SGS343 大魔女が大魔王に頼みたいこと
オレとミサキはお袋が住む家の2階に住んでいる。二世帯住宅になっていて、2階の玄関は外階段を上がったところにある。意外に家の中は広い。一番奥がオレの寝室で、廊下を挟んで真向かいにミサキ(コタロー)が使っている部屋がある。洋室の客間だが、もし子供が二人できたら子供部屋として使う予定だった。
そしてオレの寝室の隣がウィンキアソウルが使いたいと言っていた洋室だ。初めから子供部屋の予定だったから6畳ほどの広さしかない。
オレがその部屋に入っていくと、ウィンキアソウルがこっちを向いて窓際の床を指差した。
「ここにベッドを置いて、こっちにはパソコンを置くからね。それとテレビはここだね。あ、それと、カーテンを付けておいて。遮光性が1級のを頼むね。昼間でも部屋の中を暗くして映画を見たいからね」
くそっ! 勝手なことを言ってる。この貸しは必ず返してもらうぞ。
「分かりました」
心とは裏腹に、オレはにっこり微笑んだ。
「それで……、大輝の体は?」
「おっと、忘れるところだった。君に渡しておかないとね」
床に現れたのは石の像だ。大輝の体が石化された状態で床に横たわっている。
「この体も僕が作った。君と初めて会ったときは君の脳にあったイメージから作ったけど、この体はその後で作り直したものだ。大輝の死体が埋まっていた場所から生体情報を取り出して作ったから、完全に大輝の体を復元できているはずだよ。普通の人族と同じだから病気になるし、ちょっとしたことで傷ついたり死んだりするからね。扱いには注意してくれよ。君にプレゼントするよ。この体にダイルのソウルを入れて、日本の家へ連れて帰ったらいい」
この大輝の体にダイルのソウルを一時移動させたなら、大輝を連れて一緒にワープしても亜空間の中で不安定な状態になることはない。
「ありがとうございます。この体があれば、ダイルを安全に日本へ連れて帰って、家族に会わせることができます」
「うん。この体にダイルのソウルを入れて日本へ帰ってくるときは僕を呼んでくれ。そうしたら友だちとして大輝の家に一緒に行くからね。約束だよ」
「分かりました。ええと、それと……」
大輝の体を異空間倉庫に収納しながら言葉を続けた。
「部屋や家具なんかの用意はしますけど、それだけじゃダメですよ。こっちの世界で少しでも生活をするのであればお金が必要です」
「お金か……」
「それも用意しておきましょうか?」
「おお、気が利くね。助かるよ」
気が利くと言われても、タダではない。こちらからもお願いしたいことの本命があるのだ。
それを言い出そうとしたところへミサキ(コタロー)が現れた。
「お待たせしました」
「おおっ、君がミサキだね……」
ウィンキアソウルはじろじろとミサキの顔を見ている。
「うん。たしかに死んでしまったケイの奥さんと似てるねぇ」
余計なことを……。ウィンキアソウルはオレの記憶から妻の顔を思い浮かべて、ミサキの顔と比べているようだ。
「君がコタローだなんて、ケイの記憶を分析してなきゃ絶対に分からないよ」
「でしょうね。ところで、これをどうぞ。運転免許証です。戸籍などの登録も全部終わりましたから」
ミサキは運転免許証をウィンキアソウルに手渡した。
「ええと、この名前は“なるせたくろう”と読めば良いのかな?」
「はい。成瀬太久郎という名前です」
「この名前を付けたのには何か理由が?」
「いいえ、名前は適当です。敢えて言うなら、偽装する戸籍データで都合の良い名前を選んだだけですから。家族も親戚も死に絶えた家系です」
免許証を見せてもらうと、住所はこの家の番地になっているし、写真も真正面からの顔がバッチリ写っている。
「この写真はいつ撮ったの?」
「ケイの目で見た情報を画像データにしたのよ」
ミサキ(コタロー)はオレの目をカメラとして使っているようだ。
「それと……」
ミサキがウィンキアソウルに向かって話しかけた。
「太久郎さんの経歴情報をあなたの記憶の中に植え込みたいんですけど、知育魔法を使って良いですか?」
「ああ、もちろんだ。今すぐ頼むよ」
ミサキがウィンキアソウルに向けて知育魔法を発動した。
「ケイ、あなたとダイルは太久郎さんの友だちということになっているから、あなたにも太久郎さんの経歴情報を植え込んでおくわね。ダイルには後で処理しておくから」
