SGS184 路線バス乗客失踪事件
この事件について図書館で当時の新聞や雑誌を調べると様々なことが分かった。
バスに乗車していて行方不明になっている人は明確に分かっているだけで三十二人。その中にはオレやユウ、ダイルの名前も載っていた。外国人留学生も何人か乗っていたから、このニュースは海外でも大々的に報じられたらしい。
走っていたバスは赤信号で止まらずに前の車にぶつかった。玉突き事故になったが、幸い死者は出なかった。追突された3台の車が壊れたのと、何人かの怪我人が出ただけだった。
大騒ぎとなったのは、追突したバスに誰も乗ってなかったからだ。何日も捜索が行われたが、運転手や乗客は誰も見つからなかった。何らかの事件に巻き込まれたことが疑われた。当初はどこかの組織によって全員が拉致されたのだろうと警察やメディアは考え、バス道での聞き込みや防犯カメラの調査などが行われた。しかし何の手掛かりも出て来ず、捜査も乗客たちの捜索も暗礁に乗り上げた。
そのうち、異次元への穴に落ちたとか異世界に召喚されたとか、根拠のない憶測が飛び交うようになった。そういう与太話は初めの頃は笑い飛ばされていたが、しだいに本当にそうなのかもしれないと思われ始めた。事件が起こってからしばらく経って、日本各地の街中に鬼や魔物が現れて被害が出始めたからだ。
何かの切っ掛けで日本は異界と繋がってしまい、その異界から鬼や魔物が現れるようになったのだろう。路線バスの乗客たちはその異界に落ちたのかもしれない。バスの乗客が行方不明になってから1年ほど経った頃には、そういう話がテレビのワイドショーや特集番組で頻繁に流され、それが通説になってしまった。
鬼や魔物たちが現れた街では大騒ぎになった。鬼や魔物たちは街中を逃げ回るだけだったが、車に激突したり建物を壊したりして怪我人や被害が出た。その都度、警察や自衛隊が出動して退治され、鬼や魔物の死骸は解剖された。それが本物の生物であり、未知の器官を持っていることも分かった。この世には存在しない生物だった。ちなみに、ウィンキアではその器官を魔石と呼んでいる。
それと鬼や魔物を解剖して分かったことだが、どの個体の皮下にもコインのような物が1個埋め込まれていた。五百円玉くらいの大きさで純金だった。そのコイン状の物体はどれも同じ物で、両面に紋章のような図柄が刻まれていた。明らかに知性を持った者が何らかの意図を持って埋め込んだと考えられた。
鬼や魔物についてはその死体の写真や、その体から出てきた魔石やコイン状の物体の写真が新聞や雑誌の中に載っていた。それを見ると、全部オレが知っている魔物だった。スロンエイブ(飛礫猿)やボングガルブ(火炎狼)、ジャドネイガ(毒砲蛇)、ケングダンブゥ(針猪)、ヒュドレバン(風刃豹)など、間違いなくウィンキアの魔物だと分かった。
鬼に間違われたのはおそらく飛礫猿だろう。頭に2本の角があって、立って歩くし、凶暴な顔をしているから鬼のように見えたのだと思う。
『でも、おかしいよね。ウィンキア生まれのソウルを持っているはずだから魔族や魔物はこっちの世界には来れないはずなのに、どうなってるんだろ?』
『こっちの世界に魔物が現れたのも変だし、凶暴な魔物たちが街の中で人を襲わずに、逃げ回っただけというのも変よね。ねぇ、ミサキ、ちゃんと説明してよ!』
ユウは憤慨したようにミサキ(コタロー)に問い掛けた。ミサキが何かを見落としているのか、間違っているのではないか。ユウはそう考えているのだろう。
『ごめんなさい。私にも分からないわ……。でも、ウィンキア生まれのソウルを宿した体では、こちらの世界へは転移できないことは間違いないことよ。無理をして転移させようとしたら、どこか違う時空間へ漂流してしまうことになるはずだから』
