SGS285 ダイルの頼み事
魔乱の事件が一段落して、オレは家のテラスでお茶を飲んでいた。ようやくひと息ついてほっとしたところだったが、何だかそれどころじゃなさそうだ。ダイルから念話が入り、急いで頼みたいことがあると言ってきたからだ。
何が起きてるのかダイルに尋ねると、今の状況を掻い摘んで教えてくれた。
ダイルは今、シゲルさんのお姉さんを海賊の手から救出するためにドルドゴ群島のオラード島に潜入していた。
その事情をちょっと振り返っておこう。シゲルさんはお姉さんと一緒に日本からこの世界へ召喚されてきた人だ。オレと同じバスに乗っていて、ミレイ神が引き起こした悪行に巻き込まれたってことだ。シゲルさんのお姉さんはこっちの世界で暮らしていくためにマリエル王国で飲食店を営んでいたのだが、シゲルさんが旅に出ている間に行方不明になっていた。その行方がようやく分かったのだが、なんとその場所は海賊が支配しているドルドゴ群島のオラード島だったのだ。
群島と言っても、ドルドゴ群島があるのは海ではなく魔樹海の奥地だ。レングランからは北西に1500ギモラ以上離れたところにある。5つの独立峰が点々と魔樹海から頭を出していて、それが海に浮かぶ島々のように見えるので群島と呼ばれている。
ドルドゴ群島のオラード島は海賊ドルドガンの本拠地がある場所で、一万人もの人族が暮らしている街があるらしい。その海賊の街にダイルはこっそりと忍び込んで、シゲルさんのお姉さんと会っているところだそうだ。
お姉さんの名前はコトミ。3年前にマリエル王国から拉致されてオラード島まで連れて行かれた。海賊に捕らえられていたと聞いて、危険な状況の中で辛い思いをしているに違いないとオレは心配していた。
だがダイルから話を聞くと、そうではないことが分かった。海賊のボスに頼まれて3年前からその街で飲食店を開いているそうだ。異国風の料理が美味いと海賊たちの評判になっているらしい。どうやら海賊たちの街で平穏に暮らしているようだ。
ダイルはコトミさんと会って、シゲルさんが待つマリエル王国へ一緒に戻ろうと誘った。しかし意外なことに、コトミさんはその誘いを断ったそうだ。ダイルは何度も一緒に戻ることを勧めたが、海賊の街に留まるというコトミさんの意志は固かった。
コトミさんが頑なにダイルの誘いを拒んだのには理由があった。3年前に自分を拉致してオラード島まで連れてきた海賊のボスとコトミさんは一つの約束をしていた。その約束とはコトミさんが海賊の街で飲食店を開いて5年間美味しい料理を海賊たちに提供すれば、コトミさんの夫を異世界から呼び寄せて海賊の街で一緒に暮らせるようにするということだった。コトミさんにとって夫と再び一緒に暮らすことは、弟のもとへ戻ることよりも大切なことなのだろう。
それにしても不可解なことがある。どうやって海賊のボスがコトミさんの夫を日本から呼び寄せるのだろうか? もしかするとそのボスは異世界の人間を召喚できるようなアーティファクトを持っているのだろうか?
