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ドアが壊れるような勢いで開いたようで、大きな音を立てた。
何個も足音が聞こえ、ベッドの周りを囲まれる。
「ルチル!」
「よかった……よかったわ……」
えっと……どうして、みんな泣いてるの?
あれ?
お祖父様とお祖母様、お父様にお母様……ほんの少しだけど老けた?
ううん、老けてないか。
あたしったら、何を考えてるんだろ。
というか、手を握ってるこの大天使様は誰だろ?
ふふ……大天使というより憂いがあって堕天使様みたい。
綺麗だなぁ。麗しすぎる。
アズラ様に似てるんだよねぇ。
でも、アズラ様に兄弟はいないし……
まさか! 陛下の隠し子!?
陛下の隠し子が、何でここに?
どうしてあたしの手を握っているの?
起き上がろうとするが、体に力が入らなくて起き上がれない。
「お姉様!」
弟の声が聞こえたのに、姿を見せたのは男の子か女の子か分からない可愛い子供だった。
あれ? ミソカの声じゃなかった?
「お姉様……よかっ……よかったですぅ……」
んん?
この可愛い子からミソカの声がする……なんで?
もしや! 弟が一晩で変身魔法を身につけたとか!?
「ブロン、すぐに両陛下とスミュロン公爵に連絡を」
「かしこまりました」
ブロンもいたのね。
もー! なんで起き上がれないの!
「お、お嬢様……」
ベッドの下から、ゆっくりとカーネが現れた。
一瞬お化けに見えてしまって悲鳴をあげかけたが、声が掠れて出なかった。
さっきも出しにくかったけど、どうして声が出ないんだろ?
腕も上がらないし……変なの。
「殿下。ルチルが目覚めた時の様子をおうかがいしてもよろしいですか?」
固まったままの堕天使様に、父が声をかけた。
ん? んん?
お父様、この麗しい堕天使様を殿下って呼んだ?
ええ!?
やっぱり陛下の隠し子なの!?
いつ! いつ! 発覚したの!!?
「あ、うん……まつ毛が動いたような気がして、呼びかけたら目が開いたんだ。それで……その……僕を覚えて、ない、、みたいで……」
父たちの息を飲み込んだ音が合唱した。
覚えてないっていうか、会ったことないよね?
「ルチル、私が分かるか?」
父が自分を指して問うてくる。
ほんの少しだけど顔を動かせ、微妙だが頷けた。
父の安堵した表情に首を傾げるが、疑問を聞く間もなく母にも同じことをされた。
「スミュロン公爵が到着されました」
ブロンの声が聞こえて、挨拶の時にだけ見たことがあるスミュロン公爵が現れた。
あれ? スミュロン公爵老けた?
でも、半年前に見ただけだからなぁ。
イケオジなのは変わらないけど。
というか、どうしてスミュロン公爵が?
