SGS106 険しい道と楽な道
オレは窪みの中で体を強張らせていた。恐ろしさと緊張で自分の体が石になったように重たい。だけど、このままずっと身を竦ませているわけにはいかない。
この後、何をするんだっけ? 恐ろしさで頭が回らない。
ああ、思い出した。たしか腕を隙間に入れて、穴の中まで真っすぐ伸ばせば扉が閉まると書いてあった。
だけど、怖い。穴に腕を入れたら噛みつかれたりしないよな……。
扉が閉まるのも怖い。閉所恐怖症ではないけど、棺桶の中に生きたまま閉じ込められるようでイヤな感じだ。
ラウラが言ってたようにこれが罠で、穴から針が飛び出してきたらオレは確実に死ぬことになる。そう言えば、昔のヨーロッパにこれと似た拷問の道具があったとどこかで読んだ気がする。ええと、その拷問道具はなんて名前だったっけ?
オレはどうでもいいようなことを考えながら、いやいや隙間に両腕を入れた。体が強張っているせいで、腕はガクガクと動いた。体全体が小刻みに震えているのが分かる。自分の体ではないように腕が重い。その腕を無理やり伸ばして穴の中に押し入れた。
ガタンという音がして、思わず体がビクンとなった。穴から針が飛び出してきたのではなさそうだ。単にオレがビビっているだけだ。
後ろを振り向くと、窪みを塞ぐように天井から厚さ50セラほどの岩の扉がゆっくりと下りてくるのが見えた。ラウラが心配そうな顔でオレを見ている。村長や長老たちは無表情で息を詰めて成り行きを見守っている。
この扉が下りてしまうと、オレは狭い窪みの中に閉じ込められてしまうことになる。それこそホントに生きたまま棺桶に入れられるようなものだ。
体の震えが止まらない。
『ケイ、高速思考を発動して』
ユウが助言してきた。怖くて忘れるところだった。急いで高速思考を発動する。ついでに暗視の魔法と瞬時に動作に移れるように敏捷強化の魔法も発動して、扉が閉まり終わるのを待った。
『ケイ、正面の壁を見てて。何か指示が現れるはずよ。たぶん一瞬だから見逃さないように注意してね』
オレよりユウの方がずっと冷静だ。我ながらちょっと情けない。
今は高速思考が掛かっているから、時間が100倍に延ばされているような感じだ。だから、実際の1秒は今のオレたちには100秒ほどの時間となる。
『たくさん開いた穴から魔力の波動が出てるわん。検診の魔法で体を調べられているようだにゃ』
『たぶん訪問者が人間かどうかを調べてるのね』
そっか。あの穴は針が飛び出すのではなくて、訪問者の体を検診するための穴だったようだ。たぶん、村長が言ってたように訪問者を調べて、魔族などの敵ならばここで撃退する仕組みなのだろう。
扉が閉まり終わった直後、棺桶の中が明るくなった。どうやら棺桶の天井のところが明るく光っているようだ。
すぐに正面の壁がゆっくりと奥へ動き出して、30セラほど動いたところで止まった。その壁に文字が現れて、20秒ほどで文字は消えてしまった。だから実際には20/100秒しか表示されなかったことになる。高速思考を発動してなければ見えなかったはずだ。
古代語で書かれていてオレには読めないがユウが読んでくれた。
〈貴殿が私のスキルを引き継ぐためにここへ来たのであれば、両腕を穴に入れて真横に伸ばしたままで、この文字が消えて1秒以内に左手から火弾を、右手からは水弾を放ちなさい。資格があることが確認できれば中に入ることを許可しよう〉
『高速思考を発動中だから、1秒以内というのは私たちにとっては100秒以内ってことよ。無詠唱なら対応できるけど、呪文を唱えていては絶対にムリね』
そういうことか。高速思考を使うことができて、しかも無詠唱で魔法を発動できるのは地球生まれのソウルを持った神族だけだ。これはその条件に該当する者だけを選別して中に入れるためのテストなのだろう。
