SGS287 召喚の準備をきっちり行う
――――――― ケイ ―――――――
迎えに来たと言うと、マサシさんの表情がぱっと明るくなった。だけど、オレのことを死神とか言ってるが、どういうことだろ?
「死神と言われたのは初めてだけど、わたしは神様でも死神でもありません」
「冥土からのお迎えでは?」
「違います!」
強く否定し過ぎたからか、マサシさんは萎んだように落胆した表情になった。
「どうして、そんなにがっかりするんですか?」
「それは……。あの世で妻に会えると思ったから……」
「あの世って、死んだ後に行く世界のことでしょ? それが違うんです。たしかに奥さんとは会えるようにします。そのためにわたしが迎えに来たのですから。でも行くのはあの世じゃなくてウィンキアです。異世界ですよ」
「えっ!? 異世界……?」
マサシさんに対しては神社で出会ったときから魅了の魔法を掛けていた。だからオレの話を素直に受け入れてくれ易いが、さすがに“異世界”という言葉には違和感を覚えたようだ。
言葉だけでは信じてくれないだろう。オレはそう予想していたので、事前に動画を用意していた。コトミさんの動画だ。この動画はマサシさんを捜しにくる前にダイルのところへワープして、スマホで撮影したものだ。動画の中ではコトミさんが自分自身の状況やマサシさんへの思いを心を籠めて語ってくれていた。
マサシさんはその動画を見た後、しばらくの間、声を押し殺して泣いていた。その様子を見ていると、こっちまでが貰い泣きをしてしまいそうだ。
「ありがとう……、ありがとうございます。コトミが異世界で本当に生きていて、また会うことができるだなんて……。あなたには何てお礼を言ったらいいのか……」
マサシさんは深々と頭を下げた。ようやくオレの言葉を信じてくれたようだ。
その後はウィンキアの世界のことや、オレが召喚魔法を使ってマサシさんとマルを呼び寄せること、マサシさんたちがウィンキアで安心して暮らせるようにオレと仲間たちで精一杯支援することなどを説明した。
オレ自身のことや仲間たちのことも簡単に紹介しておいた。
「どうしますか? 今お話ししたとおり、いったんウィンキアへ行ってしまったら、こちらの世界には戻れません。無理強いはしませんけど……」
「ケイさん、どうか僕を妻のところへ連れて行ってください。こっちの世界へ戻って来れなくてもかまわないから。妻やマルと一緒に暮らせるのなら、どれほど嬉しいか……」
ウィンキアにマサシさんを呼び寄せるとしても相当の時間が掛かるだろう。オレもダイルもそう考えていた。バスの乗客が突然に姿を消してしまったような、あんな不自然な失踪は大きな騒ぎになるだろうし、多方面に迷惑を掛けることになる。だから、召喚する前に時間を掛けて準備をしっかり行って、騒ぎにならないようにするつもりだった。
しかし、今のマサシさんはほとんど準備なしにウィンキアへ行ける状態になっていた。病気で死が迫っていて、本人がこの世から旅立つ準備を終えていたからだ。
部屋には少量の荷物や生活道具が残っていたから、オレの異空間倉庫の中にすべて保管しておくことにした。
「荷物はわたしが預かっておいて、ウィンキアでマサシさんたちの住む場所が決まったら、そのときに荷物は返しますね」
オレの言葉にマサシさんは頷いていたが、目の前の荷物が次々と消え始めると目を丸くした。
………………
部屋の中はほぼ空っぽになった。マサシさんが使っているノートパソコンと小さなテーブル、それとマルが包まっている毛布が残されてるだけだ。
マサシさんはマンションの鍵を管理人に返したり、予約していたホスピスをキャンセルしたりと、この世界から立ち去るための最終的な準備をしている。
マサシさんは部屋を出たり入ったりして忙しそうにしているが、オレは何もすることがなかった。マルを撫でながらマサシさんが最終準備を終えるのをぼーっと待っていると、ユウが高速思考で話しかけてきた。
『ねぇ、ケイ。マサシさんをウィンキアのどこへ召喚するつもりなの? ウィンキアで安心して暮らせる場所なんてないわよ?』
ユウが心配するのも尤もなことだ。
『さっきマサシさんにその話をしたときに、わたしと仲間たちで精一杯支援するって約束したからね。常に自分たちがマサシさんたち夫婦を見守れる場所って言うと、アーロ村か、ダールム共和国の家になると思うんだけど……』
