SGS146 「くまぶーたん」のぬいぐるみ
ガリードとの話し合いが終わって診察室に戻ると、みんながアドルのベッドを囲んで楽しそうに笑っていた。腸を手術したマリーザも立ち上がって歩けるまでに回復していて、娘のティーナに支えられながらアドルのベッドに手を掛けて何かを覗き込んでいる。
アドルはベッドで上半身を起こしていた。近付くと、毛布の上に一枚の絵を置いていることが分かった。どうやら、みんなはそれを見て笑っているようだ。
「あっ、お父様。この絵を見てください。ハンナ先生が描いてくださった絵です。素敵でしょ?」
目をキラキラさせながら、ルーナが父親のガリードに絵を見せた。
これは、さっきハンナが描いていた絵だな。二つのベッドの周りにみんなが集まって、こちらを向いてニコニコと笑っている絵だった。
絵の中で中心にいるのはアドルとマリーザだろう。二人はベッドで上半身を起こして微笑んでいる。ベッドに寄り添っているのがガリードと娘のルーナで、こっちはティーナだな。その隣で白衣を着ているのがカーラ魔医とクレナ魔医だ。その後ろにオレとラウラ、そしてフィルナとハンナが描かれている。みんなの顔は不鮮明に描かれているが、楽しそうに笑っていることだけは分かる。
さすがハンナだな。描き手のくせに、ちゃっかり自分自身も絵の中に描き込んでいる。
だが、これは誰だろ?
ハンナの後ろから斜めに上半身を覗かせた人物が描かれている。ハンナの肩に右手を置いて、熊の頭をすっぽり被り、左手を開いてこちらに手を振っているような感じだ。
実際より熊の頭は可愛く描かれているが、これは、あのときのミサキだな……。
絵には言葉が添えられていた。
『わたしには心から支えてくれるあなたがいる。目には見えないけれどちょっぴり幸運をくださる神様もいる。だから、わたしは負けない!』
ハンナは絵が上手いな。
オレが感心していると、隣から「ううっ……」と声を詰まらせた泣き声が聞こえてきた。
見ると、絵を見ていたガリードが泣いている。
なんで、いい歳のおっさんが泣くんだ!?
「おとうさま……」
娘のルーナも泣き始めた。
「よかった……。息子が生きていてくれて……。本当に良かった……」
ガリードの言葉にアドルやティーナも泣き出して、周りのみんなも目を潤ませている。オレもこういうのには弱い。もらい泣きしそうだ……。
ガリードはオレの手を握ってきた。
「ケイさん。本当にありがとう……」
心が籠った言葉に、オレは本当に弱いのだ……。
………………
アドルもマリーザも数日のうちに退院できるそうだ。
オレはマリーザ親子を家の管理人として雇うことにした。住み込みで掃除や洗濯、調理などもしてもらう。二人は街壁の外にある流民街で住んでいたが、オレの家で住み込みで働くことに喜んで同意してくれた。オレは家を管理してくれる人を雇うつもりでいたから、ちょうど良かったのだ。これも何かの縁だろう。流民であっても、当局の許可を得れば街壁の中で住み込みで働くことはできるのだ。
それと、これは後でフィルナから聞いた話だが、アイラ神がこの診療所での出来事を知って悔しがったそうだ。
『あたしなら熊の頭なんか被らなかったのにーっ! まさか……、その熊の頭を被ったのがあたしだって、みんな勘違いしてないでしょうねっ!?』
そう聞かれたフィルナは答えに困ったらしい。
それと、あの絵はカーラ魔医の診察室に飾られた。
数年後の話であるが、診療所がずっと大きくなって多くの患者を受け入れるようになってからも、お金の無い者でも安心して治療に来れるような診療所を続けている。けっして平坦な道のりではなかったらしいが、困難に直面するたびに、あの絵を見てカーラ魔医たちは頑張ったらしい。ガリードの支えが続いていることは言うまでも無い。もちろんオレたちも陰からこっそりと応援を続けている。
ちなみに、愛らしい熊のイラストがこの診療所のシンボルとなり、「熊神さま」と呼ばれて診療所の守り神のような存在となった。
