SGS250 愛する者を亡くした悲しみは……
部屋の中に入ると、デーリアさんが遺体に縋って嗚咽していた。マメルはそのそばに立っていて、為す術もなくデーリアさんを眺めている。
「こんな無慈悲な仕打ち……、許せねぇ……」
マメルの呟きが聞こえた。その言葉に一瞬ドキッとしたが、デーリアさんが泣きながら何かをご主人の亡骸に語り掛けているのに気が付いて、オレはその声に耳を澄ませた。
「あなた……。ごめんなさい……。あたしと結婚したせいで……」
デーリアさんの声は途切れがちだ。
遺体に縋って泣いている姿を見ていると、不意にあのときの記憶が蘇ってきた。それが目の前の情景と重なる……。
病室。西日を遮るカーテン。ベッドで横たわるオレの妻……。美咲……。
その美咲の手を取って、オレのお袋が泣きながら何か呼び掛けている。
そばにはオレの親父が立っていて、呆然とした表情で美咲を眺めていた。
美咲は目を閉じていた。朝、オレを見送ってくれたときと同じで綺麗な顔だ。
病室に入ったときに目に飛び込んできた情景がそれだった。
「ご主人ですか?」
医者の問い掛けにオレが頷く。
「残念ですが、先ほど息を引き取られました……」
その言葉は聞こえたが、言ってることが理解できなかった。
何も考えられず、窓からの風に小さく揺れるカーテンをただ眺めていた。
あのときの情景が目の前のデーリアさんの姿と重なって、いつの間にか溢れた涙が頬を伝っていく。
ここにも愛する人との突然の別れがあった。
思ってもみなかった理不尽な別れ。そして、言葉にできないような深い悲しみ。
美咲は車に撥ねられて救急搬送された。買い物帰りの横断歩道。そこに信号無視の車が突っ込んできた。運転していたのは無免許の若い男だった。
オレは会社で仕事中だったが電話で呼び出された。信じられない思いのまま病院へ急いだ。先に駆け付けていたオレの両親が美咲の最期を看取ってくれた。
『ケイ……。どうして泣いてるの?』
ユウからの念話で記憶の世界から引き戻された。ユウが不思議に思うのは無理もない。
『デーリアさんが悲しむのを見てたら、妻が死んだときのことを思い出して……』
ユウはオレの妻が交通事故で死んだことは知っている。以前に話したことがあるからだ。
『愛する人が突然に死んじゃうって、悲しいよね……。考えただけで泣きそうになっちゃう……』
『うん……』
『デーリアさん、泣きながら自分のことを責めてるみたいだけど……。わるいのはデーリアさんじゃないのに……』
『でも、その気持ちは分かるよ。あのとき自分がこうしていれば愛する人が死なずに済んだのにって……。そんなふうに考えてしまうんだよね』
『日本でもウィンキアでも同じね、愛する人を亡くしたときの悲しい気持ちは……』
『そうだね』
『こんな悲しい出来事なんか無くなってしまえばいいのに……』
『うん。でも、この世界は過酷で悲しい出来事だらけだからね。ウィンキアではどこへ行っても人族同士の戦いがずっと続いているし、魔物や魔族に襲われることも多いから』
『ウィンキアが過酷なことは分かってるつもりだったけど……。でも、実際に目の前で悲しんでる人を見ると辛いわね。自分たちは何もできないから……』
自分たちは何もできない……。
ユウが何気なく言ったその言葉が妙に頭に引っ掛かった。何か自分が考えなくちゃいけないことがある。
それは何だろう?