オレが頷くと、頭の中に太久郎の経歴などの情報が流れ込んできた。太久郎は愛知県生まれで家から県内の大学院に通っていたという設定だ。両親は早くに亡くなっていて祖母が育ててくれたが、その祖母も亡くなって独りぼっちになってしまった。両親が残してくれた遺産があったから生活には困らず大学院へ進んだ。
あの日、東京に遊びに来ていて、運悪く路線バスに乗っていたときに異世界召喚に巻き込まれてしまった。旅行者で心配する家族もいないからバスの行方不明者名簿には載っていない。
オレたちとは異世界のウィンキアで知り合って友だちになった。魔法は使えるし、ワープも使えるということにしている。もちろんすべてミサキが設定した作り話だ。この設定なら大丈夫だろう。
「今は時間が無かったからデータだけの設定ですけど、後で生まれた家や大学などにも細工をしておきます。データとの整合性が必要ですから」
「うん。ミサキ、世話になったね。じゃあ、ケイもミサキもこれからは僕をタクローと呼んでくれ。友だちだから呼び捨てでいいよ」
「呼び捨てで? それはちょっと……。やっぱりあなたを呼び捨てにはできませんよ」
「そうかい? 遠慮は要らないんだけどねぇ」
「とにかく、太久郎さん、これからは友だちとしてよろしくお願いします」
オレが手を差し出すと、太久郎はその手をぎゅっと握ってきた。
「よろしく。これからはお隣同士だ。大魔王と大魔女で仲良く暮らそう」
まだ言ってるけど、太久郎は本当に嬉しそうだ。ミサキとも握手をしている。
「コーヒーでも飲みながら少し話をしませんか? 太久郎さんにお願いしたいことがあって……」
いよいよ交渉の開始だ。どうしてもウィンキアソウルから承諾を取り付けたいことがあるのだ。
「へぇ。大魔女が大魔王に頼みたいことって何かな?」
太久郎がちゃかすように言った。
リビングルームに移動して、ソファーに腰を下ろした。ミサキがインスタントコーヒーを入れてくれた。インスタントでもなかなかの香りがする。
「それをお願いする前に、さっき言いかけていたお金の件ですけど……」
お金のことから話を始めたが、金で交渉しようと言うのではない。そんなことはウィンキアソウルに通用するはずがないからだ。
「うん。お金も必要だな。それで、お金も用意してくれるんだね?」
「ええ。銀行に口座を作って、とりあえず1千万円ほど入金しておきます。それと、クレジットカードも用意します。ミサキ、いいよね?」
こういう面倒事は全部ミサキ(コタロー)に任せることにしている。
「それはやっておくけど。でも、ケイ、手持ちの現金も必要よ」
「あ、そうだね」
異空間倉庫から現金を取り出して太久郎に渡した。とにかく今はウィンキアソウルに対して期待以上のサービスをして、好感度を高めておかなきゃいけない。
「これをどうぞ。50万円ありますから」
「ありがとう」
「人間の社会はお金で回ってますからね。人間にとってお金は大事なんですよ。太久郎さんもこっちの世界に来て数日が経ちましたけど、少しは人間のことが分かりましたか?」
「うん。映画やドラマを見たときも得るものが多かったけど、こっちの世界に来て、実際に見たり話をしたりしたら、もっと色々なことが分かった気がするよ」
「それは、例えばどんなことが?」
「うーん、そうだねぇ……。ケイ、この前の夜に君が僕に話をしてくれたことがあったよね。人間は良いところもたくさん持ってるけど、悪いところもたくさんあるとね。人間は弱くて、ズルくて、冷たくて、残忍な存在でもあるって」
たしかにオレはそんな話をした。それはウィンキアソウルに人間というのは誰でも善と悪の両面を持っていることを知ってほしかったのと、相手にちょっと悪いところがあっても寛容の心で接してほしかったからだ。
「たしかに、そんなことを話しましたけど、それが何か?」
「うん。君の言うとおりだと思うけどね。でも僕が実際に感じたのは、人間は強くて、正直で、優しくて、情け深いってことだね。あ、強いと言うのは力が強いのではなくて、心が強いと言うか、気持ちが強いってことだけどね」
「つまり、人間は弱くて、ズルくて、冷たくて、残忍な存在でもあるけど、強くて、正直で、優しくて、情け深い存在でもある……。こっちの世界に来てみて実際にそう感じたってことですか?」
