彼女のおとぼけ
時は遡り、細川親子が猫西家から出た後のこと。
「どうだった? うまくいった?」
細川が窓の外を眺めていると、運転中の母が話しかけてきた。
「何が?」
「あの男の子じゃないの? 昔、猫にパンあげてた子って」
「そうだよ」
と細川がうなずくと、「じゃあ」と母は続けた。
「その猫が飼い主のもとに戻った話はしたんでしょ?」
「してない」
「なぁんで! そのために会いたかったんじゃないの?」
母の声が驚きに満ちていた。
「違う話で盛り上がっちゃった」
「そうなのぉ? どうしても話したいっていうから、わざわざ遅れるふりをしたのに」
細川がとぼけると、母は不満を含むため息をこぼした。
「代わりに伝えようか? あの子のお母さんの多英さんとは良くさせてもらってるし」
「いや、いい」
「そーお? でもせっかくだから、はやく教えてあげたいわ。行方不明から一ヶ月もかかったから今もよく覚えてる」
「それは、でも……」
細川は沈んだ表情を浮かべると、ミラー越しの母は眉根を下げて優しく笑んだ。
「飼い主さんは感謝してたわ」
「……そうだね、ママ。機会があれば伝えるよ」
「そうしてあげなさい。ところで模試の結果はどうだったの?」
「自己採点の感じだと悪くなかった」
「そう。あの男の子を見習って、今年こそ獣医学部受かるといいわね」
「……うん。頑張るね」
明るく答えたが、内心は爆ぜていた。
彼が誉められる対象になるのは納得いかない。野良猫に施しを与える者は許さない。
少しは反省しているかと思ったら、のうのうと保護活動して!
偽善者は嫌いだ。助けた気になるのは、猫にも人にも無礼だ。英雄になったつもりなら性根からへし折ってやる。
『動物関係の仕事を目指すと思ってた』
細川は彼の言葉を思い出し、鼻で笑い、ため息を吐いた。こみ上げる殺意を外へ追い出すように。
首を動かせばキャリーバッグが視界に入る。偽善者を庇うような動きをした、嫌な猫。が、猫に罪はないし、そのような下らない理由で世話をしないなんてことはない。あの男のもとに置いておくくらいなら、引き取ってしまったほうがいいと考えただけ。
細川は闇に溶け込む長髪を手櫛ですきながら、再び窓の外に目をやった。
「偽善者は本物に勝てないんだから、すっこんでなよ」