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故郷と夕立 中編

 

 翌朝は強い光で目が覚めるほどの快晴だったが、昼下がりには陰り、陰鬱な空模様となっていた。


 約束の時刻が迫る。

 猫西(ねこにし)が一階に降りると、静寂に包まれていた。

 ミルクはキャットタワーの上で丸くなって寝ており、多英(たえ)は黙々と客人を迎える準備を進めている。


 そこへ、チャイムが鳴る。

「はい」と多英が急ぎ足でインターホンに出た。



『細川の娘です。母はちょっと急用が入りまして、代理で伺いました』

「お母さんから聞いてるわ。今開けるわね」

「…………ほそかわ?」



 猫西が玄関に行ったときには、多英が玄関引戸を開けていた。


 黒の傘が畳まれ、ひとりの女性が入ってきた。

 女性の黒い瞳とミュールサンダルの音が、家の静けさを破った。細身で小柄な体を包み隠すように、彼女の黒髪は傷みなく腰まで垂れている。白の半袖シャツと紺色のタイトスカートが大人びた印象を受けさせた。まつ毛はカールし、シャープな顔はほんの少し赤く、血の気を通わせている。



「久しぶり。猫西くんだよね?」 



 細川は、鈴のような小さな声とともに真っ黒な目を向けた。



「ああ、うん……。久しぶり」

「小学校以来だね」



 多英が「あら」と喜んだ。



「ふたりとも面識があるのね。ちょうどいいわ。細川さんを部屋に招いたらいいじゃない」



 猫西は思わず多英の服の袖を引っ張った。



「僕の部屋に細川さんを入れる必要性がどこにあるの?」

「あなたの部屋に猫がいるんだから当然でしょう」

「いや、さすがに……。フォースを下に連れてくるよ」

「ミルクが喧嘩(けんか)っ早いのはあなたのほうが知ってるでしょう。お母さんは飲み物を持っていくから、じゃ、頼むわね」



 多英はそう言いくるめ、キッチンに引っ込んでいった。 

 猫西が躊躇(ためら)いがちに細川のほうを見ると、頭を下げられてしまい、余計に困った。


 仕方なく、猫西が先導して歩いた。

 玄関からリビングへ、そして薄暗い階段をのぼりながら、今この瞬間が夢か現か区別がつかなくなってきていた。最低だと叫んだ少女との再会が悪夢の続きに思えてならない。


 ――ギィッ。ギィッッ。

 猫西の背後で(きし)む音がする。

 ふたりの息遣いは短く、狭い階段は時間を掛けて蒸れていった。耳の鼓膜を刺激されるたび彼女の気配を感じ、階段を上がった頃、猫西の脇は汗をかいていた。


 なるほど。これは現実だ。


 ひと足先に自室に入り、汗拭きシートで汗を拭って窓を少し開けてから細川を招き入れた。



「この子の名前はあるの?」



 キャリーバックを発見した細川は、真っ先に屈み、中にいるフォースを(のぞ)き込みながら尋ねた。



「名前はフォース」

「年は?」

「年はわからないけど、五歳くらいじゃないかって」

「老猫って聞いてたけど驚いた。若いね」

「外猫の平均寿命を考えると長生きだから」

「ああ、それで」



 ふいにノック音がした。ふすまを開けると、多英が麦茶とゼリーを持ってやってきたのだった。猫西に引き渡すと、多英はそそくさと降りていった。


 猫西はお盆を机に置き、それから椅子を引いた。



「どうぞ」

「ありがとう」



 細川が座った後、猫西もベッドに腰かけた。

 細川は真っ先に麦茶を飲んだ。グビグビと喉を鳴らし、満足したのだろう、コップを丁寧にコースターの上に置く。来たばかりというのに、すでに三分の一も残っていない。



「麦茶のおかわりいる?」

「大丈夫」

「ゼリーは? どっちがいい?」

「猫西くんが選んで。一応うちが持ってきたものだし」

「じゃあ、……グレープフルーツのほう頂きます」

「うん、どうぞ」



 グレープフルーツのゼリーは甘味と苦味が喉を通り、爽やかな気分にしてくれる。



「これ、おいしいね」



 何の返事もない。視線を細川に定めた。彼女は深刻そうに(うつむ)いている。



「猫西くんは最近どうしてるの?」

「えっ? 今は大学生だけど」

「どこの?」

「地元の……」



 猫が耳を立てて警戒するように、細川は猫西のほうに顔を上げた。好奇心を多分に含む眼差しは、格好よりも年相応であった。



「国立かー。賢いね」

「まだ大学名いってないけど」

「違わないんでしょ?」

「違わないけど賢くはない」

「中学のときから私立行く人が言う賢くないは信じられないなぁ」

「よく知ってるね」



 猫西は目を丸くした。

 対照的に細川はクスッと笑う。



「昔、制服姿を見かけたの。あの制服、このへんじゃ賢くて有名なんだよ」

「そうなんだ」

「そっかー、猫西くん、やっぱ頭いいんだ」



 猫西は頭を()く。

 調子が狂う。

 先日も見た悪夢に出てきた少女と照らし合わせるように、細川に視線を送る。



「細川さんのほうは今、何してるの?」

「フリーター」

「え、なんで?」



 細川は苦笑し、ひと伸びする。



「っんー。皆に言われたよ。せっかく進学校卒なのにもったいない、って」

「ごめん、そういうつもりじゃ……」

「ううん、いい。もう慣れた」

「そうじゃないんだ。細川さんなら動物関係の仕事を目指すと思ってたから驚いた。猫とか好きそうだし」

「好きを仕事にしたいって思うのは子どものときだけだよー」



 と伸びをやめる細川。



「そう、かもね。……あっ。覚えてる? 僕が通学路じゃない道を通ってた日、先生に言わないでくれたよね。今さらだけど、ありがとう。助かった」

「そんなことあったかな?」



 初耳とでも言いたげに細川が首を傾げた。



「それよりも今の話、聞きたい」

「今の?」

「うん。学生生活はどんな感じかとか、なんで猫西くんが猫の保護活動をしてるのか、とかね」



 猫西は逡巡(しゅんじゅん)する。

 今までの里親希望者は、里親探しに至った経緯こそ尋ねてくるものの、理由を知りたがる者はいなかった。

 脳裏によぎったのは、ちょうど一年前。

 保護部の先輩が旧友に会って近況報告に花を咲かせたと話していた。



「長くなってもいいなら」

「いいよ」

 

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