オレはそれが気になってダイルに尋ねたが、説明すると話が長くなるそうだ。今は時間が無いから後で話すと言ってダイルはその説明を省略してしまった。
ともかく今の店をあと2年間続ければ夫を呼び寄せてもらえて、再び夫婦で一緒に暮らせるようになるとコトミさんは信じ切っているらしい。
ダイルの説明を聞いてコトミさんの今の大凡の状況は分かったし、ダイルが急いで頼みたいと言ってきた内容も想像がついた。
『ダイルの頼みって、コトミさんのご主人を召喚してほしいってこと?』
『そのとおりだ。よく分かったな?』
『そりゃ分かるよ。日本からウィンキアに人間を呼び寄せる方法で、思い付くのは召喚魔法くらいだからね』
召喚魔法を使えるのは神族だけだ。今まで使ったことはないが、オレもこの魔法を使えるはずだ。だからと言って、むやみに使ってよい魔法ではない。この魔法は一方通行の魔法だ。人間をウィンキアに呼び寄せることはできるが、帰すことができない。一旦呼び寄せたら、その後は一生涯ウィンキアに留まることになるのだ。言ってみれば、召喚された人の人生を変えてしまう魔法だ。だから……。
『断っておくけど、魔法で今すぐにコトミさんのご主人を召喚しろというのは無茶だよ』
『ああ、分かってる。身勝手なミレイ神に突然に召喚されて、苦労したのは優羽奈や俺だからな』
苦労したのはオレも同じなんだけど……。ちょっと寂しい気がした。今さらだが、ダイルに本当のことを話せないのが辛い。
『とにかく、コトミさんのご主人を召喚するのなら、前もってご主人にそのことを話して了解を得ないとね』
『ああ、そのとおりだ。コトミさんのご主人にだって都合があるだろうし、日本に二度と帰れないと知ったら、準備をしたいことも色々あるだろうからな』
『じゃあ、急ぎの頼みって……』
『うん。コトミさんのご主人に会って事情を説明してほしいんだ。ご主人の気持ちを確かめて、ウィンキアのコトミさんのところに来る気があるか聞いてくれ。ご主人にその気があるなら、ケイの魔法で召喚してほしい。これはおまえにしかできないことだ。頼めるか?』
『うん、分かった。任せて……』
コトミさんを日本に連れ戻すことはできないけれど、ご主人がウィンキアに行くことを受け入れてくれるなら、この夫婦がまた一緒に暮らせるようにできる。たしかにそれはオレにしかできないことだ。
だけど正直なことを言えば、面倒なことを引き受けてしまったというのが本音だ。魔乱の騒動が終わったばかりだし、ラーフ神の夫人たちを調略する予定日が間近に迫っている。だから余計なことには手を出したくない。今はクドル3国共同体の実現に向けて集中したい。それが正直な気持ちだった。
消極的な気持ちのまま事に当たっても上手く行かないことは分かっているのだが……。
オレがそんなことを考えていて、少しだけ会話が途絶えた。
『実はな、もう一つ大事な話があるんだ。突拍子もないことなんだが……』
オレが乗り気でないことにダイルが気付いたとは思えないが、ダイルは何かオレに気を使うような感じでまた話を始めた。
『日本からこっちの世界へ召喚されて来て行方不明になっている者たちのことだ。コトミさんから聞いた話なんだが……』
ダイルが語ってくれたのはオレの消極的な気持ちを吹き飛ばすほどの驚くべき話だった。
あのバスに乗っていて召喚されてきた人たちは3年前まではマリエル王国で暮らしていたことが分かっていた。ところがコトミさんが行方不明になったのと同時期にその全員が行方不明になっていて、オレたちはその行方を捜していた。
コトミさんに会えば日本から召喚されて行方不明になっている人たちのことが何か分かるだろうと期待していたのだが、ダイルがコトミさんから聞いた話はオレの想像を超えた内容だった。
謎の組織が召喚されてきた異世界人たちを集めて、彼らの能力を利用しようとしているらしい。その組織は異世界人たちが無詠唱で魔法を使うことができると知っていて、神族をも凌ぐような超人に育て上げようとしていると言うのだ。
『何のためにそんなことを?』
