22
4月の中頃を過ぎた日、食堂でヌーを見かけた。
ヌーの泣き出しそうな顔に、周りの子たちも悲痛な表情を浮かべている。
気になったルチルは夕食を食べた後に、平民の子たちが固まっている机に足を運んだ。
「皆様お顔の色が優れませんが、どうされました?」
「ルチル様! あ、あの!」
「何でもありません! みんな、ちょっと勉強疲れしているだけです」
ヌーが辛そうに笑いながら、何もなかったと言ってくる。
周りの子たちは、口を噤み俯いてしまった。
ここでやり取りをするのはよくないと思い、食後のお茶に誘ったが断られてしまった。
「絶対、何かありましたわ」
「バカな人たちに、また何か言われたんでしょ」
「それが気になるんだ」と、目の前で本を読んでいるシトリン公爵令嬢に抗議できなかった。
どうせ「気にしすぎ」と返されるからだ。
次の日にルチルは、教室でモスアとセレを捕まえた。
気不味そうに視線を動かす2人は、執念深く見つめるルチルに対して、「ここでは言えません」と折れてくれた。
「では、今日の夜、私の部屋に来てくださいな」と、約束を無理矢理取り付けた。
夜になり、部屋に来てくれたモスアとセレにはお茶とチョコレートを出したが、2人は緊張しているようで口にしない。
「あの……ヌーには、私たちが言ったとは……」
「言いませんよ。安心してください」
モスアとセレは安堵したように息を吐き出し、顔を見合わせて頷き合っている。
「えっと、どこから話せばいいのか……」
なぬ!? そんなに前から何かあったのか!?
「夏期に入って、ヌーの教科書やノートが無くなったりして、クラスメートからは『頭がいいから教科書出してない』とか『勉強する気がないなら学園に来るな』とか言われたりしているそうです」
「シュンにも同じようなことがあるみたいで……教科書は先輩からもらったりしていますが、ノートは買えていません。文化祭や学園祭があるので、私たちも少しだけお金は持ってきているんですが、ノートを何冊もっていうのは……」
やっかみだ……自分たちよりも成績がいいことへのやっかみだ……最低だ……
それに、ノートを何冊もってことは、買ってもまた無くなるってことでしょ……ひどい……
「ノートは勉強する時に貸せますので……それだけなら良かったんですが……」
これ以上があるのか……つら……
「ヌーのクラスはバザーをするそうなのですが、『見窄らしい物は持ってくるな』とか『何もないなら文化祭に参加するな』とか『持ってくる物がなければ、売れ残った物は全部買い取って協力しろ』とか言われているそうで……」
幼稚すぎる……
全員、ぶん殴ってやろうか!
バザーってのは、使わなくなった物を売るんだよ!
使わなくなった物が無ければ売らなくていいんだよ!
「後……」
「まだあるの!?」
やばっ、素が出ちゃった。
今宵も横にいるシトリン公爵令嬢に睨まれる。
令嬢らしからぬ行動は怒られるのだ。
「『協力する代わりに体を触らせろ』とか『奴隷になるなら協力してやる』とかもあるそうで……」
ない! そんなことあってはいけない!
