SGS356 共生と護民官
ドルガ共和国の発足については、すべてが順調に進んできたわけではない。人族とゴブリン族の対立が生じたり、過酷な労働に不満を持った者たちが大勢で政府庁舎に押しかけたり、マフィアのような犯罪集団がいくつも生まれて縄張り争いや人身売買が多発したり……。人族とゴブリン族の共生が始まった直後から頭を抱えたくなるような事態が次々と発生していたのだ。
考えてみたら何となくその理由が分かる気がした。種族も文化も全く異なる人族とゴブリン族が同じ街で暮らし始めたのだから、摩擦が生じるのは仕方がないことだ。それに国の設立準備を始めた時点では奴隷などがいないから、すべての労働を住民たちが自分でしなければならない。そのような事情があって人族もゴブリン族も移住民たちの不満が燻っているのだ。さらに国の形もちゃんと出来上がっていない状態であるから、悪意を持った者たちが大勢入り込んでいると思われる。
不満を抱いた住民たちや悪意を持った者たちに対して統治をする側の対応が不十分であることも大きな問題だった。つまりオレやテイナ姫たちの目が行き届かない。人族の不満を理解できるゴブリン族がいないし、ゴブリン族の不満を理解できる人族もいない。それが分かっていても、解決手段を思い付かない。
オレが頭を抱えていると、助言をしてくれたのはコタローだった。
『護民官を設けたらどうかにゃ?』
『ごみんかん? 何、それ?』
『新たに立ち上げるドルガ共和国の中でにゃ、住民たちが安心して暮らせるようにすることが護民官の使命なのだわん。初めて人族とゴブリン族が共生する国だからにゃ。問題が噴出するのは当たり前だぞう』
コタローが言うには、住民たちの不安や不満が何なのかを見出して、その原因を探って取り除くことが護民官の役割だそうだ。
それを聞いてオレはすぐにウィンキアソウルと緑玉龍に相談を持ち掛けた。そして護民官に最大級の権限を与えることで承諾を取り付けた。
それは護民官が悪人と判断した者を逮捕・生殺与奪できる権限とドルガ共和国の政策を停止できる権限だ。その権限を行使するために共和国防衛隊と国の官吏たちを動員して指揮命令できる権限も付与した。こうして護民官が持つ権限はドルガ共和国の執政官の権限をも凌駕することとなった。
オレがその護民官として選んだのがドンゴだ。奴隷だったときにオレやラウラと一緒に辛酸をなめ、体を張ってオレたちを守ってくれた。ゴブリン王の密使として魔族軍の総攻撃のことを密かにオレたちに知らせてくれたのもドンゴだった。だが知らせを届けに来たときにドンゴは殺されてしまった。オレがドンゴのソウルをゴブリンの体から熊族の男の体に移植して、ドンゴは熊族として生きることになったのだ。
ドルガ共和国の護民官としてドンゴほど相応しい者はいないだろう。弱い者たちを思いやる優しい心を持ち、オレが最も信頼している男の一人だ。ゴブリンの文化や考え方を分かっているし、人族のことも知っている。人族として足りない知識はオレが知育魔法で植え付ければよいのだ。
ソウルの移植から2か月間ほどはドンゴはテイナ姫が用意した別荘で休養をしていたが、オレはそのドンゴを引っ張り出した。それまでも何度かドンゴとは会っていて、オレ自身のことやラウラのことなどは説明済みだった。
ドンゴをドルガ共和国の護民官にしようと決めて、レングランの別荘にいるドンゴを連れ出したのは今から3か月前のことだ。まずオレが始めたのはドンゴに護民官としての相応しい能力を身に付けさせることだ。ドンゴを知育魔法で教育して、それからクドル・インフェルノに連れていった。オレと一緒に魔獣戦を繰り返して、ドンゴは魔力が〈300〉を超えるロードナイトになった。
クドル・インフェルノからアーロ村への帰り道で、オレはドンゴに新たに立ち上げようとしているドルガ共和国のことと護民官の件を話した。オレの使徒になって、ドルガ共和国の護民官を務めてほしいと頼んだのだ。
