SGS354 紫玉の護民官その3
―――― ドルテ副隊長(前エピソードからの続き) ――――
悔しいが、あたしはドンゴに言われたとおり待機することにした。勝算も分からないままドンゴと行動を共にするほど馬鹿ではない。木の陰に隠れてドンゴの様子を見守った。もしドンゴが倒されたり逃げ出したりしたなら、すぐに部下たちのところへ引き返して退却させるつもりだ。
賊の見張りがドンゴに気付いて叫び声をあげた。剣や斧を振りかざしてドンゴに向かってくる。
異変に気付いた者たちが小屋の中からも飛び出してきた。その中には人族とゴブリン族だけでなくオークも何頭か混じっている。
ドンゴまで10モラほどまで迫ってきたとき、不思議なことが起きた。先頭を駆けてきた数人のゴブリンたちが手に持った剣や斧を足元に投げ捨てて、体を震わせながらひれ伏したり跪いたりし始めたのだ。後から追い付いてきたオークたちも大きな体を縮めて土下座をしている。一方、人族たちは腰を抜かしたような恰好をしている者や地面を這いながら逃げようとしている者など様々だ。
ゴブリンもオークも人族も、誰もがドンゴを恐れて戦意を無くしていることが見て取れた。人族たちだけの様子を見れば、ドンゴが威圧の魔法を掛けたのだと推測できる。だが、ゴブリンとオークの様子はちょっと違う。何と言えばいいのか、まるで神様にでも突然に出会ったかのようにドンゴを畏れ敬っている感じだ。これは明らかに威圧の魔法とは違っている。あたしが知らない魔法があるのだろうか……。
ドンゴは歩みを止めている。その前で大勢の者たちがひれ伏したり腰を抜かしたりしている光景は異様だった。種族は入り乱れているが、ひれ伏しているのはゴブリンとオークで、腰を抜かしているのは人族だ。
探知魔法で探ると、ドンゴの前に敵のほぼ全員が集まっていることが分かった。残っているのは小屋の中にいるオークロード二頭だけだ。
ドンゴが左手を上げて右から左にゆっくり振ると、ひれ伏したり腰を抜かしたりしていた者たちが地面に横たわり始めた。探知魔法で見ると、この者たちが生きていることは確かだ。どうやらドンゴがマヒか眠りの魔法を放ったようだ。
そのとき小屋からオークロードが出てきた。二頭は仲間たちがドンゴの周りで横たわっていることに気付いたのだろう。ドンゴの方を指差しながら何か話し合っている。
ドンゴは躊躇う様子もなくオークロードたちの方へ歩き始めた。地面に横たわっている者たちが大勢いるので、それを避けて大回りをしながら小屋に近付いていく。
オークロードたちは剣を抜いてドンゴに向かって走り出した。ドンゴはあたしよりも魔力が高い魔闘士らしいが、同時にオークロード二頭を相手に戦うのは厳しいだろう。助けに入るべきだ。
すぐに雑木林から出て、あたしはドンゴの方へ走り始めた。右手には剣を抜いている。
オークロードに力では敵わないが、魔力はこちらが上だ。今までオークロードと戦ったことはないから自信はないが、なんとしても相手を倒して自分が生き残るのだ。
オークロードたちが二手に分かれた。一頭がこちらへ向かってくる。手に持っている大きな剣はあたしの背丈くらいありそうだ。目の前に迫ってくる黒々とした図体は見上げるようにデカい。
こんな相手に本当に勝てるのだろうか。
どうしてドンゴを助けようなんて考えたのだろう。
後悔の念が一瞬過ったが、気合の声を上げてそれを振り払った。
「来いぃぃぃーっ!」
相手が妖魔であろうが絶対に負けない。
こちらも脚に力を込めて一気に加速。すれ違いざまに剣を振り下ろす。
「ガキィィィーン」
剣と剣が噛み合う音が響いた。筋力強化と敏捷強化の魔法を掛けてあるが、剣を持つ手が痺れた。だけど相手の力に負けていない。これなら戦える。
すぐさま相手の方に向きを変えて剣を構え直した。
相手のオークロードもすぐには打ち込んで来ない。こちらの力が分かって警戒しているのか。剣を斜め上に振りかざしてジリジリとこちらへ詰め寄ってくる。
相手からの殺気で圧し潰されそうだ。だけど負けない。唇を噛んで堪えながらこちらも相手に少しずつにじり寄る。
すると不意に相手の殺気が弱まった。
相手のオークロードが見ているのはあたしの後方だ。
何が起こったの?
