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さて、残すはアズラ王太子殿下の機嫌だけだ。
昨日放置してしまったから、落ち込み具合も半端ないだろう。
愛してると言えば、機嫌を直してくれるだろうか? と思いながら王宮に着くと、目の前にはオニキス伯爵令息が立っていた。
土曜日の朝は、アズラ王太子殿下のお迎えは訓練のためない。
だから、誰もいないと思っていた。
「ルチル嬢、おはよう」
「おはようございます、オニキス様。朝早くからどうされましたか?」
「昨日の夜、殿下から色々聞いて、面白そうだから来てみただけ」
「面白そう?」
「俺が渡した本でカオスだったんでしょ。ウケる」
心から楽しそうに笑っているオニキス伯爵令息と、並んで歩き出した。
「ウケませんよ。そもそも、オニキス様が本を渡さなければ起きなかった問題です」
「善意だったんだけどなぁ」
「どこがですか」
「あー、面白い」と溢すオニキス伯爵令息を、横目で睨んだ。
「どこまで着いてくるんですか?」
「そろそろ帰るよ。誰かに見つかると、また忍び込んでって怒られるし」
「忍び込まなければよろしいのに」
「門から馬車使って入れっていうの? 目立つから嫌だよ」
そういえば、王宮と伯爵家は転移陣で繋がっていなかったな。
「どうやって忍び込まれているんですか?」
「企業秘密。じゃあね、ルチル嬢」
オニキス伯爵令息は、手をヒラヒラさせて来た道を戻って行った。
ルチルは、後ろ姿を少し見送ってから、王太子妃教育がある部屋に向かった。
王太子妃教育が終わると、コースターを編みながら過ごしていた。
夕食前に会ったアズラ王太子殿下はまだ元気がなく、ルチルの笑顔も少し引き攣る。
放置していた罪悪感で押し潰されそうになるのだ。
なんとか夕食を耐え抜いたが、問題はこの後のお茶の時間だ。
このままの雰囲気はよくないと、チャロにお茶を淹れてもらったら、チャロとカーネとそれぞれの護衛騎士を下がらせて、早々に話を切り出した。
「アズラ様、お話があります」
「なにかな?」
「色々とハッキリさせましょう」
「うん? 色々?」
お茶を1口飲んで、隣に座るアズラ王太子殿下を真正面から見ようと体を横にした。
「オニキス様からいただいたという本は、どのような本だったのでしょうか?」
「いいいえないよ」
「なるほど。そんなに過激な本だったのですね」
「いや! 過激じゃない本もあったよ」
「なるほど。ちゃんと見ていないと言っておきながら、全部見たんですね」
「ちゃんとは見てない! 薄目だから!」
薄目でもちゃんと見えるわ!
「分かりました。では、私もそのような内容の女性向けの本を薄目で見ましょう」
「え?」
「アズラ様をより素敵と認識するために、他の男性を知る必要があると思うのです」
「待って! それは嫌だ!」
「どうしてですか?」
「ルチルの瞳に僕以外の……アレコレが……映るなんて嫌だよ」
「私だって、アズラ様の瞳に私以外が映るのは嫌ですよ。この話を聞いた時の私のショック分かってくれましたか?」
「うん……ごめん……もう見ないよ」
「はい。もう見ないと約束してくださるなら、私は一生見ません」
もうあんな居た堪れない空気嫌なんです。
仕えてくれる人たちから、プライベートって漏れるものよね。
今回は良かれと思ってのことなんだろうけど、せめて陛下に言うようにしてほしかった。
「約束する。見ないよ」
「ありがとうございます。でも、それでアズラ様にストレスが溜まると困りますので、私に着てほしい服やしてほしいポーズがありましたら遠慮なく言ってくださいね」
「ルチルに着てほしい服……」
湯気が出そうなくらい真っ赤になるアズラ王太子殿下に、目を見開く。
何を想像したの!?
でも、可愛いから許す!
「メイド服でも着ましょうか? ご主人様」
「ごしゅっ! あ、あ、いい! 着なくていい!」
そうかそうか、着てほしいか。
ふふ、メイド服着て湯浴みでも手伝うとしよう。
真っ赤で狼狽える姿……想像するだけで最高にいい!
ご馳走様です。
「足とか見たいですか?」
この世界、ミニスカート無いからなぁ。
足を出すのははしたないとされているから、作ろうものなら家から2度と出してもらえなくなるだろうしな。
あれ? 返事がない。
アズラ王太子殿下を見ると、足をじっと見つめられている。
見たいのに見たいと言えないのだろう。
ルチルがスカートを捲り上げようとしたら、慌てたアズラ王太子殿下にスカートを持っている手を掴まれ、止められた。
「ダダダダメ! そんな簡単に見せちゃダメ!」
「アズラ様だからいいのです。見たくないですか?」
「見たいよ! 触りたいよ! でもダメ!」
純粋真っ白真面目人間なんだから。
「触ります? いいですよ」
「ダメったらダメ! 僕を誘惑しないで!」
「分かりました。ごめんなさい」
小さく笑ってしまうと、アズラ王太子殿下が拗ねるように頬を膨らませた。
その顔、可愛いのよ!
供給して欲しかった!
よく分かっていらっしゃる!
「僕を揶揄わないでよ。紳士でいたいんだから」
「色んなアズラ様を見たいんです。愛しているからこそ、知らないアズラ様はあってほしくないんです」
「ルチル……今……本当? 本当に?」
「はい。色んなアズラ様を見たいんです」
「その後だよ! 分かってるくせに」
普段麗しい堕天使が、2人きりの時に揶揄うと天使の面影を見せるんだよ!
めちゃくちゃ可愛いしかないよ!
婚約者の特権……感謝いたします。
ああ、萌えが止まらない! 触りたい!
可愛いが爆発している!
「アズラ様」
両手を広げると、アズラ王太子殿下はルチルを抱きしめようと両手を広げて近づいてきた。
ルチルは、抱きしめられるよりも先にアズラ王太子殿下に飛び付き、頬と頬を合わせてスリスリした。
一瞬固まったアズラ王太子殿下に、腕の中に閉じ込められるように抱きしめられる。
「愛しています、アズラ様」
「僕もっ……愛してる……」
また泣いちゃった。
よしよし、頭を撫でてあげよう。
なんだかんだ、あたし本当にアズラ様を好きになっているんだろうな。
いくらファンだとしても、触りたいとまで思ったのはアズラ様が初めてだし。
萌え対象なのは変わりないけど、それ以外の愛情も少しずつ育ったんだろう。
こんなにカッコよくて優しくて、自分を好きでいてくれる人が側にいたら、誰だって落ちるよね?
もちろん前世の夫のことも、家族のことも、変わらずに愛している。
もう顔は思い出せないけど、大切な人たちだ。
前世の家族に会えない寂しさを埋めてくれたのが、今の家族であり、アズラ様だ。
アヴェートワ公爵家に生まれてなくて、アズラ様に会えていなかったら、前世の記憶を持っていても、こんなに幸せではなかっただろう。
みんなに感謝と愛を飽きられるくらい伝えていこう。