アーロ村ならナムード村長や魔力の高い魔闘士たちが大勢いる。ダールムならガリード兵団がいつも家を守ってくれている。どちらの場所も万一の事態になれば村長かガリードが念話で連絡をくれるだろうから、オレがすぐにワープで助けに行ける。
『でも、ケイ。アーロ村は危険よ。ケイの存在にバーサット側は気付いているはずだから、アーロ村は真っ先に狙われるんじゃないかしら。ダールムの家だって安全とは言えないと思うけど……』
『そうだねぇ……』
たしかにユウの言うとおりだ。
『ねぇ、ケイ。マリエル王国のアレナ公爵にお願いしてみない? アレナ公爵とケイの関係はバーサット側には知られてないと思うし、あの公爵邸にはコトミさんの弟さんも住んでいるでしょ』
アレナ公爵はマリエル王国の筆頭貴族であり、オレやダイルの友人でもある。それに、コトミさんの弟のシゲルさんは恋人のサリーネさんと同棲していて、アレナ公爵邸の中にある別棟を借りて一緒に住んでいるはずだ。
『なるほどね。じゃあ、しばらくの間はマサシさんたちを預かってくれるようアレナ公爵にお願いしてみようか?』
『しばらくの間って?』
『うーん……。クドル3国の共同体が立ち上がれば、ダールムの家も今よりはずっと安全になると思うんだ。あの地域の警備を強化できると思うからね。そうなったら、あの敷地の中にマサシさんたちの家を建てたらどうかな?』
『と言うことは、まだ何年か先のことになるわね』
『うん……。ともかくアレナ公爵がマサシさん夫婦を預かってくれるかどうか分からないから、今から行って公爵にお願いしてみよう』
オレはマサシさんに断って、マリエル王国へワープした。
………………
公爵邸を訪れると、アレナ公爵はサリーネさんやシゲルさんと一緒に昼食を食べているところだった。
一連の事情をすべて説明して、アレナ公爵にマサシさん夫婦を預かってほしいとお願いした。期間は数年間になるかもしれないことも付け加えた。
前に会ったときは自分が神族と同じ能力を持っていることは隠しておいたが、もうその必要はない。アレナ公爵たちは十分に信用できると分かったからだ。
「ケイさん、あんたが神族だったとはねぇ……」
アレナ公爵は口を開くと豪気で嫌味な頑固ババアだが、本当は心優しい女性だ。
「黙っていてすみませんでした」
「いや、相手が信用できると分かるまでは内緒にしておくのは当然じゃ。それにしても、神族様とその使徒様が結婚しておるとは思いもよらなんだ。お、こりゃご本人の前で失言じゃったな」
そう言われて思い出したが、アレナ公爵たちと初めて会ったときにダイルがオレのことを自分の妻だと紹介していた。今さらそれを否定したら話がややこしくなるだろう。どうしよう……。
「ほぉー。神族様でも顔が赤くなるのじゃな」
アレナ公爵はオレをからかっているのではなさそうだ。本当に自分でも分かるほど顔が火照っている感じだ。
ここは無理やりにでも話題を戻そう。
「ええと、コトミさんとご主人のマサシさんを預かっていただく件ですけど……」
話を本題に戻すと、そばに座っていたシゲルさんが声を上げた。
「公爵、私の方からもお願いします」
シゲルさんは頭を下げていて、その隣のサリーネさんも訴えるような目でアレナ公爵を見つめている。
「もちろんお引き受けするよ。あたしに任せなさい。見てのとおりこの屋敷は広いし、客間も多い。マサシさん夫婦の部屋を用意するし、ケイさん、あんたやダイルさんたちの部屋も用意しよう。数年間と言わず自分の家だと思ってここで暮らせばよい」
「公爵、ありがとうございます」
オレは礼を言って頭を下げた。
「礼を言うのはこちらの方じゃ。神族様とこれだけ仲良くしてもらえるのじゃからな」
アレナ公爵はにんまりと微笑んだ。何かあったときは、オレたちの援助が期待できると喜んでいる顔だ。当然、オレもそのつもりだから頷いて微笑み返した。
………………
ワープでマサシさんの部屋に戻ったが、部屋の中にいたのはマルだけだった。マサシさんは外出しているようだ。床の上にメモが置いてあった。
『買い物や銀行へ行ってくるので、待っていてください』
おそらくウィンキアへ持って行きたい物があるのだろう。
マルと遊びながら2時間ほど待っていると、マサシさんが大きな箱を抱えて帰ってきた。背中にはリュックサックを背負っているし、コンビニの袋まで指に引っかけている。