これも半年ほど後の話だが、診療所の看護師や入院している子供の母親たちがこの熊のイラストを見て、熊のぬいぐるみを数個作った。それを入院中の子供たちに「熊神さま」だと言ってプレゼントした。子供たちはそれを「くまがみたん」と呼んで大喜びしたそうだ。
看護師や母親たちも「熊神さまのおかげで子供の回復が早くなった」とか「子供が素直になった」、「元気になった」とか言って喜んだらしい。
その話を聞いたハンナがその熊のぬいぐるみを見て自分でも欲しくなったようだ。ハンナは自分で何個か手作りした。その一つを「可愛いでしょ」と言いながらオレにプレゼントしてくれた。小さな子供が抱いて眠るのにちょうどいいくらいの大きさで、たしかに可愛い。
オレはそれを見て思い付いた。これくらいなら自分でも作れそうだ。オレにはクラフト魔法があるから作るのは簡単だ。どうせ作るのであれば数個ではなく、入院中の子供たちと、これから入院してくるであろう子供たち全員に行き渡るように熊のぬいぐるみをたくさん用意しておこう。オレには複製魔法がある。この魔法を使えば一瞬で同じ熊のぬいぐるみを何百個でも何千個でも用意できる。うん、これはグッドアイデアだ。
ちなみにコタローから聞いた話によると複製魔法にも限度があるそうだ。異空間倉庫に蓄えられている材料の有無やソウルゲートが有する生産能力の範囲内であることなど、その限度を算出する条件は色々あるらしい。限度を超える場合はコタローが忠告してくれるそうだから、オレが気にする必要は無いだろう。
オレはこのアイデアをすぐに実行して、ガリード兵団の会議室に熊のぬいぐるみを全部放り込んできた。
「なんだ、こりゃぁーっ!?」
会議室のドアを開けて、あふれ出てきたぬいぐるみに埋もれたガリードが叫んだと言う。
「だれだぁ? こんな豚のぬいぐるみを会議室いっぱいに詰め込んだヤツっ!」
ガリードはオレが心を込めて作った熊のぬいぐるみが豚に見えたと言う。
その話を後で聞いてオレは憤慨した。少しだけ鼻の穴が上を向いてしまったかもしれない。少しだけ鼻の色にピンクを混ぜてしまったかもしれない。それもこれもハンナの作ったぬいぐるみより少しだけ可愛くしようと思ったからだ。
それを豚と間違うとは、ガリードめっ!
ガリードと言い合いになったが、オレが負けるはずがない。オレには勝てないように暗示が掛かっているからだ。
渋々だが、ガリードとその部下たちは診療所に入院する子供たちにオレが作った熊のぬいぐるみを定期的に届けることになった。
初めのころは嫌そうな顔で届けていたが、数週間後にはみんな笑顔で届けるようになった。子供たちがその熊のぬいぐるみを「くまぶーたん」と呼んで可愛がってくれたからだ。
「ぶさいくなところが可愛いらしい。子供の気持ちは分からん」
ガリードはオレにそう言ったが、そんなことはない。子供たちは正当な評価をしているのだ。
その後もガリード兵団の男たちが熊のぬいぐるみを診療所の子供たちに届ける活動は続いている。診療所だけでなく孤児院や流民の子供たちにもプレゼントするようになったそうだ。おかげでガリード兵団の強面のおじさんたちは子供たちから慕われるようになったそうな。
なぜか「くまぶーたん」の人気は衰え知らずで、その数か月後には国を超えて隣のレングランやラーフランまで広がった。ガリードからは追加分を作ってほしいと何度も頼まれて、オレは喜んで作ってあげた。
あちこちの店で偽物が売られるようになり、オレが「くまぶーたん」のブランド化を考えたりして仲間たちから止められるのはさらに少し先の話である。
おっと、ここでそんな先の話を長々としても退屈だろう。話を戻そう。
………………
その夜、ダイルは帰って来なかった。どこへ行くとも言わずに出ていったまま戻らないから、フィルナもハンナもいつになく心配そうな様子だった。オレもなんとなく嫌な予感がしていた。
※ 現在のケイの魔力〈777〉。
※ 現在のユウの魔力〈777〉。
※ 現在のコタローの魔力〈777〉。
※ 現在のラウラの魔力〈650〉。