「ルチル様に相談してみようと、何回か言ってみたんですが……」
「迷惑はかけられないと頷いてくれなくて……」
「話してくださってありがとうございます。何か考えてみますわ」
モスアとセレはようやく笑ってくれ、チョコレートを食べて顔を蕩けさせている。
少しだけくみ紐の話をしてから、2人は自分の部屋に帰って行った。
「そこら辺の動物より頭が悪いんじゃないかしら。反吐が出るわね」
「同意見ですわ。全員懲らしめてやりたいですが……ヌーさんはそれを望んでないのでしょう……」
「平民は四大公爵家を舐めているのね」
「そんなことないでしょう?」
「あるわよ。こっちに火の粉がかかると思っているんだから。四大公爵家よ。火の粉なんてかかるわけないじゃない」
ごもっともだ。
息をするように他の家門を潰すことができる。
王家の次に力が強いのだから。
そして、大方の貴族が察している、ここだけの話。
アヴェートワ公爵家は、王家よりもお金持ちになっている。
事業が幅広すぎて、アヴェートワ商会に見限られたら終わりだと噂されている。
でも、そんな話は平民の人たちの耳に入ることはない。
社交界とは無縁なのだから。
「気持ち悪い人間全員退学にできる力があるって、何人か辞めさせたら分かるんじゃない?」
「過激!」
「そう? やってもいいでしょ。あなたが平民を優遇しているのは、もう周知なのよ」
「え? 私、優遇してますか?」
「しているわよ。庇ったり、スイーツをあげたり、声をかけたりしているじゃない。貴族の子たちにはしてないでしょ」
なんていうことだ……
あたしが余計な火種を作っていたのか……
でもさぁ、虐められて可哀想なんだよ。
理不尽な虐めなんだよ。
少しでも手助けしたいって思うじゃない。
「ということがありまして……」
落ち込むルチルの背中を、アズラ王太子殿下が優しく撫でてくれている。
週末の土曜日に「最近元気がないけど、どうしたの?」と聞かれたのだ。
はじめは言わなかったが、「僕では頼りにならないよね」と辛そうにされたので、心が痛くなり話してしまった。
「大丈夫だよ。ルチルは贔屓なんてしてないよ」
「いえ、誰かに何かをするのなら、全員にしなくてはいけなかったんです」
「そんなことを言ったら、僕はまだ百合の刺繍花をもらっていないよ」
俯いていた顔を上げると、アズラ王太子殿下は柔らかな笑みを浮かべていた。
落ち込んでいた気持ちなんてどっかいって、触れたくなる。
この瞬間を閉じ込められるカメラ! 早く!
リバー、早く作ってー!
衝動に駆られ、アズラ王太子殿下に抱きついた。
嬉しそうな笑い声に腕に力を入れると、さっきと同じように背中を撫でられる。
「百合の刺繍花、すぐに作ります」
「ありがとう。でも僕が言いたいのは、友達を優先してもいいじゃないってことだよ」
「友達?」
「うん。誕生日プレゼントをあげたりするのと一緒だよ。好きな人や大切な人にあげるのと一緒。
ルチルがしてきたことは、そういう友達同士のコミュニケーションだよ」
アズラ様、なんて素敵な考え方!
そうよね、好きな人や大切な人には優しくしたいものね。
「それに、ちゃんとクラスメートには挨拶しているし、会話もしているよ。男子と話している時なんて、距離が近くないか? ってヤキモチ妬くからね」
ああ、可愛い!
推しが可愛すぎて優しすぎて愛おしい!
好きだー!
アズラ様尊い! が爆発してしまい、キスしようとしたらアズラ王太子殿下の手でルチルの口を塞がれてしまった。
「なっなっなにを……」
「キスしたいなって。ダメですか?」
「ダメじゃないけど……でも、ちょっと待って……落ち着くから……」
何回も深呼吸しているアズラ王太子殿下が真っ赤で可愛かったため、ルチルの中の「アズラ様尊い!」が更に大爆発した。
愛でたくて、ルチルの口を塞いでいる手を舐める。
「っ!」
咄嗟に手を離す瞬間を狙ったように、唇を奪った。
それは、もう深く。
アズラ王太子殿下に泣きながら「もうやめて……」と懇願されるまで、深いキスは続いた。
そこからアズラ王太子殿下は、ルチルを見ると真っ赤になり、目を合わせてくれなかった。
週明けの教室でも度々真っ赤になられ、視線がぶつかることはなかった。
オニキス伯爵令息に「何があったんですか?」と聞かれたので、「想像にお任せします」と返しておいた。
オニキス伯爵令息がニヤついて、「イジろう」と呟いていた声は聞こえなかったことにした。