狐日和
私はいつもの様に、ふと目を覚ました。カーテンの隙間から覗く外は、不安定な天気で晴れているのに、どんよりと鈍い色の雲が雨を降らしている。この季節によくある、季節が変わる知らせの気候。
こういう気候は何かと不調が起きる。子の芽時だとか気象病だとか、様々な要因で健康が崩れるらしいとメディアやネットで言われている。
そのせいか頭が少しぼんやりと霞がかっているような…。不思議な感覚に瞼を瞬かせながらベッドから起き上がった。
今日は予定がある訳では無いけれど、最近近場にできた新しい店に休みの日に立ち寄ってみようかな、とずっと考えていた。このままぐうたらしても誰かに責め立てられる訳でもなし、それでもいいけれどなんとなく気がモヤモヤしてしまう。
ので、筋立て通り近場に出来た店によってみようと思う。
機械的に朝食をとる。適当に服を着て、適当な所持品で外に出る。無意識に任せて玄関を出る。
「こんにちわ」
不意に声をかけられ硬直した。目の前に狐人間がいるではないか。
二足歩行をし、人間と同じく衣服をまとった狐。動物園か写真かでしか見た事のない獣は「なに。ぼんやりした顔をして」と首を傾げた。
声は聞きなれた初老の女性──大家さんのものだ。服装もよく大家さんが着ている質素な物で、この狐は大家さんなんだろう。
「さっき起きたばっかりで」
「あらあら、具合悪そうだけど大丈夫?」
「へ、平気です」
慌ててアパートを後にする。寝ぼけているのだと自身に言い聞かせ、町を行く。けれども町も狐人間だらけ。皆人間のフリをしてコンビニに入っていったり、レストランから出てきて美味しかったねなどと感想を言う。ようは昨日までと変わらない景色だった。
雨がパラついて日差しが町並みを照らす。──狐の嫁入りだ。
小さい頃祖母から教えられた、天気の状態を指す言葉。狐がつく天気だからって人が狐になるなんて有り得る?
店に行くどころじゃなくなった。慌ててアパートに戻ろうとするも、住人たちも狐になっていたら…。
ああ!どうすれば!
パチンコ屋のウインドウに写る私は──人だった。よれた服を着た人間。狐じゃない?背後を通る通行人は狐姿で。
もしかしたら自分だけ人間のまま?
「そこの人間さん?」
挙動不審に佇んでいると幼い顔の少女に声をかけられた。時代錯誤な可愛らしい着物を着た、怪しい子供であった。艶やかな柄と切りそろえられた烏の濡れ羽色の黒髪。まるで日本人形みたいだった。
彼女はつり目気味の双眸で私をしっかりと見据える。
「あなたみたいな人がたまにいるんだ。ここだとなんだから着いてきて」
にこりと可憐に微笑まれ、その顏には後光がさしてみえた。怪しかろうと何だろうと今はこの事情を知っていそうな子供に藁にもすがる思いである。ホイホイと付いていくと美容室とオシャレなバーの間。いわば路地裏に案内される。
「こっちに行くと人間たちがいるから」
「待って。君は──」
「秘密にしてくれる?なら教えてあげる。誰にも喋っちゃダメ、喋ったら…」
彼女が言うにはこんな日は狐日和と言って、人間界、人間社会を「狐」たちが使って良い日なんだそうだ。
端に追いやられた「狐」たちのガス抜きとして天におわす神様が決めてくれたそうだ。だから皆、会社に行って仕事をしたり、はたまた家族でアトラクションに遊びに行ったり、学校で勉強したり…。
人間たちがやっている日常を「狐」たちが経験する。「狐」と人間の逆転だ。
たまに私のような人間が取り残され、恐怖に怯えているのを見かけるや人間たちがいる方へ案内するという。
「じゃあ、天気がハレるまで」
少女に背中を押され路地裏を進む。僅かに雨の匂いがする。人間の世界──あちらは雨なんだろうか?