SGS306 ラーフラン市街戦その3
―――― ジェドル(ラーフラン王都防衛隊の分隊長) ――――
あの女魔闘士を捜していると、近くから声が上がった。
「リル、リル。気が付いたのか?」
見ると、亭主の呼び掛けにリルが目を開けていた。地面に横たわったままだ。
「あたし、どうしたの?」
「覚えてないのか? おまえは魔獣ムカデに食い殺されそうになったんだ。そのとき、白仮面の魔女様が現れて、おまえを助けてくださった」
「あっ!」
思い出したのか、リルは声を上げた。
「ミリィは? ミリィは無事なの?」
「ああ、ほら、ここにいるよ」
亭主が幼子を差し出すと、信じられないようなことが目の前で起きた。死にかけていたはずのリルがすくっと起き上がって、子供を抱き寄せたのだ。
「ミリィ……、良かった……。あなたが無事で……」
リルは泣きながら子供に頬ずりをしている。
「リル、おまえ……、体は大丈夫なのか? ムカデの牙に挟まれて、死にそうになってたけど……」
「えっ!?」
リルは慌てて子供を抱えたまま自分の体を調べ始めた。
「どこも痛くないし、何ともないみたい……。体はちょっとふらつくけど……」
あれほどの血を流していたのに、何ともないだと? そんな馬鹿な……。
「奇跡だ……。きっとあの白仮面の魔女様が治してくださったんだ。ああ、神様、ありがとうございます」
亭主は祈るような動作で、あの女魔闘士から渡された熊のぬいぐるみを顔の前に押しいただいた。
それにしてもあの女魔闘士が? あのときそんな時間は無かったはずだ。もしそうだとしても、こんなに早く治るはずがないのだ。
あり得ないことが目の前で起きている。さっきからずっと……。
親子の様子を見ていた住人たちや兵士たちも声を上げ始めた。
「白仮面の魔女様が我らを助けてくださった」
「わしも脚に酷い傷を負ったが、いつの間にか治り始めておるぞ」
「おれも死なずに済んだよ。あの魔女様が魔獣を倒してくれたおかげだ」
そう言えば、おれの左腕の傷も痛みが消えていた。見ると、傷口が完全に塞がっている。傷付いた大勢の人間をいつの間にか治しているってことか……。
奇跡……。さっきリルの亭主が言った言葉がおれの頭に浮かんできた。
それにしても、あの女魔闘士はいったいどこに行ってしまったんだろう。
『そこの兵士たち。この建物の中に入って来て』
突然、声が聞こえた。いや、頭の中で聞こえただけのようだ。これは念話か?
『あ、この建物とか言っても分からないよね。すぐ近くの酒場だよ。わたしはその2階にいる。ほらっ』
「分隊長、あそこよっ!」
ドーラが上を指差している。その方向を見ると、あの女魔闘士がいた。大通りに面した建物の2階だ。窓から上半身を出して、こちらに手を振っている。
「あの酒場には魔獣猿が入り込んでいたはずよ」
ドーラが言った酒場というのは女魔闘士がいる建物のことだ。さっきの念話はドーラやほかの部下たちにも聞こえたらしい。
「よし。中に入るぞ」
部下たちに声を掛けて、酒場の中に入った。
真っ先に目に飛び込んできたのは魔獣猿の姿だ。酒場の床にうつ伏せになって転がっている。息はしているようだ。近くには大きな酒樽が何個か転がっているから、もしかすると酔っぱらって眠っているのか?
