61 〜アズラの気持ち 1 〜
ドアが力強く叩かれ、返事をすると、チャロが息を切らしながら入ってきた。
「珍しいね。どうしたの?」
「はぁはぁ……アヴェートワ公爵家から緊急の手紙です……はぁはぁ」
チャロから手紙を奪うように取り上げ、紙を破る勢いで開いた。
「すぐにアヴェートワ公爵家に行く!」
部屋から急いで出て、だせるだけの速さで走る。
ルチル! ルチル!
心の中で何度も名前を呼び、頭の中にはルチルの笑顔が浮かぶ。
手紙には、既に転移陣の許可を出していると書いていた。
迷いなく転移陣を使いアヴェートワ公爵家のタウンハウスに着くと、執事のブロンが待っていた。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
急ぎ足のブロンに「走りたい」と言いたかったが、ブロンの表情には焦りの色しかなく、不安が押し寄せて声を出すことができない。
ルチルの部屋に案内され、中に入ると、ルチルの母と弟がベッドの横で布団にしがみつき泣いている。
アヴェートワ前公爵は妻を抱きしめていて、アヴェートワ公爵は茫然とベッドに横たわっているルチルを見ている。
「……ルチル?」
小声で呟きながらベッドに近づいた。
誰も僕に頭を下げるという作法に気を使えないほど空気は重く、悲しみが充満している。
ベッドに辿り着き見たルチルの顔は青白く、血が通っていないように人形のように思えた。
これはルチルの人形で、どこかからルチル本人が登場して驚かせようとしているんだと願いたかったのもしれない。
「ルチル……ねぇ、ルチル……」
震える手でルチルの頬を触ると、氷のように冷たかった。
待って、待ってくれ。
手紙には、血を吐いて倒れたって書いてただろ!
死んでない!
ルチルは、まだ死んでいない!
「ルチル……目を開けてよ……ねぇ、笑ってよ……」
声が震えていて、ちゃんと話せているかどうか分からない。
視界はボヤけていて、ルチルの顔はおぼろげだ。
「ルチルは、部屋で血を吐いて倒れたそうです。
部屋で一緒にいたデュモルとカーネが言うには、いつも通り元気で、血を吐く直前は何か考え事をしていたそうです。
毒の可能性も考えましたが、ルチルだけが食べた物がないんです。考えられるのは、食器しか……」
「スミュロン公爵がお見えになりました」
ブロンの声が聞こえ、みんな縋るようにスミュロン公爵を見る。
「殿下、申し訳ございませんが、横にズレていただけますか?」
「スミュロン公爵! 頼むからルチルを救って! お願いだから!!」
チャロが僕の背中に手を添えて、横にズレるように促してきた。
不安で激しく動く心臓の音が、体全体にこだましてうるさい。
スミュロン公爵がルチルの手を取って、目を閉じる。
頼む!
お願いだから!
死んだなんて言わないでくれ!
まだ! まだ! ルチルは生きている!
きっと……生きているんだ…
スミュロン公爵が唇を噛んで、ルチルの手を置いた。
「毒ではない」
「そうか。では、ルチルはどこが悪いんだ? 息はしているよな?
なぁ、スミュロン……何か言ってくれ……」
アヴェートワ公爵の声は弱く震えているのに、耳にしっかりと届く。
「……病気なのかどうかも分からない」
「分からない? どういうことだ?」
「心臓は辛うじて動いている。ただ……」
「ただ……なんだ?」
「脳が動いていないんだ……これは脳死とい一一
「ふざけるな! ルチルが死ぬはずないだろう!!」
「あなた……」
今、スミュロン公爵はなんて言った?
ルチルが死んでいる?
心臓は動いているんだろ?
なのに、死んでいるって言ったのか?
「アラゴ、落ち着け」
「落ち着いてられるか!」
「ちゃんと聞け!!」
スミュロン公爵の大声に、アヴェートワ公爵が手を握りしめ俯いた。
「ルチル嬢は、脳が動いていない。
選択肢は2つだ。
1つは、このまま起きるまで待つ。
起きるのは明日かも明後日かも、はたまた5年後10年後かもしれない。ただ心臓も辛うじて動いている状態だから、いつ止まってもおかしくはない。目覚める前に止まるかもしれない。それでも待つが、1つ目だ。
もう1つは、安楽死させてあげるかだ。
どうする?」
アヴェートワ公爵の歯を食いしばっている音が聞こえてくる。
「毒ではないのだろう? ルチルは、どうして脳が止まってしまったんだ?」
「すまない……分からない。衝撃を受けたような痕跡もなく、脳が腐っているわけでもない。ただ動くことをやめたとしか言いようがないんだ。だから、手の施しようがない」
なんで? どうして、こうなった?
どうすれば、ルチルは目覚める?
どうすれば、ルチルの脳は動く?
どうすれば……
「殿下! どこに行かれるのですか!」
走り出そうとした所を、チャロに腕を掴まれた。
「街に行く」
「街へ? どうして?」
「お婆さんを探すんだ! こんな状況を助けられるのはお婆さんしかいないだろ! 探し出すんだ!」
「落ち着いてください!」
「落ち着いていられるか! ルチルが目覚めないなんて! そんなことあっていいはずないだろ! どんな手を使っても探すんだ!」
「分かりました! 分かりましたから! 今は夜です! 街に行くにもあし一一
「時間なんてないだろ! いつ! いつルチルが……ルチルが……っ……」
死ぬかもしれないなんて声に出したくない……
ルチル、生きて。
僕を1人にしないで。
結婚しようって約束したじゃないか……
「行く! 今から行くんだ!」
「アズラ、病人の前で大声を出すな」
声が聞こえ、ドアの方を見ると、父と母が立っていた。
悲痛な表情を浮かべている。
「スミュロン公爵、悪いがもう1度説明してくれるか」
「かしこまりました」
スミュロン公爵の説明に父は目を閉じ、母は父に抱きついて涙している。
「誰かの魔法ということもないのだな?」
「ルチル嬢の魔力以外の魔力は発見できませんでした」
「そうか。本当にどうしてこんなことに……」
父の問いには、誰も答えられない。
アヴェートワ公爵は「目覚めるのを待つ。案外明日普通に起きそうだ」と、泣きながら無理に笑っていた。
長くなりますので、3ページに分けました。
今日は3ページアップします。