木曽福島の城下に入る関所で自分の身分を明かして、その場にいた侍に義昌と会いたいから当人にその旨を伝えてほしいと頼んだ。もちろん編笠は外して、自分の顔を見せている。
「ほう。面白いことを言う。おまえが羅麗姫様なら、わしは上杉輝虎じゃ。今度は負けぬぞ。返り討ちにしてくれるわっ!」
髭面のその侍は刀の柄に手を掛けて、あたしに斬り掛かる真似をしてみせた。だがすぐに「わはははっ」と同僚や小者たちと笑い合っている。
また、いつものこれか……。
あたしは小さく溜息を吐いて、懐からある物を取り出した。実は懐からではなく、亜空間バッグからこっそりと取り出したのだが。何しろ大切なものだから。それは、あたしのことを馬鹿にする者たちに自分が誰であるのかを証明する物だ。
身分を隠して自分の領地を一人で視察するときには、これまでも数えきれないほど同じようなことがあった。相手に自分の口で身分を明かすと、馬鹿にされたり笑われたりするのだ。
そのことを信春やカエデに話すと、いつも文句を言われる。
「ご身分を隠して密かにご視察なさるから、そういうことになるのです。誰かに案内させて、ご領主として堂々と視察をされては如何でしょう」
カエデはそう言うが、それでは本当のことが見えてこない。領主が視察に来ると分かれば誰でも身構えてしまうし、不備があっても隠そうとする。それでは改善するべき問題が見えなくなってしまうからダメなのだ。
だからあたしは身分を隠して一人で現場を視察することにしている。何か問題があればその場で現場の者たちと原因や改善点を話し合うようにしているのだ。
だが、現場視察を始めたころは全然上手くいかなかった。あたしが現場で問題点を指摘しただけで帰ってしまったからだ。後でケイにそのことを報告すると叱られた。どうやら現場でのあたしの行動が気に入らなかったようだ。
『ラウラ、それはダメな上司がすることだよ』
『ええっ!? どうしてなの?』
『普段は姿を見せない上司が現場に突然現れて、その場の表面的な問題だけを指摘して、叱って帰っていくっていうのは、ダメ上司の典型だね』
『うっ……。何がダメなのよ? あたしは叱ったりしなかったわよ』
『でも、突然に現れた上司から問題をビシバシと指摘されたら、現場の者たちは叱られたと感じるよ。問題のことを考えるよりも、叱られたことの方を重く考えて、仕事に対する気持ちが萎縮してしまうんじゃないかな。それに……』
『まだあるの?』
『うん。これも重要なことなんだけど、その場で見えている表面的な問題を指摘しただけでは本当の問題解決にはつながらないんだよ』
『表面的な問題?』
『そう。現場で発生している問題のことだよ。表面に現れている問題をいくら潰しても、モグラ叩きのような感じで次から次に別の問題が出てくることが多いんだ。だから問題の根本原因が何なのか、現場の中できちっと考えさせて、その根本原因を取り除かないと良くはならないんだよ』
『つまり、あたしが指摘したのは表面的な問題点や解決策だって言うの?』
『たぶんね……。それとね、ラウラだけが問題点や解決策を考えて、それを指摘したのではダメだと思う。現場の者たちと話し合って、彼らにも考えさせないといけないよ。そうしないと根本原因が見つからし、現場の者たちの意識やヤル気も高まらないからね』
『そんなこと言われても……。いったいどうすれば、その根本原因というのが見つかるのよ?』
『ええとね、わたしが日本にいたころに勤めていた会社ではね、“なぜなぜ分析”というのをやっていたんだ。発生している問題点に対して“なぜその問題が発生したのか”っていうことを現場の者たちが自問しながら考える手法でね。“なぜか”って考えると、その問題点の原因がいくつか見えてくる。でもそれは求めている根本原因ではなくて、まだその原因の原因があるかもしれない』
『原因の原因?』
『そう。原因の原因を“なぜか”って繰り返しながら深掘りしていくんだ。“なぜなぜ”を繰り返していくと、やがて原因として仕組みやルール、教育、組織体制なんかが出てくる。そういうところまで深掘りができたら、それが根本原因なんだ。わたしは会社の先輩からそう教えてもらったし、仕事の現場で問題が起こる度に“なぜなぜ分析”をやらされたからね』
ケイは得意そうに言ってるが、あたしはそれを聞いていて少しムッとした。
『でも、ケイ。ここはあなたがいた21世紀の日本ではないわ。戦国時代なのよ。ちゃんと機能している社会や組織であれば、あなたが言ってることが当てはまると思うけどね。でもここは戦国時代で、社会や組織がまだ固まっていないの。問題だらけなのよ。その全部が、あなたが言ってる仕組みとか……』
