【スーパー学術エッセイ】「カップ焼きそば」はなぜ、大盛りサイズよりもレギュラーサイズの方がうまいのか? ←湯切り汁で作ったエッセイ界の処世術もついてるよ!
皆様今晩は! シサマという者です。
新年早々から大変な震災や事故、事件の連続で、当事者じゃなくても精神的なダメージを受けてしまう近況ですが、こんな時こそ私は呆れるほどに変わらずにいたいものですね。
周囲にどう思われようと書きたい時に書きたい作品を書き、発表したいタイミングで発表したい作品を発表する。
その結果、720ポイントを獲得したエッセイの次のエッセイが36ポイントという、ちょうど20分の1の結果に終わっても後悔はないのです。
俺様が書きたかったから!
俺達は面白いと思っているから!
(相互ユーザーの皆様、あんまりじゃないですか?)←魂のOTAKEBI
エッセイジャンルに於ける成功の鍵は、間違いなく読者の共感を集める事。
しかしながらそれを意識し過ぎる余り、立て続けに不特定多数向けの作品で結果を残せば残すほど、その作風を受け入れられない読者との間に壁が出来ていきます。
「俺達を押し退けて上手い事やりやがって……」という気持ちがやがてアンチ勢力を生み出し、心無い誹謗中傷や寡占疑惑の問題提起となって界隈に歪みを生じさせるのですね。
従いまして、もしあなたがメンタル面のダメージを抑えてエッセイジャンルで長く活動したいのであれば、自分の作風の中に「真面目系」と「お笑い系」の2本柱を、出来るだけ早く確立する事をおすすめします。
加えて重要な事は、「真面目系」で自分の凄さやカッコ良さを声高にアピールせず、穏やかな文面から良識が自然に滲み出る様な表現を心がけ、あとは読者の読解力を信じる。
対する「お笑い系」では反対に、自分のバカさやカッコ悪さをバンバン計画的にアピールして、この人はここをイジってもいいんだと思わせる。
不思議なもので、人はいつでもイジれるネタで相手をイジりに来る事は殆どないんです。
「上げてから落とす」という悪意を持っている人に対して、その悪意を準備する事がすでに無意味であると教えなければなりません。
とは言うものの、世のWeb作家の多くはこのアピールが出来ておらず、むしろ真逆の事を一生懸命やっている様に見えてしまいます。
それじゃあアンチ勢力に粘着されますし、作品やSNSのキャラクターで偏見を持たれて、望む評価が得られないと悩みますよね。
……さて、序文からすでに怪しい自己啓発エッセイになっておりますが(笑)、今回のエッセイの主役は勿論「カップ焼きそば」です。
私シサマが十八番のカップ焼きそばをネタにするという事は、すなわち失敗が許されないという事。
このプレッシャーだけで、もうごつ盛り麺量130g分も痩せちゃいました。
何となくスマホを打つ親指の動きも軽いぞ!
今回のエッセイを書くきっかけになったのは、とある空腹の午後に『ペヤング 超大盛やきそば』を食べた時の出来事。
体調に問題があったのか、普段なら完食出来る超大盛を完食出来ず、途中で飽きてしまったのです。
カップ焼きそばへの愛は自身の作品よりも深いと信じていた私はショックを受け、「もう俺は、カップ焼きそばを卒業しなければならないレベルのジジイになったのか……!?」と落ち込み、ペヤング超大盛麺量180g分も痩せてしまいました。
その日から私は暫くカップ焼きそばを断ち、様々な物事に触れる事で、カップ焼きそばがなくても素晴らしい人生が目前に開けていくのを実感します。
そしてとある夜勤日の間食として、久しぶりにカップ焼きそばを購入。
職場で食べ残しを出すと迷惑がかかり、満腹による眠気も仕事の大敵であるため、レギュラーサイズのペヤングやきそばを選びました。
うめええぇぇぇ!
これならもっとイケる!
あの時は体調悪かっただけなんだな、と、良くも悪くもヤバい若さがみなぎったのです。
ところが数日後、今度は北海道民のソウルフードである『マルちゃん でっかいやきそば弁当』を食べた時にまた飽きを感じてしまい、レギュラーサイズの『マルちゃん やきそば弁当』を食べて、またうまさを再確認する経験をしてしまいました。
……何だ、結局レギュラーサイズの2倍の「超大盛サイズ」が食えなくなっただけなんだろ、ただの老化じゃん。
という結論になりそうですが、カップ焼きそばに関して並々ならぬ執念を燃やす私は最後の確認手段、レギュラーサイズ2個食いに挑み、難なく完食してしまったのです。
カップ焼きそばに限らず、ジャンクフードの類は濃い味付けや大量の脂肪分でうまさを演出しているに過ぎず、食べ過ぎで飽きてしまうのは勿論の事、冷めてしまったものはまずくて食えたものではありません。
あのマクドナルドでも、作り置きで売れなかったハンバーガーやポテトは60分以内に廃棄処分にしているのですからね。
超大盛に飽きてしまっても、レギュラーサイズ2個なら完食出来てしまった背景には、それぞれが温かさを保てていたという現実があります。
しかしながら、私は他にも理由がある事を突き止めました。
焼きそばで言えばソース、ラーメンで言えばスープに麺が完全に馴染んでしまう、「麺料理のカップ麺化」です。
調理の終了まで素材に熱を与え続けるお店の麺料理や、インスタントであっても袋麺の類であれば、加熱による素材や味、香りの微妙な変化がプラスに作用する可能性があります。
しかし、お湯を注いだ瞬間から加熱の温度が下がり続けるカップ麺では、食べる瞬間が一番鮮度の高い状態であり、それでも食物としての劣化を受け入れなければなりません。
近年ではカップ麺も技術の進歩が目覚ましく、高価ながらハイクオリティなものが沢山あります。
ただ、劣化が最小限なひとくち目はとても美味しいのですが、食べ終わる頃には「カップ麺を食べた満足度」以上のものはありませんよね。
小袋に閉じ込めて時間が経過し、酸化を防ぐために使用された添加物の影響もあって、美味しいはずのスープもカップ麺の範疇から逸脱しない、ドヨンと重い風味の後味に変わります。
同じく、食べ始めはまだ麺の上で艷やかに存在感を主張する焼きそばソースも、やがて完全に麺と一体化したカップ焼きそばの風味に堕ちていくのです。
より具体的に解説しましょう。
一般的なカップ麺のマイナス風味とは、油揚げ麺の油臭さがスープやソースに馴染んでしまう事。
ノンフライカップ麺のマイナス風味とは、保存のために加えられた、スープやソースが過剰に感じられる麺自体の塩分。
そして生カップ麺のマイナス風味とは、酸化防止のために加えられた麺の酸味による雑味感ですね。
……さて、今回は楽しいだけのカップ麺エッセイではなかったかも知れません。
栄養価が期待出来ない事もあり、個人的に値上げによる消費頻度の低下は否めませんし、若い頃の様に大盛りサイズを積極的に選ぶ事は少なくなりました。
それでも私は、レギュラーサイズ+サラダなどの気休めヘルシー化を受け入れたりしながら(笑)、これからもお世話になっていくのでしょう。