「遅くなってごめん。昼メシ、まだ食べてないだろう? これ、買ってきたから」
袋にはサンドイッチや飲み物が入っていた。本当はアレナ公爵のところで食べてきたが、せっかく買って来てくれたのだからサンドイッチに手を出した。
「あっちの世界でもパソコンを使える環境を用意すると約束してくれたからね。それで、バックアップ用のパソコンもあった方がいいかなと思ってね」
マサシさんはモグモグとサンドイッチを頬張りながら箱の中身のことを説明してくれた。
さっき約束したことをマサシさんから言われて思い出した。ウィンキアへ行ってもパソコンを使いたいとマサシさんが言い出して、その環境を用意すると約束してしまったのだ。
その約束をしたのは異世界へ行くかどうかマサシさんの気持ちを確かめたときのことだ。ウィンキアでパソコンは使えるかとマサシさんから尋ねられた。ウィンキアではパソコンどころか電気もないが、その代わりに魔力がある。科学技術は発達していないが、その代りに魔法を使える。時代的なイメージは中世のヨーロッパなような感じだと説明しておいた。
だが、パソコンが使えないのは困るとマサシさんは言った。その理由を尋ねると、趣味でパソコンを使って小説を書いていて、それをウィンキアへ行っても続けたいと言うのだ。
「でも、ウィンキアで小説を書いても、誰も読む人がいないですよ?」
「いや、僕が書いた小説は、ケイさん、あなたがこっちの世界に来たときに投稿してほしいんだ。そういうサイトがネット上にあるからね」
ほんのちょっと前までは死を覚悟して「あの世で妻に会いたい」とか言ってたのに、元気になった途端にこれだ。
でも、仕方ないからオレは約束した。パソコンが使えるように電源なんかの環境を用意するし、書いている小説はマサシさんの代わりに投稿するから安心してほしいと。
電源は大魔石を使うことになる。魔力変換器を使えば安定した100Vを供給できることはアーロ村で実践済みだ。そのセットアップや小説の投稿は全部ミサキ(コタロー)に押し付けるつもりだから問題ない。
そういう経緯があって、マサシさんはバックアップ用のパソコンを買ってきたらしい。言ってくれれば、こちらで用意したのに。
「それと、銀行で預金を全額を引き下ろしてきたよ。このお金って、両替できるかな? 異世界のお金と……」
見るとリュックサックの中に100万円の札束が無造作に放り込まれていた。数十個はありそうだ。
「すごいお金ですねぇ」
「1年前に家を売ったときのお金さ。僕の両親が残してくれた家だったけど、自分の治療費を払うために仕方なく売ったんだ。銀行へ行ったら口座にまだこれだけ残っていたから、あっちの世界での生活資金にしようと思ってね」
「ウィンキアでマサシさんたちが生活する資金や住居なんかは全部こちらで用意するから大丈夫ですよ」
アレナ公爵やサリーネさんのことを説明し、しばらくの間はマサシさん夫婦を公爵が預かってくれることになっていると話した。義弟のシゲルさんも公爵の世話になっていて公爵邸の中で住んでいると説明すると、マサシさんは安心したようだ。
「わたしの家がダールムという街にあって、敷地がけっこう広いんです。その敷地の中にマサシさんたちに住んでもらう家を建てようと思ってます。家が完成したら、ダールムの街にお呼びしますね」
「いいのかなぁ、そこまでしてもらって……。いくらなんでもずっと生活の面倒を見てもらうのは気が引けるよ。向こうの世界に行って、何か僕たちにできることがあったら遠慮なく言ってほしい。それと、やっぱりこのお金は両替してくれないかな? 何かあったときにお金があった方が安心だからね」
「分かりました。そのお金は両替しておきますね。ええと、ウィンキアではソウルオーブという宝玉が1個で200万円くらい、大金貨1枚が20万円くらいですから……」
バッグの中のお金に相当するソウルオーブと大金貨を渡すと、マサシさんはソウルオーブの1個を手にとってしげしげと眺めた。
「このパチンコ玉のようなものが1個で200万円もするとはねぇ……」
ウィンキアのことを何も知らないのだから、マサシさんがソウルオーブの価値を理解できないのも仕方ない。
※ 現在のケイの魔力〈1306〉。
※ 現在のユウの魔力〈1306〉。
※ 現在のコタローの魔力〈1306〉。