『これはアロイスからスキルの引き継ぎを希望する者への呼び掛けだわん。ソウルゲートの記録では詳しいことが分からなかったけどにゃ、無詠唱で魔法を発動できる神族だけにアロイスはスキルを引き継がせようとしているようだわん。これはケイにとって凄いチャンスだぞう』
コタローに言われてオレも思い出した。ソウルゲートの記録によると、アロイスのような戦闘用人工生命体の使命はダンジョンで妖魔や魔獣を退治することだけでなく、神族のために戦闘スキルを編み出して磨きをかけることも使命の一つだった。どうやらこの“神族のため”という情報は不正確であったようで、対象とするのは地球生まれのソウルを持った神族だけに限定されるみたいだ。
オレたちは行方不明になっているソウルゲート・マスターの情報を入手するためにアロイスに会いに来たのだが、もしアロイスのスキルを引き継げるのであればコタローの言うとおりこれは凄いチャンスだ。ぜひそのスキルを引き継ぎたい。そのためには自分に資格があることを示さねばならない。
オレはすぐに指示のあった魔法を発動した。無詠唱と言っても、体を魔力が通っていくから今のオレには遅く感じる。敏捷強化の魔法を掛けていても、高速思考に体の神経や筋肉細胞の反応が追いつかないのだ。
それでも余裕を持って魔法を発動することができた。
すると、目の前の壁から円筒状の石がゆっくりと出てきた。茶筒ほどの大きさの石が二つ、10セラほど迫り出してきたところで止まった。色が塗られていて、一つは赤い石でもう一つは青い石だ。
その石の下にまた何か文字が現れた。ユウがすかさず読んでくれた。
〈貴殿がマスターと同じ世界で生まれた神族であることは確認できた。しかしそれだけでは貴殿を我が拠点に招き入れることはできぬ。貴殿は私からスキルを引き継ぐために訪ねてきたのであろうが、それを望むのであれば、貴殿はそれに相応しい勇気と力量を持った者であることを私に示さねばならぬ。そのための試練を私は用意した。試練を受ける覚悟があるなら赤い石を押し込むのだ。その覚悟がある者だけを我が拠点へ招き入れよう。試練を望まぬなら青い石を押し込め。後ろの扉が開いて、ここから立ち去ることができる〉
ユウに何度か読み直してもらって、やっとその意味を理解することができた。恐怖のせいで思考力が鈍っているようだ。
なるほど。目の前の円筒状の赤い石と青い石はそういう意味か……。
『ケイ、試練って何かしら?』
『分からない。アロイスが用意したテストだから難題だと思うけど……』
『でしょうね。それで、どうする? 赤い石と青い石、どちらを選ぶの?』
『さあ……』
そう言いながらオレは親父の言葉を思い出していた。オレが子供のころに親父が言い聞かせてくれた言葉だ。自分の人生で判断を迷うような状況に追い込まれたときには、いつもオレの頭に浮かんでくる。
「おまえの前には分かれ道がある。一つは険しい道、もう一つは楽な道だ。おまえはどっちを選ぶ?」
「そりゃ、楽な道だろ?」
「いや、険しい道を選ぶんだ」
「どうしてさ?」
「険しい道はおまえを成長させてくれる。おまえを変えてくれる。苦しくて辛いが、いつかは見晴らしのいい場所へ出られる。だが、楽な道はおまえを成長させてくれない。むしろ堕落させるだろう。楽な道を選んだら、行き着く先はジメジメした薄暗い場所かもしれない」
「でも険しい道の方は崖の上で、足を滑らせて死ぬかもしれないよ?」
「足を滑らせないように注意すれば良いだけだ。いいか、忘れるんじゃないぞ。おまえは面倒なことはいつも避けて生きているが、それではダメだ。おまえもこれからの人生でいくつもの大事な分かれ道に出くわすだろう。迷ったときは険しい道を選ぶんだ。困難なことから逃げるな」