そう感じて考えようとしたときに部屋へ一人の男が入って来て、オレの思考は中断されてしまった。
「レアルド、生きてたのか?」
声を掛けたマメルが険しい表情で男を見つめた。
「それはこっちのセリフだ」
男の視線も殺気だっている。
この男が部屋に近付いて来ていたのは分かっていた。魔力が〈210〉の魔闘士だ。
ハンナから一連の話は聞いていた。このレアルドと呼ばれた男がデーリアさんのご主人を強引にこの戦場に放り込み、デーリアさんをこのダードラ要塞へ呼びつけたのだ。デーリアさんからご主人を奪い、死なせ、家族から幸せを奪い取った張本人だ。
レアルドは視線をデーリアさんに移した。
「亭主はオークに殺されちまったようだな。気の毒なことだ」
言葉とは裏腹にレアルドはニヤニヤしている。聞いていたとおりの嫌なヤツだ。
デーリアさんはその言葉が聞こえたのか聞こえてないのか、ご主人の亡骸に顔を埋めたまま声を殺して泣き続けている。
「こっちのお嬢さんは新顔だな。こりゃまた凄い美人だが……。マメル、どこから連れてきたんだ?」
遠慮なくジロジロとオレを見つめるレアルド。その視線に鳥肌が立ちそうだ。
マメルは顔をしかめたままで何も答えようとしない。その様子を見て、レアルドは「ちっ!」と舌打ちをして直接オレに話しかけてきた。
「お嬢さん、怖かったろうがもう大丈夫だ。オークたちはおれを恐れてここには近寄って来ない。おれがオークロードを退治したからな」
レアルドは何か勘違いしているようだ。たしかに、探知魔法で要塞の中を調べたとき、この男が複数のオークロードに追われながら戦っていたことは分かっていた。戦いの中で何頭かのオークロードを殺したのかもしれない。だが、それだけでオークたちがこの男を恐れることはないだろう。
どこの世界にも自分の都合が良いように考える者はいるらしい。
こんな男とは話したくもない。早く追い払おう。何て言い返そうか……。
そう考えていると、レアルドはオレからデーリアさんに視線を移して自慢げに言葉を続けた。
「おれがもう少し早くここに来ていればなぁ。そうすれば、デーリア、君の亭主は死なずに済んだんだ。残念だよ」
その言葉にデーリアさんは顔を上げた。泣き止んでいて、涙の痕はあるが美しい顔だ。だが今は憎しみの籠った目でレアルドを睨み付けている。
「あなたが……、あなたがラシルを殺したのよ! この……、人殺しっ!」
「何を言ってるんだ? 亭主が死んで頭がおかしくなったのか?」
「ラシルをあたしから奪って、無理やり兵士にしたのはレアルド、あなたよ! あなたがラシルをこんな要塞に配属したから、ラシルは殺されてしまったのよ!」
「それは言い掛かりだ。デーリア、君は亭主が死んだせいで動揺してるんだ。頼る者がいなくなって心細くなってしまったんだな。だけど心配するな。おれが君の面倒を見る。おれとずっと一緒に暮らそう。一生安楽な暮らしができるようにするから安心してくれ」
「なにを……、何を言ってるの? あたしからラシルを奪っておいて……」
そう呟きながらデーリアさんはワンピの裾を捲って何かを取り出した。短剣だ。護身用の短剣を隠し持っていたらしい。
「どうするつもりだ? それでおれを刺すつもりか?」
屈んだままデーリアさんが右手で構えているのはナイフほどの小さな短剣だ。先が鋭く尖っている。ウィンキアの女性の中には魔族に捕まったときに備えて自決用として短剣を携えている者がいると聞いたことがある。
「馬鹿なことをするな。強制徴募で君の亭主を無理やり捕らえさせたことは謝るからさ」
謝ると言いながらレアルドは相変わらず笑みを浮かべたままだ。
デーリアさんはそんなレアルドを睨み付けたまま目を離さない。短剣をレアルドに向けているが、短剣を握ったその右手は細かく震えていた。
「わるかったよ」
レアルドが茶化すように言った。
上辺だけの謝罪の言葉。にやにやしたその表情。以前にも、どこかでこんな場面があったっけ……。
そうだった……。あのとき……。
思い出したくない記憶。その情景がまた蘇ってきた。
あの事故から数日後。オレの家だ。そいつが母親に伴われて家を訪ねてきた。オレの妻を轢き殺した若い男。まだ中学3年だと言う。
そいつの母親が述べる謝罪の言葉をオレはぼんやりと聞いていた。その後、母親に促されて若い男が口を開いた。
「わるかったよ」
ひと言だけの謝罪。にやにやしたその表情。反省の気持ちなど微塵も感じられない。オレはその言葉と態度にかっとなった。
「なんだ、その言葉はっ! オレの妻を殺しておいて……。この野郎……」
オレが拳を振り上げて飛び掛かろうとしたところを隣にいた親父に取り押さえられた。自分でも何をしているのか訳が分からなくなっていた。
「おっさんよぉ、殴れるなら殴ってみろよ。言っておくけどよぅ、おれは子供だかんな」
その後のことは覚えていないが、にやにやと笑うその少年の表情だけが頭にこびり付いて今も離れない。
「あんたなんか、殺してやるっ!」
デーリアさんの叫び声で目の前の現実に引き戻された。
「デーリア、殺れるなら殺ってみろよ。言っておくが、おれは高位の魔闘士だからな」
にやにやと馬鹿にするようなその表情。
「デーリア、仇を取るならおれも加勢するぞ」
マメルの声だ。いつの間にか剣を抜いてレアルドに向けている。
「ふん、マメルよ。おまえに何ができる。その剣でおれのバリアを破壊できるのか?」
何の反省もしない男。あのときの少年と同じだ。にやにやと笑っているだけで、相手の悲しみを理解しないヤツ。
オレは男に向けて魔法を発動した。バリア破壊の魔法だ。
「パリン!」
その程度のバリアなど簡単に破れる。
「えっ!?」
レアルドがポカンとした顔になった。自分のバリアが一瞬で破壊されてしまったことが信じられないのだ。
「マメル、今だっ!」
オレの言葉にマメルが剣を振りかざして飛び込んだ。
※ 現在のケイの魔力〈1201〉。
※ 現在のユウの魔力〈1201〉。
※ 現在のコタローの魔力〈1201〉。




