62 〜アズラの気持ち 2 〜
どこをどう帰ったのか分からないが、気づいたら自室のベッドの上だった。
まだ止まらない涙を拭うこともせず、続き扉からルチルの部屋に入った。
いつも出迎えてくれた笑顔が一瞬浮かび上がり、泡沫の如く消えていく。
その場で崩れ落ち、大声で泣き叫んだ。
何時間泣いていたか分からない。
ドアをけたたましくノックされた音で体を起こした。
「殿下ー! 入りますよー!」
入ってきたのはアヴェートワ前公爵だった。
「何をしているんですか? 稽古の時間はとっくに過ぎています。さぁ、早く用意してください」
「……こんな時に稽古など」
「そうですか。そんな男にルチルはあげられませんね」
「なにを……」
ヅカヅカと入ってきて、アズラ王太子殿下の前にしゃがんだ。
「あー、情けない。殿下はルチルが目覚めないとお思いで? あの子が目覚めないわけないでしょう。そのうちケロッと目を覚ましますよ。その時に弱いままの殿下でいいんですか?」
「……いいわけない」
「だったら早く準備してください。時間は有限ですよ。殿下の剣術の成長は遅いんですから、一分一秒も無駄にできません。ルチルが目覚めた時、かっこいいって言ってもらえませんからね」
ごめん……
ありがとう……アヴェートワ前公爵……
辛いだろうに、僕を励ましてくれて……
アヴェートワ前公爵の瞳も真っ赤だよ……
きっと僕と同じように夜通し泣いてたんだよね……
それなのに、励ましにきてくれてありがとう……
「それと、これをお渡ししておきます」
長方形の箱を渡された。
「ルチルが用意していた殿下への誕生日プレゼントです」
「ルチルから……僕への……」
震える手でリボンを解き、箱を開けようとしても震える手では中々開けられない。
何とか箱を開けて中を見ると、綺麗な剣と鞘が入っていた。
泣いている自分が剣に映る。
「魔導士たちと作っていたそうです。絶対に折れない剣だと、リバーが説明してくれました。ルチルは、自分を守ろうと無茶をする殿下を守りたいと言っていたとも教えてくれました」
剣に次から次へと涙が落ちていく。
「あの子は、殿下に寂しい想いをさせませんよ。殿下への誕生日パーティー用の新作スイーツも、いつの間にか完成させていましたからね」
「……ルチル」
感情というモノがよく分からなかった僕は、ずっと微笑んでいた。
微笑んでいれば、みんな笑顔を返してくれる。
ただそれだけ。何も感じなかった。
そんな僕に、ルチルは楽しいという感情を教えてくれた。
楽しいだけじゃない、愛しいも苦しいも嬉しいも泣くということも教えてくれた。
それに、ルチルはいつも僕の浮き沈みを察知してくれていた。
疲れた時、しんどい時、怒っている時、いつもいつも優しい気持ちをくれて、僕を笑顔にしてくれていた。
失くせない……ルチルだけは失くせない……
「殿下、ルチルが目覚めた時には、その剣を思うがままに操れる男になっていましょう。きっと喜んでくれますよ」
「うん……そうだね……」
どうしようもなく、ルチルは僕が生きる理由なんだ。
一緒に生きていきたい。
だから、ルチルが目覚めるって信じるよ。
信じて待つよ。
その日から不安を追い払うように、訓練も勉強も何もかも一心不乱になった。
忙しくしていないと不安が顔を出し、黒いものに飲み込まれそうで怖くて仕方がなかった。
夜もほとんど眠れず、ルチルとお揃いの婚約指輪を握りしめて祈っていた。
毎日ルチルの顔を見にアヴェートワ公爵家に通った。
夜に花束を持ってルチルに挨拶に行き、その日のでき事を話す。
ルチルの顔は、相変わらず青白く、顔も手も冷たい。
ルチルの口元に手を持っていき、呼吸を確認して安心していた。
アンバー嬢をはじめ、フローもオニキスもルチルのお見舞いに足繁く通っていた。
シトリン公爵令嬢が、たまにジャスと共に訪れていた。
スミュロン公爵の診察も定期的にあったが、いつも変わらず「心臓は動いている」と言われるだけだった。