『俺もそれを聞いて驚いたんだが、悪魔たちがこの世界を滅ぼそうとしていて、その組織は異世界人の力を借りて悪魔たちを退治しようとしているそうだ。そのために異世界人を組織の一員に加えて、超人に育て上げようとしているらしい』
『ええっ!? 異世界人を利用して悪魔退治をしようとしてるってこと?』
『ああ、その話が本当かどうかは分からないけどな。コトミさんの話では、3年前にその組織がマリエル王国で異世界人を集めて説明会を開いたそうだ。コトミさんもその集会に参加して、今話したような説明を受けて組織へ加わるよう勧誘されたらしい。召喚されてきた人たちはその話を信じて全員が組織の勧誘に応じたそうだ』
『それで、召喚されてきた人たちはその組織のところへ行ってしまったということ? でも、コトミさんは……』
『コトミさんも誘いを受けて一緒に行きたかったらしいが、弟のシゲルさんを残しては行けなかったそうだ。シゲルさんは旅に出ていたからな。その説明会の数週間後にコトミさんは海賊に拉致されてしまったから、結果的にはシゲルさんと会えないまま離れ離れになってしまったんだけどな』
『つまり、3年前の同じ時期にコトミさんも召喚されてきた人たちも行方不明になっていたけど、それは偶然に時期が重なったということ?』
『さぁ、分からない。偶然かもしれないが、その組織と海賊が繋がっている可能性もあるからな』
そのとき、高速思考でコタローが念話に割り込んできた。ダイルには聞こえていない。
『ケイ、さっきの会話でダイルがちょっと気になることを言ってたぞう』
『気になるって、いったい何が?』
『悪魔たちがこの世界を滅ぼそうとしているとダイルが言ってたけどにゃ、このウィンキアには悪魔というのは存在しないのだわん。魔族の一種でデーモンやサキュバスはいるけどにゃ』
『ダイルに聞いてみよう』
高速思考を解除して、それを尋ねてみた。
『悪魔というのが何なのかは俺にも分からない。おまえが言うようにデーモンやサキュバスのことかもしれないが……。それに、悪魔がこの世界を滅ぼそうとしているという話が本当かどうかも分からないし、異世界人を集めている組織が何なのかも分からない。分からないことだらけなんだ』
『まずは、その組織を調べることから始めるしかないね』
『ああ、そのとおりだ。その手掛かりはマリエル王国のどこかにある屋敷だ。その組織が3年前に異世界人たちを集めて説明会を開いたところだ。その屋敷を探し出せば、組織のことが何か分かるかもしれない』
『それなら、その場所をコトミさんに聞けば?』
『それが、コトミさんもその屋敷がどこにあるのか分からないそうだ。窓が塞がれた馬車に乗せられて、その屋敷まで連れて行かれたらしいんだ。だけど、屋敷の中に入れば分かると言ってる』
『つまり、その屋敷を探し出すにはコトミさんにマリエル王国まで行ってもらって、一緒に探すしかないってこと?』
『そういうことだ。その組織が味方か敵かは分からないが、この3年間ずっと異世界人たちを育て続けているとすれば恐ろしいほどの戦力になっているはずだ』
たしかにダイルの言うとおりだ。日本から召喚されてきた人たちの大半がその組織に勧誘されたと思われる。おそらくその人数は二十人から三十人くらいだろう。その全員が戦いを行う魔闘士になるとは思えないが、もし敵対することになれば最大級の脅威になることは間違いない。
『敵対したくないね』
『ああ、戦力も怖いが、同じ日本人だからな。とにかく急いで謎の組織のことを調べないとマズイことになる。それも、コトミさんをマリエル王国に連れて帰れるかどうかにかかっているんだ』
『分かった。コトミさんのご主人が召喚に応じるかどうか分からないけど、とにかくその件は今すぐに取り掛かるから。詳しい情報を教えてもらえる?』
気乗りがしないとか言ってる場合じゃない。
『ご主人の名前はスズカワマサシで37歳。漢字で書くと……』
すぐにコトミさんのご主人に会いにいくことにした。名前は鈴川将史だ。
※ 現在のケイの魔力〈1306〉。
※ 現在のユウの魔力〈1306〉。
※ 現在のコタローの魔力〈1306〉。