酒場の床に置かれていたはずのテーブルや椅子は隅の方に滅茶苦茶になって散乱していた。この猿の仕業だろう。
『この中に指揮官はいる?』
階段を下りながら女魔闘士が呼び掛けてきた。
「おれだ。いや……、自分ですが、何かご用ですか?」
この女魔闘士は只者ではなさそうだ。いつもの口調じゃマズイだろう。
『やっぱりそうだね。さっきムカデと戦ってたときに、わたしに忠告をくれた人だよね。ここにいる兵士たちはあなたの部下?』
「はい。ここにいる者たちは分隊の隊員たちで、自分はその分隊長です」
『ちょうど良かった。あなたとあなたの部下たちなら安心して任せることができそうだ。頼みたいことがあるんだ』
「頼みたいこと……、と言うと何を?」
なぜか分からないが、この女魔闘士の頼みなら何でも喜んで受け入れたい気持ちになっていた。
『ナリム王子への伝言を頼みたい。その伝言で大勢の人たちを助けることができると思う。あなたはナリム王子を知ってる?』
このラーフランでナリム王子の名前を知らない兵士はいないだろう。2か月ほど前にナリム王子のウワサが一気に広がったからだ。ナリム王子は王様の隠し子で、マインツ子爵が育てたと聞いている。今では立派な魔闘士になっていて、王様もナリム王子を王族としてお認めになったそうだ。
「もちろん知ってますが、今どこにおられるのかは分かりません」
『マインツ子爵の邸宅を知ってる? そこにナリム王子がいるはずだから』
「マインツ子爵様の邸宅ならば分かります。それで、何を伝言するのですか? その伝言で大勢の人たちが助かると言われましたが?」
『まず、ナリム王子は絶対にお城へ向かわないこと。魔獣たちはお城にいる王族や高官たちを狙っているおそれがあるからね。王都に入り込んだ魔獣たちはわたしが何とかするって伝えて。それと、魔獣が破壊した建物の中に大勢の人たちが閉じ込められていると思うから、その人たちをナリム王子とその仲間たちで救い出して治療するよう伝えてほしい』
女魔闘士が言った言葉をおれは何度か復唱して間違いが無いことを確かめた。
「ナリム王子様を捜して伝えますが、あなた様のお名前は?」
『名前は……、ここでは名前は言えないけど、闇国の魔女と言えばナリム王子に分かってもらえると思う』
闇国だと!? 途轍もなく恐ろしい場所だ。この闇国の魔女様がそんな場所に住んでいるとすれば、あれほどの魔力やスキルがあっても不思議ではない。
『それと、これは伝言ではなくて、あなたたちへのお願いなんだけど……』
「何でしょうか?」
『できればあなたたちにも閉じ込められた人たちの救出を手伝ってもらいたいんだ。どうかな?』
「もちろん喜んでお手伝いします。と言うか、住民たちの救出は我々の仕事ですから、我々も一緒に救出作業をさせてください」
『引き受けてもらえて良かった。それで聞きたいんだけど、崩れた建物の中に閉じ込められた人を捜して救い出すには、探知の魔法と念力の魔法が使えた方がいいよね?』
「はい。ですがこの分隊にはそんな高度な魔法を使える者はおりません」
『うん、分かってる。だから、あなたをロードナイトにするから』
「えっ!?」
『ここにいる魔獣猿はマヒの魔法を掛けて眠らせてる。あなたがラストアタックを取るんだ。そうすればロードナイトになれるからね。それと2階にももう一頭いて、同じ状態にしてる。あなたの部下の一人をロードナイトにできるよ。それで、どうする?』
もちろん断るはずがない。これを逃したら自分がロードナイトになれるような機会は二度と来ないだろう。
おれは闇国の魔女様に手伝ってもらいながら魔獣猿を殺した。目を狙って槍を突き立てただけだ。猿は体がマヒしていて動かないから何の問題もなかった。その場ですぐに魔獣猿のソウルをオーブに格納して、おれは魔力〈100〉のロードナイトになった。
もう一人を選べと言われて、おれは副長のドーラを指名した。ほかの隊員たちは残念そうな顔をしていたが、口に出して文句を言うヤツはいなかった。こうしておれとドーラはロードナイトになったのだ。
『それから、これは重要なことだけど、傷付いている人たちは家の中に入れずに、大通りや広場の視界の通る場所に寝かせておいてほしいんだ。わたしが後で広域キュアで治療するから』
「広域キュア……、ですか? 聞いたことがない魔法ですが……」
『1回のキュアで大勢を治療できる魔法だよ』
「先ほど、自分や周りの者たちの怪我がいつの間にか治り始めていて、不思議に思っておりました。あれは魔女様が広域キュアで治療をしてくださったのですか?」
『うん。でもね、広域キュアで治療できるのはわたしから見えている人たちだけなんだ。だから怪我人は大通りや広場の中の目立つ場所に寝かせておいてほしい。それも安全なところにね』
「分かりました」
『わたしは今から生き残っている魔獣たちを退治してくる。広域キュアでの治療はその後になるからね。じゃあ、ナリム王子への伝言と怪我人たちの救出をよろしく』
そう言うと闇国の魔女様は酒場から外へ飛び出していった。
おれはすぐに部下たちに命じて活動を始めた。部下の二人を選んでナリム王子へ伝言を届けに行かせた。おれを含めて残った隊員たちは怪我人の救出作業だ。
酒場から出て、あらためて魔獣たちが通り過ぎた大通りを見た。さっきまでは必死で魔獣と戦っていて気付かなかったが、大通りは無残な状況になっていた。崩れた屋根や壁に埋まっている者たちを早く救い出さねばならない。
探知の呪文を唱えると、埋まったり閉じ込められたりしている者があちこちにいることが分かった。崩れた屋根や壁を取り除かなきゃいけないが、念力の魔法を使えるのはおれとドーラだけだ。手分けして作業に取り掛かるとしよう。
闇国の魔女様が早く戻って来てくれれば良いのだが……。
※ 現在のケイの魔力〈1312〉。
※ 現在のユウの魔力〈1312〉。
※ 現在のコタローの魔力〈1312〉。