「オイラにそんな難しそうな役目が務まるかなぁ……」
初めは躊躇っていたが、説得を続けるとドンゴは承諾してくれた。オレはすぐにドンゴを自分の使徒にした。
地母神様からドンゴが護民官の件を引き受けたら会わせてほしいと頼まれていたので、使徒にした直後に連絡を入れた。場所はアーロ村の近くだ。
連絡するとすぐに地母神様は太久郎の姿でワープしてきた。その後ろには緑玉龍のミドラレグルが首を垂れて蹲っている。
「君のことは僕もよく知っているよ」
目の前に突然現れた男とその後ろの巨大なドラゴンを見て、ドンゴは目を丸くしていた。地母神様とそのしもべの緑玉龍だとオレが告げるとドンゴは驚いて跪いた。
「ドンゴ、君はケイが心から信頼を寄せる友人だ。だから僕も君のことを心から信頼しようと思う」
太久郎がドンゴを信頼すると言い切っているのは、ウィンキアソウルがオレの記憶をコピーしていて、ドンゴのことをよく知っているからだろう。
ドンゴは何が起きているのか分からずに呆然としている感じだった。
「僕の信頼の印として、君にはこれをあげよう」
太久郎がドンゴに右手を差し出した。見ると、手のひらには直径1セラほどの紫色の石が輝いていた。種類は分からないが輝き方が普通の宝石とは違っていた。
「紫玉だ」
「しぎょく?」
「そう、これは君のために特別に作った紫の宝玉だ。この紫玉は君に力を与え、君を守ってくれるはずだ。この紫玉を額に埋め込めば君の魔力は一気に高まる。ここに控えている緑玉龍とどこからでも念話で話ができるようになるし、この宝玉を目にした者は君を恐れてすくみ上るか、君に親愛の情を寄せるようになるだろう。低級な魔族どもは紫玉に気付いて君にひれ伏すはずだ」
太久郎は右手でドンゴの額を撫でるような仕草をした。すると次の瞬間、ドンゴの額に紫玉が埋め込まれていた。額の真ん中で紫色の光を放って輝いている。
やはりウィンキアソウルは神様のような存在だ。どれほどの奇跡を起こせるのか想像もできない。
ドンゴは意外な成り行きに呆然としているようだ。何が起きたのか分かっていないのだろう。
「ドンゴ、痛くないの? あなたの額にはさっきの宝玉が埋め込まれてるんだけど……」
「えっ? 全然痛くないけどなぁ」
オレはもっと凄いことに気付いた。
「あなたの魔力が〈900〉になってるよ」
「そうなのかぁ?」
呆然としているドンゴの顔を見て太久郎は微笑んだ。
「それくらいの魔力があれば、何か起きても急場をしのげるだろうからね。それと無詠唱で思いのまま発動できる魔法をいくつかオマケに付けておいた。バリアとバリア破壊、威圧、魅了、魔力剣などの魔法だ」
「ほぇ……」
ドンゴは驚きのあまり言葉も出て来ないようだ。
「ドンゴ、その紫玉は僕の権威の象徴でもある。魔族であれば、それを目にした者は誰でも僕の存在を感じ取ることができるはずだ」
「そんな凄い宝玉をオイラに?」
「そうだ。僕の宝玉を身に着けている者は緑玉龍と黄玉龍、そして君だけだ。その宝玉を使って君が成すべき務めを果たしてくれると僕は信じている」
「成すべき務め?」
「護民官としての務めだよ。魔族と人族がドルガ湖の周辺で穏やかに暮らせるようにすることだ。頼んだよ」
太久郎は諭すようにドンゴに話しかけてから顔をこちらに向けて右手を上げた。
「ケイ、じゃあまた会おう」
驚いているオレたちの顔を見て、太久郎はいたずらが成功した男の子のようにしてやったりという顔をした。何か言い返してやろうと思っているうちに太久郎は姿を消し、同時に緑玉龍も消えていた。
改めてドンゴの額に埋め込まれた紫玉を見た。凄い宝玉らしいが、けっこう目立つ。護民官としては目立つのは好ましくない。普段は額の紫玉を隠しておくべきだろう。ダイルがネコ耳を隠すために頭に巻いているようなバンダナを使えばどうだろうか。
そう言えばオレも何枚かバンダナを持っていた。異空間倉庫にあるはずだ。取り出して、ドンゴの頭に巻いてみた。