『埋め込まれていたコインについては?』
『コインのような物体に刻まれた紋章は分かるわよ。片面だけだけど』
『分かるの? どこの紋章なの?』
『バーサット帝国の紋章よ』
『えっ!? バーサット? つまり、この魔物たちはバーサット帝国に関係してるってこと?』
『そういうことになるわね。でも、その裏面の紋章は私にも分からないわ。ウィンキアに戻って調べれば分かると思うけど……』
ここにある情報だけでは、これ以上のことは分からなかった。
………………
図書館には2時間ほどいた。ミサキはまず、集中的にコンピュータやネットワーク関連の技術書を読み漁った。ほかには英語やフランス語などの言語、歴史や政治、経済、法律、日本での生活を紹介した本などを読んでいたようだ。パラパラと本を捲っていくだけで、ミサキはその内容を理解して吸収していく。2時間で200冊ほどを読み終えたらしい。さすがだ。
『知識を得るには図書館は効率が悪すぎるわね。でも、この世界のコンピュータやネットワークを使えるようになったから、これからはもっと速く知識や情報を得ることができるわよ。それでね、ケイ。お願いがあるんだけど……』
ミサキの希望を叶えるためにオレたちはタクシーで街の一番大きな電気店へ向かった。ノートパソコンを買うためだ。ノートパソコンからスマホを経由してインターネットに接続すれば、どこにいても欲しい情報が即座に得られる。
『でもね、キーボードやマウスで操作してディスプレイを見るだけなら、本を読んで調べるのとたいして変わらないでしょ。だから今ね、コンピュータと私との間で信号を直接遣り取りできるように通信装置を作ってるのよ』
電気店の中で性能が一番良いノートパソコンを買って、ミサキはその場でセットアップをした。パソコンに詳しそうな男の店員が横から色々とアドバイスをしようとしたが、ミサキがパソコンを操作するスピードを見て目を丸くして黙り込んでしまった。
その後、パソコンを持って近くの喫茶店に入った。オレが久々のコーヒーを楽しんでいる間に、ミサキはパソコンの中に通信用のソフトを作り上げた。
『これがね、このパソコンと直接通信するための装置よ』
ブレスレットを取り出して、ミサキは左腕につけた。ソウルゲートの中で作っていたのだろう。
『さぁ、行きましょ。歩きながらでもパソコンで情報収集できるようになったから』
ミサキはノートパソコンを閉じてバッグに入れた。パソコンはミサキの指示に従ってバッグの中で情報収集を続けていて、ミサキは腕につけた通信装置を通してその情報を分析したり学習したりしているらしい。
『その通信装置って、わたしでも使えるの?』
『ムリ』
ひと言で片付けられてしまった。
そこから駅まで歩いて行き、JRで東京へ向かった。オレやユウが住んでいた東京近郊の街に着いたのは夜の7時を過ぎていた。駅近くのビジネスホテルでツインの部屋を取った。
計画ではユウもオレも家族の顔を遠くからこっそりと見るだけの予定だった。だが自分の家がある街に着いてみると、懐かしさが溢れてきた。オレはユウと相談して計画を変更することにした。家族と会って話をすることにしたのだ。
計画を変更する気になったのは懐かしさだけが理由ではない。家族ならオレたちが異世界から帰ってきたことを正直に話せば、きっと受け入れてくれるだろう。そう考えたからだ。世間一般でもこの世界がどこかの異世界と繋がっていることが半ば信じられるようになっているらしいから、それならば異世界から帰ってきたと話しても家族は信じてくれると思う。もちろんそのことは家族以外には秘密にしなければならない。もし異世界から帰ってきたなんてことが世間に知れ渡れば、オレだけでなく家族も巻き込んで酷い状況になるのは明らかだ。
