SGS241 ダードラ要塞に入る
―――― フィルナ(前エピソードからの続き) ――――
馬車に3日間揺られて、ようやくダードラ要塞が近付いてきた。
昨日の昼過ぎまでは畑の中の道を進んでいたし、通り過ぎた村々では農作業をしている大人たちや遊んでいる子供たちの姿も見えていた。だが、いつの間にか畑は無くなり、周りは一面に広がる草原や遠くに見える森だけになった。
時々、草原の中に痩せた畑や小さな村が見えたが、あれは開拓村だとマメルが教えてくれた。馬車は荒れ地の中の乾いた道をゴトゴトと進んでいくだけで、人影を見ることは無かった。
何度か魔物の姿を見掛けたが、私が威圧魔法を発動すると驚いて逃げていった。
今日で王都を出発して3日目だ。夕方の4時ころになって、ようやく遠くの丘の上に城壁が見えてきた。
「あれがダードラ要塞だ」
御者台で馬を操っているマメルが指差すと、隣に座っていたデーリアが不安そうな顔で頷いた。要塞で自分を待っているはずの夫のことや、レアルドの企みのことが気に掛かるのだろう。
私たちがデーリアに会ったのは3日前の朝だった。マメルがデーリアの店まで案内してくれて、私たちのことを自分の友人で全員が魔闘士だと紹介した。
事前に聞いていたが、デーリアは本当に美しい女性だった。たしかに少し顔色が良くないが、それは心配事が多いせいだろう。マメルがずっとこの女性のことを慕い続けてきたのも頷ける。
マメルはデーリアに私たちを紹介した後、私とエマがダードラ要塞に同行することと、ハンナ姉が無料で赤ちゃんを預かって店番も引き受けることを説明した。
デーリアはその話を聞いてすごく喜んでくれた。やはり自分の子供を辺境の要塞まで連れていくことを心配していたようだ。
この3日間の馬車の旅でデーリアと私たちは昔からの友人のように仲良くなっていた。
要塞が近くなってくると、この丘が軍事的な重要拠点であることがよく分かった。要塞が築かれているのは高さが50モラほどの低い丘の上だが、周りはどこまでも平原が続いていて、この丘が最高の見晴らし台になっていたからだ。
丘の上までは麓から緩やかな傾斜になっていて、丘全体が芝地だった。所どころに小さな白い花が群生していて、お花畑のようになっている。見晴らしが良いから要塞に近付く者は容易く発見されてしまうだろう。
この丘の上に高さ10モラくらいの城壁で囲まれた要塞が築かれていた。城壁の内側には城と言ってもいいくらいの立派な建物が見えている。
さらに、要塞からは左右に高さ5モラほどの防壁が平原の中をどこまでも果てしなく伸びていた。マメルの話ではフォレスランの支配地域に沿ってあの防壁が延々と築かれているそうだ。つまり、あの防壁が事実上の国境ということだ。
「あの防壁があれば、魔物は簡単にはこちら側に入って来れないわね」
「魔物だけじゃないぞ。メリセランや魔族の軍勢もフォレスラン側に入って来れないのさ。大軍が防壁を越えるのには時間が掛かるだろ。防壁を越える前にフォレスランの巡視隊に見つかって反撃を食らうからな」
たしかに大軍であの防壁を越えるのは難しそうだ。
丘の道を馬車が登り始めると、またマメルが説明をしてくれた。丘のこちら側はなだらかな斜面になっていて道が城門まで続いているが、丘の反対側は深く切れ落ちているそうだ。さらに切れ落ちた場所にはダードラ池と呼ばれている深い池があって、敵の接近を阻んでいるらしい。
「だからな、メリセラン軍や魔族がこの要塞に攻め寄せて来ても、要塞を攻略するのはまず不可能なんだ」
自慢げにマメルが語った。
馬車が坂を登り終えて要塞の城門に近付くと、兵士たちが走り出てきた。用件を言って、自分たちの身分証を示した。私とマメル、エマはダールム共和国の身分証を持っているから問題ない。マメルとエマの身分証はガリードが手配してくれたものだ。私たち三人はデーリアの護衛だと説明して、なんとか要塞に入ることを許された。
すぐに病室へ案内されると思っていたが、それは甘かった。数人の兵士に前後を挟まれて要塞の中の暗い通路を進んだ。突き当たりの部屋に入ると、ここで待つように言われた。テーブルと椅子があるだけのガランとした部屋だ。
30分ほど待っていると、ドアが開いて男が部屋に入ってきた。引き締まった顔付きをしていて、軍服がよく似合っている。地位が高い軍人のようだが、年寄りではない。年齢は35歳くらいだろう。
「レアルド……」
隣で座っていたマメルが呟いた。その声に男はマメルをじっと見つめ、少し驚いたような顔になった。そしてデーリアに視線を移し、エマと私を順に見た後、視線をマメルに戻した。
「おまえの名前は、たしかマメルだったか……。久しぶりだな。盗賊に襲われて行方不明になったと聞いていたが?」
「ああ、狩りの途中でゴブリンに捕まって奴隷になっていた。だがな、運よく生き残って戻ってくることができたんだ」
「そうか……。魔闘士になったんだな。魔力が〈130〉とは、なかなか立派なものだ」
この男があのレアルドか……。常時発動している探知魔法で調べると、魔力は〈207〉だと分かった。魔力が〈200〉を越える魔闘士は希少だ。フォレスラン軍の中でもおそらく数人しかいないだろう。