「面倒なことは嫌なんだけどなぁ……」
親父は子供のオレの性格を知っていて、そういうアドバイスをしてくれたのだと思う。放っておけば、子供だったオレは楽な方へ楽な方へ進もうとしたし、面倒なことからは逃げてばかりいたからだ。
大人になった今だから分かるが、“迷ったときは険しい道を選べ”とか“ 困難なことから逃げるな”とかいう言葉は安易に言うべきではない。それを言われる人の性格や体調、環境などによっては悪い結果を生むかもしれないからだ。安易にそんなことを言うと、その人は追い込まれて病気になったり、下手をすると自殺したりするかもしれない。楽な道を選んだ方が良い場合もあるし、無理をせずに困難なことは避けた方が良い場合も多いということだ。
だがオレの親父は違っていた。自分の子供はそんな言葉で病気になったり自殺したりしないと確信していたのかもしれない。子供のオレに対して何度も同じことを繰り返し語って、刷り込みをしようとしたのだ。そして悲しいことに、素直だったオレはそれをそのまま心に刻み込んだのだった。
「いいか、もう一度言うぞ。おれの言葉を絶対に忘れるな。迷ったときには険しい道を選ぶんだ。険しい道を死なないように一歩一歩用心しながら歩け。そうすればきっと見晴らしのいい高みに出られる」
「そうやって言うのは簡単だろうけど、実際にやらされるこっちは堪ったもんじゃないよ」
「おまえの良いところは、一度こうと決めたら、逃げずにやり通すことだ。選んだのが険しい道であっても、おまえなら選んだ限りは逃げずにやり通すことができるはずだ。うん、おまえならきっとできる!」
なんだか訳の分からない理屈だが、子供だったオレは親父の言葉に乗せられて動いていた気がする。今考えるとうまく操られていたのだろうが、悔しいことに「険しい道と楽な道、どっちを選ぶ?」という親父の問い掛けは今もオレの心の中に刷り込まれているようだ。
おっと、親父の言葉を思い出して少しぼんやりとしていたようだ。
『――。ケイ、ケイったら。ねぇ、聞いてるの?』
『ああ、ごめん。少し考え事をしてて。それで、今なんて言ったの?』
『だからね、私は青い石を選ぶべきだと言ったのよ。試練が何かは分からないけど、その試練はアロイスのスキルを引き継ぐのに相応しい勇気と力量を持った者かどうかを調べるためのテストなのよね?』
『そうらしいけど……』
『今のケイの実力じゃ、きっと無理よ。神族の勇気と力量を測るための試練だとすれば、難易度はめっちゃ高いはずよ。今は無謀な挑戦をするのは止めて、ケイがもっと実力をつけてから再挑戦したら良いと思うの』
『でもここで引き返したら、長老たちはわたしたちに対してますます不審に思うだろうね。妖魔人だと言われて殺されるか、アーロ村から追放されるか……。ここにもう一度入れるかどうかも分からないよ』
自分の気持ちは決まっていた。親父の言葉に従うのだ。
『ユウ、わるいけど、ここは……』
オレは赤い石を押し込んだ。
『ケイ……』
ユウが何か言いかけたときに、新たな文字が壁に浮かび上がった。ユウはそれを読んでくれたが、その念話からは何か諦めたような感情が伝わってきた。
〈今から貴殿に試練を与えるための準備に入る。もう引き返すことはできぬ。では少しの間、体を固定して眠ってもらう。動けば怪我をするから注意せよ〉
直後。プシュッという音がして、穴から何かが飛び出してきた。
やっぱり針か!?
※ 現在のケイの魔力〈400〉。
※ 現在のユウの魔力〈400〉。
※ 現在のコタローの魔力〈400〉。
※ 現在のラウラの魔力〈320〉。