「こうすれば額の紫玉も見えなくなるし、熊耳も隠すことができるよね」
オレはその出来栄えに満足した。紫玉も熊耳も完全に隠れている。シッポもオーバーオール風のダブダブのズボンの中に納まっているから、ドンゴの見た目は太っちょの人族にしか見えない。護民官としての威厳は全然無いが、それは仕方ない。
その後も2か月間ほどオレと一緒に訓練を続けた。ドンゴは戦闘の経験も積んで、複数の魔獣に囲まれても単独で倒せるほどの力が付いた。
「ドンゴ、そろそろ護民官としての活動を始めてみる?」
訓練が終わった後、ワープでアーロ村の家に帰ってきたときに尋ねてみた。
「今のオイラで大丈夫かなぁ?」
「うん、能力的には十分だと思うよ。ただ、ちょっとだけ気になるところがあるけどね。ドンゴが自分のことをオイラと呼ぶのは威厳が無さすぎると思うんだ。呼び方を変えてみたらどうかな?」
「だけど、オイラの姿がこれだからなぁ」
ドンゴはお腹をポンポンと叩いた。
「オイラに護民官の威厳なんて無いことは分かってるからな。ムリして威厳を繕うことはないと思うんだぁ。それりも、自分のことを今までどおりオイラって呼んだ方がこの姿に似合ってるし、住民たちからも気軽に接してもらえると思うんだけど。ダメかなぁ?」
ドンゴなりに自分自身のことを考えているようだ。つべこべ言わずにドンゴに任せておくのが一番良いと思った。
今はあれから1か月が経ち、ドンゴは必要に応じてオレと緑玉龍に念話で状況を知らせてくる。それに今日はわざわざオレのダールムの家を訪ねて来てくれた。何かのついでとは言え、オレのことを心から心配してくれている。ドンゴのその何気ない優しさが嬉しかった。
それにドンゴは護民官として大きな成果を出してくれている。数週間前にはドルガの街で誘拐されていた大勢の女性たちを防衛隊と共同して救出した。女性たちを誘拐したのはドルガの街に根を張ろうとしていた人族の犯罪集団で、ドンゴはその人族たちを捕らえて防衛隊に引き渡したそうだ。女性たちを救出した際にはオークやゴブリンたちもいたが、単に奴隷を買い付けに来ていた商人とその護衛たちだったとのことで、きつく叱って解放したらしい。
その事件を契機に芋づる式にドルガの街に拠点を作ろうとしていた複数の犯罪集団をドンゴは摘発して悪人たちを捕らえていた。新しく生まれた街で縄張り争いをしていた犯罪集団はお互いに敵対する相手の情報を持っていたから短期間で摘発できたとのことだった。
この1か月の間に「紫玉の獣人様」とか「紫玉の護民官」とか言う呼び名やウワサが勝手に広まって、ドンゴは頭を抱えているらしい。これほど活躍していればそれも仕方がないことだと思う。この調子でドルガ共和国が安定してくれば、テイナ姫たちは本格的に食材改革を進めて行けるようになるだろう。
テラスでドンゴのことやドルガ共和国のことを思い起こしていると、マリーザが来て、ドンゴが飲み残したお茶を片付けてくれた。
「ケイ様、お茶を入れ直しましょうか?」
「ありがとう。でもお茶はもういいよ。それより、もう少しここでぼーっとしてるから、後でコーヒーを持って来てくれる?」
コーヒーの淹れ方はオレがマリーザ親子に教えて、豆や道具もオレが日本から持ち込んでいた。ちょっと悔しいが、自分よりもマリーザたちが淹れてくれるコーヒーの方が美味いのだ。
「分かりました。あ、そうそう。さっきフィルナ様がケイ様とお話がしたいとおっしゃってました。ちょうどケイ様がドンゴ様と話しておられたときでしたので、ご自分の実家に先に行って用を済ませてくるそうです。昼過ぎには帰ってくるからケイ様に伝えておいてほしいと言われてましたけど、ちょっと元気が無いご様子でしたよ。実家で何かあったのかしらねぇ……」
いや、それはきっとオレのせいだろうな。
※ 現在のケイの魔力〈1364〉。
※ 現在のユウの魔力〈1364〉。
※ 現在のコタローの魔力〈1364〉。