ちなみにこの要塞には私たち以外に七人の魔闘士がいることが分かっている。重要な拠点であるのに魔闘士の数が少ないが、それには理由があった。これは後で知ったことだが、王都防衛のために要塞の半数の魔闘士が王都へ呼び戻されていたらしい。こんなところにもメリセランの魔空船団が攻め寄せてきた影響が出ていたのだ。
だから要塞に残っている魔闘士はたった七人で、しかもレアルド以外の魔闘士たちは〈100〉を少し超えた程度の魔力だった。このレアルドが要塞の中では群を抜いて強いということだ。
私が見つめると、レアルドもこちらを向いて視線がぶつかった。粘っこい視線が嫌で、私は思わず顔を伏せてしまった。
まずい……。誤解させたかもしれない。そう思って顔を上げると、レアルドの視線は私から外れていて、デーリアの方を向いていた。
「デーリア、相変わらず美しい。君がここに着いたと聞いて、仕事を急いで片付けてきたんだが、遅くなってしまった。すまないね。お詫びに今夜は最高の食事を用意させるよ。二人だけでゆっくりと夕食を楽しもう」
「あなたと夕食を楽しむですって? そんなことよりも早く主人に会わせて」
「会わせてもいいが、おれとの食事が終わってからだ。明日の朝になったら会わせてやるよ」
夕食の誘いは魂胆が見え見えだ。どうせ食事に薬でも混ぜて、その後は……。想像するだけで鳥肌が立ってくる。
デーリアは少し迷って何か言い返そうとしたが、レアルドはそれを手で制しながらまた私の方を向いた。
「こっちのお嬢さん方も美人だな。それに、二人とも魔闘士で、魔力は〈150〉と〈130〉か……」
探知魔法で私の魔力を調べても〈150〉にしか見えない。偽装しているからだ。神族と使徒はそのときの都合に合わせて思いのまま魔力を偽装できる。今回の旅ではマメルとエマと私の三人はデーリアの護衛ということにしているから、魔力もマメルたちに近い値に偽装したのだ。
「おまえたちはデーリアの護衛らしいが、この要塞では司令官のおれに従ってもらう。明日の夜はおまえを夕食に誘おう。明後日の夜はそっちのお嬢さんだ」
私やエマが喜んで誘いを受けるとでも思っているのだろうか。
「デーリアのご主人を引き渡してもらえば、私たちはすぐにデーリアたちと一緒にこの要塞から出ていくわ。だから、あなたに従う必要もないし、あなたと一緒に夕食を食べるつもりもないから」
私の言葉に、レアルドはニヤリと口を歪めた。
「デーリアの亭主は魔族との戦いで負傷した。内臓と両脚の大怪我だ。動かせるようになるまではまだ1週間くらい掛かる。それまでは引き渡すことはできないな」
「当然、キュア魔法で治療はしてくれたのよね?」
「もちろんだ。だが、両脚を完全に失っていてな。内臓はキュアでどうにか回復できそうだが、脚の再生はできん。ともかく、内臓が回復するまではデーリアもおまえたちもこの要塞で待つしかないってことだ。だから焦らずに、この要塞で楽しんでくれ。おまえたちのような美しい女性は大歓迎だ。おれの客として特別にもてなしてやるぞ」
そう言いながらレアルドは私をじっと見つめてきた。冷酷で抜け目がなさそうなその目付き。そして粘っこい視線。また鳥肌が立ってきた。
そのときドアが開いて、一人の兵士が飛び込んできた。
「司令官、大変です! 敵が……、メリセラン軍が押し寄せて来ました」
「メリセラン軍だと? 放っておけ。どうせ、ダードラ池を渡ることはできんし、爆弾の魔法も要塞には届かんからな」
「違います。敵が寄せてきたのはフォレスランの王都側からです。もう丘の麓まで来ていて、陣地の構築を始めています」
「なにぃーっ! どうやって防壁の内側に入ったんだ?」
「どうやって入ったのかは分りませんが、南の魔樹海の方から防壁の内側に沿って進軍してきたようです」
メリセランの王都があるのは要塞の北方だから、意表を突いて真逆の方角から進軍してきたことになる。ちなみにフォレスランの王都は要塞の西方だ。
「それで、敵の数は?」
「二千ほどかと……」
「こっちの4倍だとっ!?」
「魔闘士……、敵の魔闘士の数はっ?」
「まだ分りません……」
兵士は答えたが、私は分かっていた。メリセランの魔闘士は十五人だ。魔力は高い者でも〈220〉であり、大半が〈100〉を少し超えた程度の者たちだ。
大軍が近付いているのは30分ほど前から探知できていたが、フォレスランの支配地域の中だったから私はてっきりフォレスラン軍だと思っていた。
レアルドは兵士と一緒に部屋を飛び出していった。
もしレアルドがまた現れてデーリアを無理やり連れて行こうとしたら、力尽くでも阻止しようと思っていた。だが、レアルドもそれどころではないのだろう。
結局、夜になっても誰も部屋には現れず、私たちは部屋の中に取り残されたままになった。
ダードラ要塞は完全に包囲されていて、深夜になってメリセラン軍の攻撃が始まった。爆弾の魔法で、要塞の中に大きな火球が撃ち込まれ始めたのだ。
※ 現在のフィルナの魔力〈789〉。
※ 現在のハンナの魔力〈787〉。