「剣を地面に置け」
後ろから声がした。ドンゴの声だ。
信じられないことが起きた。オークロードがドンゴの声に従ったのだ。
オークロードはゆっくりと跪くと、手に持っていた剣を地面に置いた。
「仰せのままに。紫玉の獣人様……」
オークロードは頭を下げてひれ伏した。
「しぎょくの獣人様って……。なに、それ?」
思わず聞き返してしまったが、当然相手が答えるはずもない。オークロードはひれ伏したままだ。殺気は完全に消えていた。
何が起きているのか分からずに、後ろを振り向いた。
あたしの3モラほど後ろにドンゴが立っていた。無手だ。
ドンゴが相手をしていたオークロードは?
探すまでも無かった。少し離れたところに黒々とした図体が横たわっていた。地面に跪くような恰好で眠っているようだ。
視線を戻してドンゴに尋ねようと口を開きかけた。そこでドンゴの額に輝く何かに気が付いた。額の真ん中で輝いているのは紫色の宝玉だ。
「おんなっ! 剣を置け。紫玉の獣人様の命令に従うのだ」
後ろから低い声がした。驚いたことにオークロードがあたしに呼び掛けている。忠告しているらしい。たしかにあたしは剣を持ったままだ。
紫玉の獣人様とはドンゴのことだろう。ドンゴの額の真ん中で輝いている紫色の宝玉を見て「紫玉の獣人様」と呼んでいるようだ。
「どうしてあなたは紫玉の獣人様の命令に従ってるの? その訳を教えて。それが納得できる理由ならあたしも剣を置くわ」
オークロードの方に顔を向けて直接疑問をぶつけてみた。
「おまえには獣人様の額に輝く宝玉が見えぬのか? あの紫玉の輝きから地母神様の存在を感じ取れぬのか?」
意外なことにオークロードは答えてくれた。
「宝玉は見えるけど、地母神様の存在を感じ取るって……、意味が分からないけど。どういうこと?」
地母神様というのはウィンキアソウルのことだ。魔族たちがウィンキアソウルを敬って地母神様と呼んでいる。あたしでもそれくらいは知っていた。でもあの宝玉でどうしてウィンキアソウルの存在を感じ取れるのか全然分からない。
「それはオイラが説明するよ。その前に……」
ドンゴが眠りの呪文を唱えるとオークロードはひれ伏したまま眠ってしまった。
「この紫玉はな、オイラが地母神様から頂いた特別な宝玉なんだぁ」
「地母神様から頂いたぁぁーっ!?」
自分の声が裏返ってしまった。
「ああ、地母神様がオイラにくれたんだぁ。魔族はこの紫玉を見ると地母神様の存在を感じ取ることができるんだ。人族や亜人は何も感じないけどな。魔族だけがこの紫玉から地母神様の権威を感じ取って、それに圧倒されて縮み上がるみたいだな」
「ど、どうしてあんたみたいな男がウィンキアソウルからそんな凄い宝玉を貰えたのよ?」
怪しい男だと思っていたけど、これほどとは……。
「いや、それは色々事情があるんだけどな……。とにかくオイラが護民官になることを地母神様が知って、この紫玉をオイラの額に埋め込んでくれたんだぁ」
ドンゴは頭を掻いている。
「そんな馬鹿げた話を信じろって言うの?」
あたしの剣幕にドンゴは困ったような顔で周囲を見渡した。どう説明するか考えているのだろう。
あたしたちの周りにはオークやゴブリンたちがひれ伏すような恰好で眠っていて、たしかにこの状況を見て冷静に考えたらドンゴが本当のことを言ってるように思えてくる。ドンゴの話を信じて良いのかもしれないけれど……。
「ともかく今はこのオークロードたちの処分が先よ。早く仕留めてしまいましょ。眠ってるみたいだけど、放っておいたら危険だから」
「いや。このオークロードたちをむやみに殺したりはしないぞ。オークロードも含めてこの場で眠っている者たちの処分は、オイラがちゃんと取り調べて決めるからなぁ」