『仕組み、ルール、教育、組織体制とか?』
『そう。問題の原因は全部、あなたが言ってるそれなのよ。仕組みやルールが何も無かったり、あったとしてもバラバラだったり、現場の者へ何も教えてなかったり、誰かが勝手に判断していたりね。とにかく手を付けられるところからやっていくしかないのよ!』
ちょっとヒステリックに言ってしまったかもしれない。
『ごめん。そうだよね』
そのときはケイとはそんな会話で終わったが、ケイから教えてもらったことは無駄にはなっていない。その後は現場を視察をして、問題があればその場で話し合うようになったからだ。現場で分かった問題について、その場で「なぜか」と原因を現場の者たちと一緒に考えたり、改善の助言をしたりする。もちろん口や知恵を出すだけでなく、改善に必要な人材や金、資材なども領主の責任として用意するようにした。視察が終わってしばらく経った後、問題への改善が進んでいるか再び現場を訪ねて、自分の目で確認するようにしている。
現場の視察やその後の確認は重要なことではあるが、それをすべて領主であるあたしがやっていては領地経営が全然捗らない。優秀な人材が欲しい。あたしの代わりをしてくれるような気の利いた副官が欲しい。そういう意味でも今度の旅への期待は大きい。
話がかなり逸れてしまった。話を戻そう。自分の身分を証明する物の話だ。
自分の口だけで「あたしは領主の羅麗だ」と言っても、誰も信じてはくれない。視察のために初めて現場を訪ねて、あたしが何か話をするときには、いつも「おまえは誰だ?」となる。やむを得ずに自分の身分を明かすことになって、その都度相手にこれを見せるのだ。
それは手に握ると隠れそうなほどの小さな懐剣で、蒔絵で豪華に装飾されていた。2度目に信玄に会ったときに贈られた物で、鞘には妖艶な女性が刀を振りかざしている姿と武田家の家紋が描かれていた。
信玄が言うには、鞘に描かれている女性は女の羅刹天だそうだ。信玄と初めて会ったときに、信玄はあたしのことを女の羅刹天だと言っていたから、それに因んで描かせた蒔絵なのだろう。
貰ったときには「ありがとう」と礼を言ったが、内心ではこんな小さな剣では役に立たないと思っていた。だが、実際にはそうではなかった。武田家の支配地で自分の身分を証明するのに一番これが役立ったからだ。
あたしの顔を知る者はほとんどいなかったから、自分が誰であるのかを証明するためにこれを見せた。すると、直前まであたしのことを馬鹿にしていた者が震え出したり、真っ青な顔になって平伏したりする。初めのころは胸がスッとしていたが、同じことが何度も続くと「またか」となる。
まさに今もそうだった。
関所に詰めていた侍や小者たちは、あたしが差し出した懐剣を見て顔を引きつらせた。全員が身動きを止めて固まったようになっている。
「羅麗姫様、失礼の段、お許しくださりませ」
侍の一人がそう言って地面に平伏した。それを見たほかの者たちも慌てて平伏した。さっき、あたしに斬り掛かる真似をした侍は、地面に爪を食い込ませながら震えている。
あたしが領内で身分を隠して視察をしていることや、懐剣で身分を明かしていることは噂になっているらしい。その噂はこの木曽谷にまで伝わっているようだ。
「許すから、立ちなさい。それよりも、誰か早く義昌殿に伝言を伝えてほしいんだけど。あたしが会いたいと言ってるとね」
すぐに侍の一人が駆け出していった。
あたしが関所小屋で縁台に腰掛けて待っていると、義昌が何人かの侍を引き連れて駆けてきた。かなり慌てているようだ。
「羅麗姫様、関所の者どもが礼を失した振る舞いをしたとのこと、どうかお許しください」
義昌があたしの前で跪いて頭を下げた。
「そんなことは気にしていないから。こちらこそ突然に現れて申し訳ないと思ってるのよ。実は、あたしは京への旅の途中でね。あなたにお願いがあって寄っただけなの」
「どのようなことでございますか?」
「木曽谷の街道を工事してるでしょ。そのことでちょっと相談があって……」
すぐ近くに義昌の館があるそうで、そこまで案内してもらって、二人だけで話をした。来春の美濃侵攻に備えて街道の整備を急ぐ必要があることを説明し、工事の増員を依頼すると、義昌は快く引き受けてくれた。
義昌は館に泊ってほしいと懇願していたが、あたしはそれを丁重に断って、また街道を歩き出した。
※ 現在のラウラの魔力〈812〉。
(戦国時代の日本にいるため魔力は半減して〈406〉)