オレとユウが計画を変更する気になった理由はもう一つある。雄次さんに出会って、子供の帰りを待つ親の気持ちが少しだけ分かった気がしたからだ。親がオレたちのことをどれほど心配しているかを考えると、会わないままウィンキアに帰ってしまうような親不孝はできない。
オレとミサキはホテルの近くで夕食を取った後、ユウが住んでいた家に向かった。ユウに教えてもらいながら15分ほど住宅街の夜道を歩いて家の前まで来た。時刻は8時を過ぎている。
2階建ての家で「笹木」という表札が掲げられていた。カーテンが引かれた窓から灯りが漏れている。
オレは周囲に人がいないことを確かめて、ドアホンを押した。しばらくして玄関のドアが少し開いた。
「どちら様ですか?」
警戒したような男の声だ。
『パパよ』
ドアの隙間からユウの父親の顔が見えた。その目が大きく見開かれた。オレが誰だか分かったようだ。
ユウの父親が声を上げる前にオレは眠りの魔法を放った。床に倒れる寸前に念力魔法で支えて、廊下に寝かせた。玄関ドアのチェーンを念力で外して家の中に入ると、家の奥から女性の声が聞こえた。
「パパ、どなたかいらしたの?」
ユウの母親だろう。廊下に出てきたところを魔法で眠らせた。
『2階に妹がいるはずだけど……』
『でも、探知には反応が無いね』
玄関のドアをロックした後、廊下で眠っているユウの両親を奥のリビングに運んでソファーの上に寝かせた。
『じゃあ、暗示を掛けるよ』
『ええ。仕方ないよね……』
申し訳ないと思いながらユウの両親に暗示魔法を掛けた。これはユウと相談して決めたことだ。暗示でオレとユウの言うことには素直に従うようにさせた。それと、娘のユウが戻ってきたことやオレたちの秘密を第三者に漏らそうとしたら頭が痛くなるようにした。それでも漏らそうとしたら、オレたちと話した内容を一時的に忘れるよう暗示を掛けた。半日ほどしたらまた思い出すという暗示だ。もしこっちの世界でオレたちのことが知れ渡ったら厄介なことになるから、それは絶対に防がなければならない。
『じゃあ、ユウ。ソウルの一時交換を発動するよ』
ユウの両親に暗示を掛け終わった後、体をユウに譲ってオレはミサキの体に入った。そしてユウの両親を目覚めさせた。ユウの両親は応接テーブルを挟んでオレたちの正面に座っている。二人ともまだ寝起きで、ぼんやりした顔だ。
「パパ、ママ、分かる? 優羽奈よ」
ユウの父親は50歳くらいで中肉中背。白髪交じりの髪を短く刈り込んでいて、少し疲れたような顔をしている。母親は美人で30歳代に見える。ユウは母親に似たようだ。
「ゆうな……? 本当に優羽奈なのか?」
父親が驚いたように立ち上がると、ユウも立ち上がってコクリと頷いた。
「ゆうな……。あなた……、優羽奈なのね……?」
母親がよろめくようにユウに近付き抱きしめた。その二人を父親が大きく手を広げて抱いた。
「よかった……。優羽奈が戻って来てくれた……。神様、感謝します……」
父親の呟きを聞きながらオレも立ち上がった。父親はオレをチラッと見て、優羽奈たちから離れた。母親はユウを抱いたまま泣いている。
「優羽奈、今までどうしていたんだ? それと……、こちらの女性は?」
「説明するから私の話を聞いてね」
ユウは手を離すまいとする母親をなだめてソファーに座らせた。父親とオレたちもソファーに座ると、ユウは話を始めた。
※ 現在のケイの魔力〈1026〉。
(日本では〈513〉。日本でソウル交換しミサキに入ると〈103〉)
※ 現在のユウの魔力〈1026〉。
(日本でソウル交換してケイの体に入ると〈103〉)
※ 現在のコタローの魔力〈1026〉。
(日本でミサキの体を制御しているときは〈513〉)
※ 現在のラウラの魔力〈812〉。