「それはあなたが護民官だから?」
「ああ。魔族と人族がドルガ湖の周辺で穏やかに暮らせるようにすることがオイラの役目だからな。地母神様やこの国の支配者たちからオイラが護民官として期待されているのはそういうことなんだ。むやみに殺すことじゃないからなぁ」
ドンゴはまっすぐにあたしを見つめて話している。その目にウソや欺瞞は無さそうだ。この男を信じてみても良いのかもしれない。
「分かったわ。で、あたしは何をすればいいの?」
手に持った剣を鞘に納めながら尋ねた。
「まずは女性たちを助け出して、あんたの部下たちに引き渡してほしい。街まで女性たちを護衛して連れ帰るよう部下たちへ命じてくれ。ただし、部下の半数は今の場所で待機させてくれるかぁ。取り調べが終わってから賊たちを護送してもらうからなぁ。それと、あんたはここに残ってオイラを手伝ってほしい」
「了解だけど、手伝うって何を?」
「オイラはこの場で取り調べを始めるから、あんたには立ち会ってほしいんだ。まずはこのオークロードからだな。その前に……」
ドンゴはバンダナを取り出して頭に巻き始めた。バンダナを巻き終わると熊の耳も紫玉も完全に隠れて見えなくなった。
「紫玉も隠しちゃうの? それが額で輝いてれば、きっと紫玉の護民官と呼ばれて人気者になるわよ」
「かんべんしてくれ。ええと、お願いがあるんだけどなぁ。オイラのこの紫玉のことは誰にも話さないでほしいんだ。紫玉のことがウワサになって広まると護民官の仕事がやりにくくなるからなぁ」
「紫玉を隠しちゃうなんて勿体ないよね。格好いいのに……」
本当にドンゴのことが格好良く見えてきた。きっとドンゴとは長い付き合いになるのだろう。そんな予感がした。
――――――― ケイ ―――――――
あの魔族軍の総攻撃から5か月が過ぎた。バーサット帝国や魔族軍の動きについては各国の国軍が注意深く監視をしているが、これといった兆候は無かった。この間の大きな出来事と言えば、今から2週間前にクドル共同体が正式に発足したことと、1週間前にドルガ共和国が独立を宣言したことだ。
どちらにもオレは深く関わっていた。と言うか両方ともオレが旗を振って進めてきたと言っても過言ではない。おまけに時間を見つけてはクドル・インフェルノで訓練を続けていたから死ぬほど忙しかった。
訓練はこれからも続けていかなきゃいけないが、クドル共同体とドルガ共和国が正式に立ち上がって自ら歩き始めたことでオレの出番はぐっと減った。休みも遠慮せずに取れるようになったから今日は丸一日休日だと自分で決めて、ダールムの家でのんびりと過ごすことにしたのだ。
朝からぼーっとしていようと思っていたが、突然にドンゴが訪ねてきた。オレが朝食を済ませてテラスでお茶を飲んでるときだ。ドンゴは昨日からダールムの街に何かの用があって来ていて、今日はドルガの街へ帰る予定らしい。その前にオレの家に寄ってくれたそうだ。
テラスのテーブルを挟んでドンゴはオレの前に腰を下ろした。ダールムの家の家事全般を任せているマリーザがドンゴにもお茶を入れてくれた。数日前にオレが実家に帰ったときにお袋からもらってきた日本茶だ。
「護民官の仕事には慣れた?」
「いやぁー、なかなかだなぁ」
そう言いながらドンゴはお茶を飲もうと湯呑みに手を伸ばした。
「それで、今日は突然にどうしたの?」
オレの問い掛けにドンゴは湯呑みを置いて、その手を頭に持っていった。「それはあれだぁ……」と言いながらバンダナの上から耳の辺りを掻き始めた。
※ 現在のケイの魔力〈1364〉。
(忙しい合間を縫ってクドル・インフェルノで訓練を続け、魔力が増加)
※ 現在のユウの魔力〈1364〉。
※ 現在のコタローの魔力〈1364〉。