おそらく大輝の家族と会ったから、そんなふうに感じたのだろう。ウィンキアソウルがそう感じてくれたのなら有難い。
「うん。君の記憶にある言葉で言えば、“人間も捨てたもんじゃない”ってことだねぇ」
「人間も捨てたもんじゃない、ですか……」
オレはその言葉を噛みしめるように呟いて、コーヒーカップを手に取った。口に含むと、コーヒーは少し温くなっているがまだ美味しい。
ウィンキアソウルがこの日本に来たと知ったときは頭の中が不安で一杯になったが、今のように人間のことを見てくれるなら大丈夫だろう。
“人間も捨てたもんじゃない”というのはオレが好きな言葉だ。自分の記憶の中に鮮やかに残っているシーンがある。
突然に降り出した土砂降りの雨。歩道で立ち往生する電動車椅子のお婆ちゃん。通りがかりの男性が自分の傘を差しかけて、声を掛けながら雨宿りができるところまで車椅子を押していく。男性自身はずぶ濡れになっているのに……。
それを目にしたときに浮かんできたのが“人間も捨てたもんじゃない”という言葉だった。
その男性は近所に住んでいる少し小太りの青年で、大学卒業後に数年間会社勤めをして、何があったか知らないが会社を辞めて家に引きこもっているという。そういう噂の人物だった。人を見かけや噂だけで判断してはダメなのだ。
普段の生活の中で見過ごしてしまいそうになる“誰かのちょっとした優しさ”。誰でも本当は優しいのだ。誰でも優しい気持ちを持っていて、そんな場面に遭遇したら優しい気持ちがあふれ出て、自然と体が動くのだろう。本当に自分がそういう行動ができるのかは分からないが、自分もそうありたいと思う。
人間も捨てたもんじゃない。あのときからオレの好きな言葉になり、自分の記憶の中にしっかりと残った。
「嬉しいですよ。あなたに人間のことをそんなふうに見てもらえて。でも、捨てたもんじゃないのはこちらの世界の人間だけじゃないですよ。ウィンキアの人族たちも同じです」
「おっと。それとこれとは別だよ」
太久郎はこちらの意図を見透かしたように微笑んだ。
「ケイ、君が僕に何を頼みたいのかは分かるよ。ウィンキアの人族たちが安心して暮らせるようにしてほしいと言うんだろ? 人族たちが今住んでいる場所を君の領地として与えて、魔族たちに人族を襲わないように指示してほしいとね」
たしかにそうなれば言うことは無いが、今はそこまでのことは望んでいない。だけどせっかくウィンキアソウルがこっちの話に乗ってこようとしているのだ。もう少しその線で粘ってみよう。
「でも、太久郎さん。この前はそんなことを言ってましたよ。わたしに結婚を申し込んだときの話ですけど」
「ああ、政略結婚の話をしたときだよね。あれはケイ、君が僕の正式な妻になるという前提での話だよ。神族が僕の妻になったことを魔族たちが知れば、魔族たちはその神族がウィンキアの人族たちとその居住地を支配することを当然だと考えるだろう。それに、人族を襲わないよう僕が命令を出したとしても魔族たちは納得するだろうからね」
そこで言葉を切って、太久郎はまたニタリと笑った。
「だけど君は僕の妻になる道ではなくて別の道を進もうとしている。となると、君の望みを叶えることは無理だな」
「でも友だちになりましたよね?」
「ああ、そうだね。友だちになったのだから君の頼みを聞いてあげたいと思うし、君には色々と世話になっているから感謝もしている。何か特別なお礼もしたいと思っているけどね。でもウィンキアで人族の居住地を認めたり、君にそれを領地として与えたりすることはできないんだよ」
「どうしてですか?」
「僕が魔族たちに命令を出しているからだ。人族はウィンキアの安寧を乱しているから排除せよとね。1万年ほど前に出した命令だけど、今ではその命令が魔族たちの頭の中に染み付いている。その命令を撤回するには余程の理由が必要なんだよ。例えば、君が考え直して僕の正式な妻になるとかね」
ウィンキアソウルは結婚のことをまだ諦めていないのだろうか。それはともかく、オレはまだ自分の要望を話していない。ウィンキアソウルに頼みたいことは別にあるのだ。交渉はここからが本番だ。
※ 現在のケイの魔力〈1317〉。
※ 現在のユウの魔力〈1317〉。
※ 現在のコタローの魔力〈1317〉。