「殿下、代わっていただいてもよろしいですか?」
「スミュロン公爵、ルチルが僕を覚えてないみたいで……どうしてだろうか……思い出してくれるよね……」
ああ、堕天使様が泣いている……
アズラ様に似ているだけあって、心が苦しくなる……
「診察してみます」
その時、両陛下も到着したようで「よかった……よかった……」という声が聞こえてきた。
どうして、みんな泣きながら「よかった」と言うのか分からない。
さっきまで堕天使様に握られていた手を、スミュロン公爵に握られた。
手から温かい空気が、体の中に入ってくる。
スミュロン公爵の魔力も温かいのか。
「これは……」
「どうした? ルチルはどうなんだ?」
「アラゴ、驚くなよ」
「ああ」
「健康体だ。信じられないが、悪いところが1つもない。違うな、1つだけある」
「なんだ?」
「栄養失調だ。執事よ、牛乳を温めて持ってきてくれ」
えー、なんでみんな泣き笑いしてるのー。
まぁ、あんなに食べるあたしが栄養失調なんて笑うよね。
「脳は、もう心配ないんだな?」
「心配することなど1つもない。脳も心臓も元気に動いている。奇跡だよ」
「スミュロン公爵、でもルチルは僕が分からないって……」
「そうでしたね。でも、脳のどこにもシコリや詰まりが無いんです。ですから、覚えていないなんてことはないと思うんですが……」
スミュロン公爵が、堕天使様に向けていた顔をルチルに戻した。
「少し体を触るからね。触っているって分からなかったら、繋いでる手に力を入れてくれる? 今、試しに力を入れてみようか」
イケオジに優しい笑顔で言われて、少しキュンとしながら手に力を入れた。
入ったかどうか分からないくらいにしか握れなかったが、イケオジことスミュロン公爵は優しく頷いてくれた。
それから、両手、腕、肩、顔、お腹、足等たくさん触られたが、全部触られていると分かった。
両目は、それぞれスミュロン公爵に大きく開かされ、前後左右に動かすように言われて動かした。
片目ずつ隠されて「見えている?」と聞かれた。
もちろん見えている。
が、左目だけの時に違和感があった。
でも、それが何か分からない。
「うーん、体はどこも悪くなさそうだね。魔力診察と相違なさそうだ」
「では、記憶だけ……」
「しかし殿下、ルチルは私と妻のことは分かりましたよ」
ああ、また堕天使様が泣いてしまった……
「ルチル嬢、私のことは分かりますか? 分かったら握ってください」
スミュロン公爵だよね。
ちゃんと分かるよ。
「話したこともなかった私のことも分かると……殿下、言いにくいのですが……」
「やめ、てくれ……聞きたくない……」
悲痛な声に誰もが俯いている。
そんな中、元気な声が聞こえてきた。陛下だ。
「まぁまぁ、アズラよ。ルチルが目覚めただけでもよかったじゃないか。待っていてよかったな」
今……なんて言った?
「はい……」
そういえば、陛下も王妃殿下もいるのに、アズラ様がいないんだよね。
なんで、ここにみんながいるのか分からないけど、アズラ様だけいないなんてことある?
待って、ミソカの声をした可愛い子もいたわ。
え? あれ? なにこれ?
「ルチル様のホットミルクをお持ちしました」
「ありがとう」
ブロンが、スミュロン公爵の横まで持ってきた。
「さぁ、ルチル嬢。起き上がれるかな?」
スミュロン公爵が背中とベッドの間に腕を入れて、抱えるように起こしてくれた。
背中側には枕とクッションが入れられる。
「持てるかな?」
ホットミルクを胸の辺りに持ってきてくれたが、腕が上がらない。
視線が下にいき、見えた自分の体に目を見張った。
は? はぁあ!?
なんか胸ある! なにこのデカパイ!?
ってか、胸あるのに腕ほっそ! 棒だよ!
手も骨と皮だよ!
「無理かな。飲ませるよ。ゆっくり、ゆっくりだからね」
口元にカップを持ってきてくれ、スプーンで掬って口の中に入れてくれた。
五臓六腑に染み渡る。
「飲めるだけ飲んでみよう」
生き返るーと思っていたのに、数口でいらなくなった。
口を閉じて頑張って首を振ると「十分だよ」と、頭を撫でてくれた。
「1週間は水や牛乳を飲ませてくれ。1週間後にまた診察をして、問題がなさそうならお粥を始めよう」
「分かった。ありがとう、スミュロン」
「よかったな、アラゴ」
スミュロン公爵は立ち上がり、堕天使様の肩を優しく掴んでから帰って行った。
父が中腰になり、話しかけてくる。
「ルチル、疲れてないか?」
ものすっごく疲れてる。
何でだろう?
頭が船を漕ぎ出し、父が笑った。
「ゆっくり眠りなさい。起きたら話をしよう」
父がベッドに寝転ばせてくれ、瞬時に眠りに落ちた。
最後に瞳に映ったのは、辛そうに泣いている堕天使様の顔だった。




